2022年7月15日金曜日

梅津時比古(音楽評論家)        ・音楽も人生も自由に

梅津時比古(音楽評論家)        ・音楽も人生も自由に 

1948年神奈川県生まれ、音楽好きの両親のもとで育ち、小さいころからピアノやヴァイオリンを習いましたが、演奏家は目指さず、音楽評論の道を歩もうと早稲田大学第一文学部で西洋哲学を学びました。  卒業後は新聞社に入社し、新聞の音楽欄を担当、現在も特別編集委員として、音楽コラムを執筆しています。  またコンクールの審査や各地の音楽ホールの運営のアドバイスにも携わり、2013年4月から桐朋学園大学学長に就任、3期9年務め、今年の春退任するまでに大学院の設立やコンサートホールの建設などに尽力しました。   ドイツ歌曲を中心とした著書も多数あり、中でも2007年に発表したシューベルトの『冬の旅 24の象徴の森へ』が日本人として初めて本場ドイツで出版されるなど、国際的にも高い評価を受けています。

この春に出版したのがシューベルト作曲に歌曲「水車小の美しい娘」についての著書。   美しい水車小屋の娘」とほとんど訳されてきました。  原題では美しいが粉ひき屋さんの娘さんに直接かかるんです。   美しい水車小屋の娘」だと美しいが水車小屋にかかるのか娘にかかるのか論理的にははっきりしない。  水車小屋は童話的な小屋ではなくて、かなり大きな製粉工場なんです。   大きい水車では直径が12mぐらいのものもあります。  刃物を鍛造する水車小屋もありました。   人里離れた水車小屋がよからぬ人たちが集まる場所というイメージなんです。   人里離れた水車小屋はエロティシズムの対象になっていた面もあるんです。   そういったものは日本の文献等、表だったものには出てこない。  日本には伝わってもないので、水車小の美しい娘」とするきっかけだったわけです。   

シューベルトは詩を通して良く判っているんです。  水車小の娘を救済するという形で作曲しているんです。  25話あるがシューベルトが選んだのは20話で、省かれた5つを見てみるとエロティシズムなどが激しく書かれている詩なんです。  シューベルトは一つ一つの詩の読み込みに物凄く深いです。   シューベルトの曲は、明るい曲で進んでいるのにふっと悲しみの影が差す時があるが、詩の水面下のなかに悲しい潜在意識があるんだなと言うことが判るんです。  私はシューベルトによって詩の解釈の仕方を教わった気がしました。   シューベルトの魅力の一番大きいのは転調ですね。

小さいころピアノとヴァイオリンはやっていましたが、言葉がしゃべれない頃から蓄音機の前に座りっぱなしの子だったようです。  父が音楽が大好きでした。   姉はヴァイオリンが超優秀で演奏家として活躍しました。  私はヴァイオリンも駄目で歌も駄目でした。   中学のころから文学と音楽を融合した様な音楽評論をやりたいと思っていました。  音楽評論家の人から母に音楽評論家になるんだったら、外国語、特にドイツ語をやりなさいと言ったそうです。   大学では友達とロックバンドを組んだりして、ドラムスをやったりキーボードを弾いたりしていました。    クラシックもロックも好きなのでこちらが高級、こちらが低級と言うようなことは全くないですね。  

新聞社のクラシックの音楽担当になる事によって、そういった世界に入って行きました。  留学してケルン音楽大学で歌曲伴奏のクラスに入り浸っていました。   ドイツに行ってよかったのは日常生活の体験です、文化的体験、自然的な体験を含めて。   著書もそこで体験したのが根っこになっています。   日本に戻って、コンクールの審査や各地の音楽ホールの運営のアドバイスにも携わりました。    一次予選、二次予選で消えてゆく人たちがいますが、結果を求めて受けるのではなくて、誰かが聞いてくれる、そこがコンクールの一番いいところだと思います。   その人の音楽性に波長に合う人が必ず聞いている。  予選で落ちた人への才能の支援をしていきたいです。  

桐朋学園の特任教授に呼ばれて4年目に、一部の教授から学長にとの声があり、3期9年と務めました。   大学経営については寄付に対する考え方を変えたり、素晴らしい伝統だけに中で充足してしまうところがあるので外に向けて開いてゆくという事も考えました。  大学院も作りました。  桐朋学園は自由な校風があります。   コンクールでいい成績をおさめたりすると、テレビ、新聞などに出ますが、そのことを学内に掲示することはしない様に徹底してやっています。  コンクールに出た仲のいい友達同士でも仲たがいする可能性もあるかもしれない。   コンクールはその時のいろんな条件が整って1位とかになるが永遠の価値ではない。   SNSのいいところはすぐにパーっと売れることで、売れることを目指すのではなくて、リアルな小さな演奏会を大事にしたい。   私自身も小さな演奏会を歩いて聞きに行って、演奏の場を共有するような場を作りたいと思っています。 時代には合わないと思いますが、売れる演奏家だけがいいという風になっては残念だなと思います。  次に「白鳥の歌」に取り組みたいと思っています。