2019年1月2日水曜日

木村万里(笑いのライブプロデューサー)  ・笑いの仕掛人として40年

木村万里(笑いのライブプロデューサー)  ・笑いの仕掛人として40年
富山県生まれ大阪育ち、20歳のころ上京し、デザイン会社に就職、受け付けを担当、その後雑誌の編集に携わり、タウン誌東京情報の演芸祭りボランティアのページを担当、落語特集を一人で9ページ作ったりしました。
木村さんはこのころに、笑いをライフワークにするベースが築かれたと言います。
その後、民放のTV番組の小冊子の編集や、新聞の連載クラブ等を通じて幅広く芸人たちを紹介してきました。
書くばかりではなく直接ライブに関わっていきたいと思い、10年ほど前に企画制作した「渦」を立ち上げ、落語、大道芸、音楽、講談、スタンダップコミック、そういうジャンルの垣根を越えた混在ライブの公演を続けて来ました。
下北沢の劇場で行う公演では去年の秋40を数えています。

「渦」42回目の公演を開催、10年以上になります。
年に2回行います。
みんな忙しいので声をかける順番が難しいです。
柳家小春(「たぬき」を全編通しで弾いてくれた)、小林紀一(三木のり平の息子、遊芸人 手袋で人形を作って色々芸をする)、坂本 頼光、すわ 親治、米粒写経(漫才)等が参加しました。
全部で6公演です。
色んな笑いを笑ってもらいたいともいます、笑いの質がそれぞれ違います。
違うジャンルの方を組み合わせる。
お客さんだけでなく、楽屋でもシャッフルされます。
Aさんを観に来たのにBさんの面白さに気付いたりするわけです。
「寄席」だと芸術協会等に属さないと出られないので、大道芸なども含めそれぞれの良さを新しく発見して喜んでもらいたいと思っています。
TVだとどうしても画一的になってしまう、レンズが選んで観させられている。
ライブだと自分の眼で色んな方向から見られる。

大阪の施設に住み込みで働いていました。
宿泊と結婚式、宴会、会議を全部そこでやるので、全てに対応しなくてはいけない。
大阪市立大学に行きたかったが受からなかった。
本が好きで図書館の司書になったら本の中で囲まれて暮らせると思って、図書館司書短大が東京にあることが判ってそれをめざしました。
短大に行くためのお金もたまらずデザイン会社に来ました。
受付に入って、関西弁をなおすのに苦労しました。
コピーライター養成講座に行きました。
この仕事には向かないかと思ってタウン誌の仕事をすることになりました。
担当したのはボランティアと祭りと演芸でした。
当時ボランティアという言葉が無かったです。
手話の教室にも行きました。
祭りはお神輿情報の取材などを行い、演芸は「寄席」通いをしたり、お蕎麦屋さんでやっているのを特集したりしていました。

大阪時代19歳のころに立川談志さんがディスクジョッキーをやっていて大ファンでした。
20歳のころ梅田花月の談志独演会に入って「芝浜」を聞いて衝撃を受けました。
立川談志さんは自分でもできが良かったと思ったのか、終わってもお客さんと坐って話をしていて私もそこに行きたかったが、いけなくて拍手をして、急ぎ仕事場に帰らざるをえませんでした。
立川談志さんに手紙を出しました、そうしたら返事が来て居て又感動しました。

山本 益博さんを立川談志さんから一声紹介されました。
漫才、落語、演芸、山下清のドラマとか色んな編成がありました。
それの小冊子の編集でした。
かなりハードで寝むる時間も無く、一人で20ページぐらいをやっていましたが、色んな人との出会いがあり楽しかったです。
文化人類学者山口昌男さん、作家の色川武大さん等とお会いすることができました。
その仕事が笑いのライブプロデューサーのいしずえに成っています。
毎日新聞に連載されるようになりました。
「お笑い昆虫記」、「お笑い採集記」、「お笑い漂流記」など担当しました。
しかしその現場の面白さを伝えられずに、じゃあライブだと思うようになりました。
当時は落語界は冬の時代でした。
志の輔さんとかのライブのお手伝いをしてやったりしていました。
ライブだと肌感覚で見られる、TVだとカメラマンが捉えたレンズを見させられている感じがしました。
ライブだと「気」があります。

笑いの効用、笑いは一つのリセットになります。
悩んでいると外が見えなくなるが、笑うとほどける、息を吐くと言う事は大事なことだと思います、身体を活性化する。
20歳のころにデザイン会社に入っているころ、ブレインと言うのがあって「関係としての笑い」という連載がありました。
ライフワークに足りるなと思いました。
それは「日本人の笑い」という本になって出ました。
落語には救われました、落語に出てくる人は普通にいきている、良いのかこんなふうでと楽になりました。
笑いは潤滑油、価値転轍機となります。
生きてゆくためには必須のアイテムだと思います。
同じことばっかり考えているとからだが悲鳴を上げます、身体の声を聞いて身体を信用する。
戦争がなくなればいいと思っていて、何をすればいいかというと、価値観って一杯あるよという事をみんなが受け入れれば、戦いは少なくなるのではないかと根本に思っています。
色んな事を許容できる、身体でいえば体幹、気持ちの体幹みたいなものを笑いで鍛えて行きたい、そうすればどんなことがきてもへっちゃらです。