2022年10月10日月曜日

神田伯山(講談師)           ・【師匠を語る】 神田松鯉

 神田伯山(講談師)           ・【師匠を語る】  神田松鯉

神田 松鯉(かんだ しょうり)さんは日本講談協会名誉会長、落語芸術協会相談役を務める。  群馬県出身、80歳。  高校卒業後役者になり、新劇や歌舞伎の舞台に立った後、二代目神田山陽に入門し、真打に昇進したのは1997年、1992年に三代目 神田 松鯉を襲名します。  長年長編講談の復活と継承に積極的の取り組み2019年に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。   

うちの師匠は本当に大きい人ですね。  チャーミングなところもいっぱいある師匠です。 高校、大学時代、落語、講談を聞いて24歳で三代目 神田 松鯉に入門しました。   やっぱり講談が面白くて、うちの師匠が一番よかったですね。  硬軟取り入れて芸を操っていました。  ネタ数も500と信じられないぐらいの数を覚えています。  私を入れて弟子は8人居ますが、個性がバラバラです。  個性をつぶさない。   神田 松鯉に断られたら弟子入りは辞めようと思いました。  作戦としては二代目 神田山陽(師匠の師匠に当たる)の命日(10月30日)に行きました。  もう高座を終えて帰っていて、翌日電話をして喫茶店で会って直ぐ取ってもらいました。   私にも弟子が二人いますが、師匠は「会った瞬間にやる気がわかるよ。」と言っていましたが、二人は会った瞬間にやる気を感じました。(20数名来ていましたが、)  「弟子は家族だ。」とうちの師匠はおっしゃいます。  私は師匠とは違って二人は赤の他人だと思っています。 いい意味での赤の他人で、気の使い、距離感など大事にして、師匠と弟子の濃密さも大事にしています。    師匠からはその距離感を教わりました。  

修業は厳しいけれども絶対にやめるなとは師匠から言われました。   教えたこと、その時間が無になってしまうので、恩を仇で返してはいけないと言われました。  厳しい稽古が続きました。  直球で来ました。  師匠から神田松之丞という名を頂きました。   普段は優しかったですが、稽古の時には厳しかったです。   「三方ヶ原軍記」は講釈師が必ず通る道ですが、老人の落語とか講談が好きだったので、老人の口調がついてしまっていて、「三方ヶ原軍記」は若さが売りなんだから、まず老人の口調から実年齢にしなさいと言われました。    段々不機嫌になって厳しくなっていって、そうじゃないそうじゃないと言われ、どう違うのか判らず、もういいや自分で思った通りに大きな声を出してやろうと思ったら、「それだ。」と言われたんです。   次に「鉢の木」を習うんですが、師匠がやると50分ぐらいの読み物で、気合いを見せるための1週間で覚えました。  それは凄く褒めてもらいました。  

前座の時には時によってお茶の温度だとか身の回りのことについていろいろ気を使いますが、お客様にも理屈としては気を遣うことにもなって行くわけです。   師匠と弟子での「親子会」をやる事を提案しました。  師匠は連続物を大事にされる方で、「親子会」で師匠と交代で連続物をやって段々と信頼関係というものを勝ち得たんじゃないかと思います。   9月28日が師匠の誕生日で、80歳の誕生日を歌舞伎座で行う事になりました。  講談師が歌舞伎座でやるのは大正14年以来だそうです。(97年振り)        夢のような「親子会」でした。  師匠は良いことはいい、駄目は駄目と明確で、明確でないと弟子は困ってしまいます。   門弟一同でお金を出し合って歌舞伎の楽屋に使う暖簾を送りました。  大変喜んでいただきました。  

落語芸術協会の二つ目11人で結成されたユニット「成金」に、講談師としては唯一所属。  前座が4年で二つ目が10年ぐらいです。  武者修行時代に前に出てどれだけ恥をかくか、という事について師匠は、二つ目でCDを出そうとしたときにも、どんどんやるようにと言いました。  2020年真打昇進と共に神田伯山を襲名。  43年間空席だった偉大な名跡。   伯山については本などを読んで知っていました。   明確に意識したのは二つ目の後期ぐらいでした。  或る講談師の先生の会に行った時に、「伯山という名前を継ぐ人は出るんですかね。」「いないでしょう。 伯山という名前を知っている人だったら継ぎたいとは思いませんよ。」と笑っていました。  その時に心の底から、だったら継いでやろうと思いました。   真打昇進と共に名前について、師匠のところに行って「名前なんですけど」と言ったら、師匠が間髪入れずに「伯山か。」と言ったんです。  結局伯山を継がしていただくことになりました。  師匠がお見遠しだったのかもしれません。 

師匠からの言葉では「絶対やめるな。」という事と「俺が弟子にとって良かったと思う弟子になってくれ。」と言われた事で、深い言葉だと思います。  落語、講談などの芸能は歳を取ってから味の出る芸能だと思うんで、65歳辺りは一番バリバリのころだと思いますのでいい講釈師になっていたいです。 

師匠には長生きして欲しいです。  国の認めた宝でもあるので、講談というのはこういうものであるという事をトップランナーでいていただきたいと思います。