2018年3月16日金曜日

野下千年神父(長崎県宗教者懇話会)    ・宗教の壁を越え、ともに“平和”を祈る

野下千年神父(長崎県宗教者懇話会)    ・宗教の壁を越え、ともに“平和”を祈る
宗教の違いによる争いで多くの人が命を落としています。
宗教を理由とした差別や偏見で苦しむ人もいます。
異なる宗教同士が互いに理解しあうことができないのか。
この問いに半世紀近くにわたり取り組まれているのが、キリスト教カトリック神父野下千年さん(80歳)です。
カトリックの家庭に生まれ育ち、神父になった野下さん、力を入れているのは長崎の宗教者の団体でつくる長崎県宗教者懇話会の活動です。
長崎県宗教者懇話会は神道、仏教、キリスト教、新しい宗教を含めた宗教者同士が、お互いを知り尊重し合うことを目指して、式典を開いたり、祈りの場を設けたりするなど共に活動しています。
トルコのイスラム教の指導者とも交流を続けています。
どうすればほかの宗教を理解し受け入れることができるのか、これから宗教や信じることはどのような役割を果たすのか伺いました。

私の5代目上の先祖の夫婦は、大村牢内で獄死しました。
私の父は歴代のクリスチャンでした、母は仏教徒でした。
18歳の時に父と結婚しました。
母の姉の家が熱心な仏教徒で、泊りに行ったときなど私は一緒に朝仏壇に手を合わせていました。
従兄弟など彼ら仏教の子も家に来た時に、カトリックの家庭では朝夕に祈りを10分しますが、彼らも一緒にお祈りをしました。
信仰的に信じにいく訳ではなくて、そこは愛ですよ。
信じる者同士の心の通いをすると、お互い嬉しいでしょう。
それを子供のころから実感しました。
1963年から5年まで、バチカン公会議がローマで開かれました。
キリスト教を信じないほかの宗教にも素晴らしいものがある。
カトリック教会は違った宗教に中にある正しい宝、教えにしても何一つ排除しない、それを決定したのはバチカン公会議が初めてです。

江戸時代にキリストが禁止されて弾圧を受けました。
お寺はなかったが、曹洞宗の寺を置いてその天福寺の檀徒にならないといけなかった。
カモフラージュするようになって受けつがれて、明治6年の信仰の自由になるまでそうしていました。
そうして3つに別れました。
神父が来たのでキリスト教に戻りますと言う一団が教会作りに励み、隠れていたグループ、お寺さんに世話になろうという話し合いをし仏教徒になる、異教徒同士です。
喧嘩していることは見たことはないが、差別用語みたいな形で軽蔑をしたりしていることはあり、見えないカーテンみたいなものがありました。
3者の交流を持つためには何かないかと思ったのが、よりどころの枯松神社でした。
枯松神社は弾圧時代に集落の人たちがひそかに、信仰の指導者だった伝説の伝道師バスチャンの師であるサン・ジワンさんのお墓を訪問してお祈りをしていた。
ここだけはかつての共通の史跡だと思って3者を繋ぎ合わせることはできないかなと思って、同じ弾圧をうけた先祖たちの慰霊を一緒にしようじゃないかと云うことで、合同で祖先の為に祈る、供養をしようと云うことでした。
ここでミサをしようと云うことを提言したら、反対は全然ありませんでした。

ミサの中でどういうことで一緒に成れるか考えて提案したのは、ミサのなかで奉納と云う部分があるが、何を奉納するか、隠れキリシタングループはお祈り(オラショ(祈り))奉納、仏教徒は花と果物、カトリックはパンと葡萄酒、ここで一緒の奉納が成立するようにこれが私のアイディアでした。
これで3者が成立しました。
隠れキリシタンの村上さんとは密に交流をしました。
7年いましたが毎年クリスマスケーキを持ってきました。
おもちも貰いました。
村上さんは隠れキリシタンの信念を持っていました。
体が悪くなり入院して、正月3日に長男と甥児さんがきて、父が重篤に入っていて、父から自分が死んだら野下千年さんから送ってもらいたい、教会で葬式を挙げてもらいたいので頼んでくれと云うことでした。(隠れキリシタンの方法ではなくて)
その翌日亡くなり、葬式を済ませました。
隠れキリシタンの方も、仏教徒、カトリックの人もきてくれて感動しました。

長崎県宗教者懇話会の目的は宗教者の友好を作ることです。
違った宗教の垣根は高いです。
8月9日が長崎の原爆記念日にあたっていて、その前夜祭として8日の夕方に合同法要を営みます。
黙とうで祈ります。
神道、仏教、キリスト教、心の中ではそれぞれの唱えがあるかもしれませんが。
そして宗教を越えて全部で10曲ぐらい歌って、一番最後は献花になります。
長崎県宗教者懇話会では2005年から国を越えた宗教対話にも取り組み、被爆60年でカトリックのバチカンに行くことになりました。
2年後に仏教の巡礼、巡拝をしました。
2010年にはトルコでイスラム教指導者との対話をしました。
シーア派との交渉をしました。
日本ではこういうふうな事をしているというメッセージを伝えたかったわけです。
トルコのイスラムのなかの最高指導者の3人のうちの1人が中心で6人の方と対面しました。
世界の平和の為に一緒にお祈りをしますと言うことをいったら、違った宗教の人がどんなふうにやるのかと云って、黙とうすなわち言葉なしで心の祈りを合せていると言ったら、深い驚きと同時に頷きました。

モスクに入らせてもらったらいいかと言ったら、今すぐに行こうと言うことになりました。
1時間の礼拝式にあずかりました。
本来違った宗教は許されるものではないと思うが、よく許してくれたと思いました、話せば判る、と云うことだと思います。
意味のある出来事だったと思います、ほんとうに行って良かったです。
翌年8月9日の4か月前にトルコのイスラムから長崎に行きたいという連絡がありました。
8月9日の前々日から来て、実現しました。
トップの人は90歳で国の要職にあり、国から止められてしまった。
私宛の親書がきて、自分は日本で死んでもかまわないと思った、行きたかったけれど政府が許さない、私たちは誰もやがて逝く所で会う、神様のお庭で会いましょう、と書いてありました。
これは長崎県宗教者懇話会にとっても本当に良かったと思います。

真に正しい祈り、平和、お互いの幸せなど目指した祈りはどの祈りでも同じところに届いてゆく、人間の力を越える解決を神にお願いすることだと思います。
極端に云うと最もいい宗教は自分の宗教だという確信が、むしろ必要です。
その確信を持って手をつなぐ、それぞれが自分の信じている信仰に確固たる信念を持つ、それを捨てて仲良くなるのでは無く、それを持ちながら一緒になる。
そうした時に宗教者の集まりにパワーが出てくる。
お互いの宗教の良さを発見することですね。
本当の祈りをささげていれば戦えないと思います。
憎しみがおおっている祈りは祈りではない、相手の不幸を求めている祈りは祈りではない。
愛が伴わない祈りは駄目です。
祈りは相手の幸せを願う、愛の神様に対する、不幸な人に対する愛の言葉です。
それがないなら喧嘩になるでしょう。

いまなにを信じるか、役割、意味。
愛、希望、赦し、そういうものを養うことだと思います。
人間の能力を超えた存在に信頼する、そういうことを持って対処するから、自分を越えた善が有る、善の根源が神様だと思います。
その心に添い、その心にすがることによってよい希望を持つ。
場合によっては悪(間違った考え方)を消化する力になって行く、そう思っています。