2022年7月13日水曜日

西本智実(指揮者)           ・音楽を通して平和を祈る

西本智実(指揮者)           ・音楽を通して平和を祈る 

大阪音楽大学作曲学科卒業後1996年、ロシア国立サンクトペテルブルク音楽院(指揮科)へ留学し、ロシア国立交響楽団首席客演指揮者や、サンクトペテルブルク国立歌劇場首席客演指揮者などを外国人として初めて歴任します。  その後欧州だけでなくアジアやアメリカにも進出、およそ30か国から招聘されるなど、世界中で活躍して現在はご自身で旗揚げしたオーケストラの芸術監督兼首席指揮者を務めるなど、指揮だけではなく演出にも関わり、さらに活動の場を広げています。

ロシアにもウクライナにもたくさんの友人がいます。  近しい関係で難しいことがあるけれども、まさか戦いが起きるとは思いたくもなかった。   戦争は誰も避けたい、一刻もこの状態が無くなるように、小さな力かもしれないが何とかしたいという気持ちでいっぱいです。  「鶴」と言う作品の背景は旧ソビエト時代に詩人が広島に訪れて、原爆のむごさを知らなければいけないと、生まれた曲が「鶴」と言う曲ですが、日本の象徴の鳥でもあるわけです。  「鶴」と言う曲をロシア、ウクライナでもほとんどの人が知っています。   向こうに届くように演奏の機会を考えています。  

ヴァチカン国際音楽祭はヴァチカンのサンピエトロ大聖堂はじめヴァチカン直轄のサンパウロ大聖堂などで、毎年秋に開催されている国際音楽祭で、このような聖地で音楽を演奏して神に奉げるという音楽祭は他にはないです。   カトリックの洗礼を受けていない我々でもそこに参加しているときことが高い意義があります。   2013年に招聘されて以降毎年招聘されて栄誉賞を授与されました。   世界を代表するオーケストラや合唱団がヴァチカンに招聘されて演奏しています。   日本で新設されたイルミナートフィルハーモニーオーケストラ、合唱団はアジアの団体として初めて招聘されて、しかもヴァチカン国際音楽祭名誉パートナーオーケストラ合唱団の称号を授与された。

ずーっと呼んでいただいているうちに交流が出来てきて、かつ世界に発信できる機会です。ヴァチカン運営のテレビ放送の中継によって世界35か国に伝えられている、世界に向けて音楽を通して平和を祈る、まさに今必要な事です。   ヴァチカンから発信するということは凄く重要なことだと思います。  

サンピエトロ大聖堂は非常に大きな建物で、ミケランジェロ、ベルニーニと言った方達の彫刻があり、絵画があり、人類の英知そのものなんです。   天井が物凄く高くて、自分たちの演奏が自分では聞こえない。(反射して直ぐ帰ってこない)   時差をもって上から降って来る、演奏が終わると残響音が降って来る。   コンサートとは違う感じが大聖堂では感じました。  レクイエム(祈りの曲)は神秘的な体験でした。  休符の時にも計算して作られていた。  毎年演奏しているのが「オラショ」と言う曲で、日本にキリシタン文明が入ってきて、その時に残して言った歌ですね。  オラショは祈りと言うラテン語です。   起源はイベリア半島で歌われていたグレゴリオ聖歌、江戸幕府の弾圧を逃れた隠れキリシタンの里、長崎県の生月島、発覚しないようにもごもごと言葉にしないように伝えた。  私の曾祖母はそこで生まれました。 その話は祖父から小学生のころ聞きました。 生月島に何百年も口伝だけで受け継がれたものを、元のオリジナルの状態のグレゴリオ聖歌として、ヴァチカンで演奏しました。   

もしかしたらこれをするために、何かこういう道を歩いたのかなあとさえ思いました。   凄く感動しました。   2013年以降毎年「オラショ」を演奏する事になりました。   今はコロナで中止になっています。   

1996年にロシア国立サンクトペテルブルク音楽院(指揮科)へ留学しました。  オペラの現場で仕事をしていました。   オーケストラの総譜を各楽器に移す作業が大変なんです。  照明、字幕も歌に合わせて出さないといけないのでこれも重要です。   音楽アシスタントもやりませんかと言われて、楽譜がもらえて、オペラのリハーサルの現場に携わって勉強できる、こんな機会は有りませんでした。   次には副指揮者はどうですか、とかいろいろ任され始めました。サンクトペテルブルク音楽院はロシアで一番古い音楽院です。   当時チャイコフスキーにしてもロシアの音楽家は外国から雇って演奏してもらったり踊ってもらったりするものであって、そういう事はしないのが慣例でした。    チャイコフスキーは官僚になる予定でしたが、自分は職業音楽家になると決めました。  カーネギ―ホールがオープンした時に指揮をしたのがチャイコフスキーでした。   チャイコフスキーの先祖は今のウクライナの土地です。   文化は接ぎ木だと思っていて、急には生まれない、影響されながら一緒に作ってゆく。   

指揮者はオーケストラ、合唱団などに対して一人で向き合っていて、或る意味ストレスがあります。  初めてのところで怖いとかと言う思いに対する訓練も必要です。  インターネットが普及し始めて、行ったことのない国立のオーケストラと急に連絡が来ます。   2002年に民間オーケストラ「ロシア・ボリショイ交響楽団ミレニウム」の首席指揮者に就任しました。(32歳)   当時はロシアは激動の時代で突然公演がストップしたりしました。    2004年 、チャイコフスキー記念財団・ロシア交響楽団の芸術監督 兼 首席指揮者に就任しました。   同年チャイコフスキー記念財団・ロシア交響楽団の芸術監督 兼 首席指揮者に就任しました。  2010年ロシア国立交響楽団首席客演指揮者を務める。  

オペラ劇場で指揮者をやっていたという事は強みでした。  オーケストラだけを指揮するとはまた違います。      私が演出をしだした一つの原因はオペラ劇場に呼ばれてオペラを指揮して、演出内容は聞かされてなかった。  私が考えていることと全く違っていた。  オペラは演出が凄く重要です。  2012年に日本でイルミナートフィルハーモニーオーケストラを旗揚げ。     外国の文化に接して外国では自然と対峙するような感じがあり、日本に帰って見ると自然と一体化するとか、そういう文化が凄いと思いました。 演出は自分ですべてやると言うわけではなく、相談してまとめ上げるようにしています。 逆境はそこが一つの変わり目と思ってエネルギーを向かわせてほしいと思います。    音楽は役に立っているのだろうかと、引きずることがありますが、「元気が出ました」とか言っていただけると、本当にやってよかったと思える言葉です。  音楽の力はいろんな人の役に立つかもしれないなあと思っています。