2021年2月23日火曜日

石坂浩二(俳優)             ・わたしがわたしでいられる理由(わけ)

 石坂浩二(俳優)             ・わたしがわたしでいられる理由(わけ)

大学在学中にVドラマでデビューし、卒業後劇団四季に入団,NHKの大河ドラマに3回も主演する一方、司会者やナレーターとしても活動して来ました。   多忙を極めた石坂さんはスランプに陥ったり、がんに侵されてドラマを降板したこともあります。   そんな石坂さんを救ったのが趣味でした。   趣味に熱中することが石坂さんの人生においてどのような意味を持っているのか、また石坂さんは今夢があります。   それは子供向け番組に再び携わることです。

家にいる趣味が多いです。   趣味というのは、こだわりがないと趣味っぽくはないと思います。   数学をいまやってみると面白くて、数学の本はよく読んでいます。  絵はずーっとやってきました。    ガンで入院したことがありましたが、絵をを描いているどころではなかったんですが、家に帰ってきてすぐにはそんな気持ちにはなれなくて、一月ぐらいしてから描いてみようと思いましたが、なかなか手が動かなくて、ちょこちょこっと毎日手を動かすようにしました。   微分積分とは何かという事を考えてゆくとなかなか面白いです。 ちゃんとやっていなかったのがもったいなかったと思います。   いろんなところに数学は絡んでいます。   

飛行機のプラモデルも日本のものよりもドイツ、イギリスのものが好きです。    彫刻、油絵も触ってみたいが触ることはできないが、プラモデルのキットを触っている時には癒されます。   プラモデルに色を塗るときには手塗りが好きです。  

趣味を共有することは、一つは定年後の方たちのために今作ったらこうですと、いろいろ発見があります。   

役者としてはこの役柄の人が好きな事は何だろうかと思ったりします。  一番わかりやすかったのは千利休ですね。  人間それほど変わらないと思っているので、どの時代の誰を演じようがそんなに変わらないと思います。   

役者だけではなくて、いろんなことをしていたから精神的にも健康でいられたことはあると思います。   好奇心が昔から強かったです。  母の遺伝ですね。         劇団四季にいたときにも自分の劇団も持っていて、その劇団の台本を書いたり、劇団四季で作った道具を何とか工夫して自分の劇団に使えないかとかいろいろやっていました。   仕事と趣味の堺があまりなくて、なんか作るのが好きでした。   演じる側としては達成感が無くて、なにかが残ってしまったりします。   

人間って、生まれた年というか、生まれた時間がその人の一生をほとんど決めているものがあると思います。   1941年に生まれて、36mmでは駄目でTVでは16mmで撮っていて、TVが盛んになってきたころに、ドラマがちゃんと撮れて、それが青春時代と重なるわけで、TVの仕事をしだすとカラー化していって、大河ドラマをやらせていいただくとか,TVと一緒に育ってきたような感じです。   そして映画を何とかしなければいかんという事で金田一耕助をやるとか、時代の流れと共に来たので、ここまでやってこれたと思います。

20代、30代にNHK教育TVの子供向け番組の脚本を書いていたりしていました。  童話みたいなものも書きました。   子供向け番組は好きでした。  作り手側が真剣でした。  子供目線でというのは駄目で、本格的なものを作るつもりでやらないと子供は見てくれないです。 子供は理解できないと思ってもそれはやっちゃう方がいいんです。  すると子供なりの理解をしますからそれでいいんです。 

絵描きさんが書いているものが実はシュールで、そうじゃないと写真と同じになってしまってつまらないわけです。  写真と絵が違うのは絵がシュールだからです。  子供の頃のものを見て、あれはシュールだったと言ってもらえれば多分万歳だと思います。

コロナで仕事が少なくなってゆとりの人生になって、ゆとりがいいんですね。  60kgぐらいあるボルゾイを飼っていて、1時間半ぐらい散歩をしたりしています。    プラモデルでも、絵でも細かいところに目がいかないと駄目で、西洋タンポポが多く咲いていますが、日本のタンポポが咲いているとか、小さいことに気が付いたりします。  気づきが好奇心を衰えさせないようにしないといけないと、繋がってきていると思います。

数学をもっと易しく興味を持たせるように、子供むけの番組が作りたいですね。