2022年7月28日木曜日

市毛良枝(俳優)            ・【私のアート交遊録】芝居も登山も自然体!

 市毛良枝(俳優)            ・【私のアート交遊録】芝居も登山も自然体!

20歳でデビューし、数多くの映画、舞台、ドラマに出演してきました。  かつてはお嫁さんにしたい女優NO1と呼ばれた市毛さん、しかしそのイメージが市毛さんを悩ますことにもなりました。   それを救ってくれたのが、40歳の時の山との出会いでした。  キリマンジェロや槍ヶ岳など国内外の名峰に登り、山愛好家としても知られるようになります。   市毛さんに山への道へと開いてくれたのは登山家田部井淳子さん、田部井さんをはじめ山での多くの出会いが自分を解放してくれたと言います。  8月の山の日を前に俳優として、元祖山ガールとしても活躍している市毛さんに芝居や山への想いを伺いました。

山は40代で始めて30年近くになります。   同じ山に登っても全然違います。  花の咲くのが違ったり気象の変化も感じたりします。   自分の心持とか肉体の状況も違いますし、行ったメンバーでも違います。   40歳ごろに体調の変化もあり山との出会いがありました。   血液が肉体の中を回るという事を実感してしまいました。  最初に登った山が北アルプスの燕岳でした。  ハイキング程度といって言われていった山が2770mぐらいの山で2泊3日の行程でした。  帰ってきた時に3000m近い山に登れてしまったというのが、身体の底から湧きあがってくるような喜びでした。    自分では運動神経がないと思っていましたが、そうではなさそうだと思えました。   また行きたいと思いました。   水とか限りある資源という事をリアルに感じました。    

キリマンジェロにも行きました。  酸素があっても当たり前ではない、息をすることが当たり前ではないという事を経験してしまって、運動オタクになる大きなきっかけになりました。    高山病にかかり、後で思うとかなり命がけの状況のようでしたが、知識でさんざん与えられていましたが、自分に都合のいい様な解釈をしていて、気持ちの悪いのは貧血気味だからと勝手に思ってしまって、寝てしまったりしました。  寝ると余計気持ち悪くなりました。  寝てしまうと基礎代謝だけになるので酸素の取り込みが半分になってしまうんです。   ガイドさんからは気持ち悪うなったら寝ないでくださいとさんざん言われていました。  歩いてくれと言われて、酸素の取り込みが出来て気持ちが悪くなるのが収まりました。  それを経験して帰っても運動しようと思いました。

星が自分の足の下に見えて、星の中に私は立っているという思いがして、地球の一部、宇宙の一部になっている自分が寂しくないなあと思いました。  都会にいた方がよっぽど孤独だと思いました。   そのような感動が次々に現れるわけです。  辛いことはありますがまた行きたいと思ってしまいます。   30年のうち前半はかなり自由に行けましたが、後半は母の介護もあり、行きにくくなりました。   鍛えれば戻るという事が判ったので、山で培った知識を母のリハビリに100%注入して、理学療法士に成ろうかと思うぐらい好きな世界になってしまいました。   落ち込んだ時期もありましたが、周りの人に助けを求めて、何とか切り抜けました。    

20歳でデビューして、お嫁さんにしたい女優ナンバー1」とも呼ばれたりしましたが、ドラマで演じるようないい人でなかったりする部分もあったりして、人がそう思っているとそうしなければいけないような気になって、演じてしまう様なこともあって疲れてしまうようなことがありました。   山では地べたに寝てしまう事も出来、芸能界の厳しい世界と違って、山では全然関係なく泥だらけ、汗だらけになって、非常にプリミティブ(原始的な(もの)、根源的な(もの)、初期の、太古の、未発達な、素朴な、粗野な、原形、などの意味を持つ英単語)なところが楽しく思える。  本当の自分らしさを山で知った時に、帰った時にうまく対応できるような気になって来ました。  女優業を辞めたいという思いがありましたが、オファーがあるとそうもいかなくて、50点ぐらいのところで何とか頑張ろうと思いました。  25年目ぐらいの時に、感動したくて山に行っていたんだなあと思って、感動って大事だなあという事を山が教えてくれました。   60歳になって、女優を続けて行こうかなとやっと思えるようになりました。  

山をやらなかったら本を書く機会をいただけなかったと思います。  『山なんて嫌いだった』を出版。   田部井さんからは本当にいろんなことを教えていただきました。    彼女を取材するために行きましたが、私の方がしゃべっていたんじゃないかと思います、着いた頃には大好きになっていました。   親戚付き合いみたいに始まりました。  介護の時にも大変なことを知ってはいるが誘い出してくれたりしてくれました。  母と同じ年の同じ月に亡くなってしまって辛かったです。   山をやり始めて友達の形と量が変わりました。  本当に好きなことを語り合える人と出会えるようになりました。  金では買えない財産です。

環境の答えを山がくれたと思います。   水一つとってみても、まず山の環境を汚してはいけない。   海の環境を汚してしまうと降ってくる雨だって汚れてしまうというようなことを実地として判ります。   環境カウンセラーとしても資格を取って活動しています。  後100mで頂上と言うところで雨で視界が見えない様であれば「まあいいか」と帰ってきてしまう事もあります。  「まあいいか」で何とかここまで生きてこられた感じです。  60歳から社交ダンスを始めましたが、介護のことなどで山とか運動がなかなか出来なくなって友人に誘われて始めました。  楽しくなってはまりました。  

介護で辛いと思う時には母にもぶつけることがあったし、周りにも辛いといって吐き出したりしました。  抱え込まない、自分をいい子にしない、厭な部含めて自分なんだという事だという事だと思います。   山小屋がなかったような本当に何もないころの山に登ってみたいという事が一番の憧れです。  父と母は明治、大正生まれの人間で、父はクリスチャンで医師でした。  そんな中で古臭いものにはあこがれます。   日本の山でも降りてきたところに里の景色があるから一層美しいんですね。  農業地帯がなくなって工場になってしまったら、残念だなと思って、景色ごとアートと言う気がするんで、独りだけで盛り上がっています。