2016年9月24日土曜日

茂山千五郎(大蔵流狂言師)   ・お豆腐狂言を継ぐこと

茂山千五郎(大蔵流狂言師)   ・お豆腐狂言を継ぐこと
(H28/9/3 京都府南丹市の「ラジオ深夜便のつどい」で収録)
お豆腐狂言とは、京都に400年続く狂言師の家、茂山千五郎の家訓です。
豆腐の様に味付けしないで高級料理にも、庶民の味にもなる親しみやすいお豆腐公演を目指すという意味です。
茂山千五郎さんは狂言師20人を有する茂山家の当主茂山千五郎を今月18日に襲名されました。
茂山家の特徴は30代~40代の気鋭の狂言師たちが能狂言はもちろん、映画、ドラマ、ミュージカルなど他の舞台に積極的に挑戦して芸の幅を広げている事です。 
自由奔放、多士済々の面々を率いる当主千五郎の襲名を半月後に控え、狂言という芸能について、襲名する心のうちについて伺いました。

狂言は約650年前、室町時代にでき上った古い芝居、古典芸能、伝統芸能。
代表的な古典芸能、①歌舞伎、②文楽(人形浄瑠璃)、③能、④狂言
①,②は江戸時代、③,④は室町時代。
③,④は元々同じところから発生している、二つあわせて能楽と呼んでいる。
古典芸能とは、①古い、②着物を着てお芝居をする、③出来上った当時(室町時代)、その頃の人が考え出した演技の仕方、演出方法などを今なおずーっと守って上演している。
日常の仕草と狂言の芝居の演技の違いを披露する。
軽く笑う仕草だが大げさに大きな声で笑う。(誇張した大げさな演技をするのが特徴)
室町時代は殆ど野外で演技したので、(神社仏閣の境内、河原など)今何をしゃべっているのか、どんな演技をしているのか判ってもらわないといけないので、演技が全て大げさで誇張した演技をしていた、それが特徴です。
泣く仕草、これも大げさ、豪快に泣く。

狂言は笑う演技が代表的な演技、歌舞伎、文楽(人形浄瑠璃)は悲しい芝居が多いが、狂言は喜劇に特化している。
野外で舞台装置がおけないので、何にもない舞台の上で芝居をしてゆくのも特徴となっている。
セリフ、身体の動き。
大蔵流は200曲ぐらいあるが、95%ぐらいの狂言が最初に名乗りという、自己紹介から始まる。
私はどこに住んでいて、どういうもので、これからなにをしようとしている、どこどこへ行こうと思っている等の自己紹介をする。
言葉で「竹藪にきた」と言うと、竹藪が有るごとくに芝居をしてゆく。
お客さんが状況をイメージしながら役者と一緒になって狂言を作り上げてゆく。

茂山千五郎家に生まれ育ちましたが、茂山家は江戸中期ぐらいから始まっています。
能楽師は下級武士だった。
明治維新で全ての能楽師がリストラになってしまった。(正重の時代)
能舞台以外ではやってはやってはいけない、他の分野の人との交流してはいけないという暗黙の了解が有ったが、正重はそんなことは言わずに、楽しんでもらえれば、依頼が有ればどこまでも出掛けて行って上演していましたら、仲間内から「茂山の狂言はお豆腐見たいやな」と言われた。
正重は豆腐でいいやないかという事で、茂山の狂言は豆腐の様な狂言を目指しなさいと言う事で、お豆腐狂言というものがその頃から、茂山家の家訓として伝わってきたわけです。
正重のつぎに11世真一(私のひい爺さん)、中学2年まで生きていましたので、ほぼ毎日のように稽古を受けました。
七五三(しめ)、政次が生まれてきて、数年前に亡くなった千作(七五三)と千之丞(政次)です。
この二人は戦後の動乱期を生きてきたので色んな事をしてきました。
歌舞伎舞台に出たりしました。
日本能楽協会から除名されるかどうか、というところまで行って、祖父は千作は辞めますと言って辞めて、千之丞は辞める必要はないと言って、喧嘩になって、真一(私のひい爺さん)が生んだ私に責任があるといって、3人纏めてやめるといいだしたが、まあまあという感じでうやむやのうちに収まったようです。
その頃から色んな事をやり始めました。

父は新作狂言というものに力を入れました。
江戸時代までの上演が古典狂言、それ以降が新作狂言。
500から600ぐらいは作ったのではないかなあ思いますが、その後も続けたのは10本ぐらいだと思います。
4歳が初舞台でしたが、記憶はありません。
小学校のころからは曾祖父に稽古を付けられましたが、当たり前ととらえていました。
小学校高学年になると、ちょっと違うぞと思ったが、親、親戚など周りは全部狂言師でどっぷりと浸かっていました。
中学になると稽古の仕方が違ってきて、本格的な狂言を習い始めて、先ず褒められることが無い。
基礎的な稽古を始めると、褒められることもなく稽古を続けた。
釣狐」をやって初めて一人前の狂言師として認められる。
やるにあったっては追い込まれて、逃げ出したい思いだった。
高校時代には後を継ぐようにとも言われて、20歳には覚悟を決めてこの家を継いでいくんだなあと思いました。

20数年間活動してきて、祖父の凄さを感じていました。
私が今44歳で、家には役者が全員で22人居て、上に9人居ます、トップと言っても中間管理職です。
纏めてゆくためには、上を納得させるだけの実力が無いと駄目。
信頼関係も必要で、代が変わるときにみんなが納得するだけの信頼関係をつくってゆくことも必要です。
うちの役者は個性がばらばらで考え方も、やりたいこともばらばらで、どう纏めてゆくか、と思っているが、花形狂言会をつくっていて、色んな事をやっています。
今まで5人で一緒にやって居ましたが、それぞれ色んな方向を向いて活動しはじめました。
要の部分も必要でこれが茂山千五郎家であったり、茂山千五郎という人物であればいいかなあと思います。
要になるためには信頼が絶対条件だなあと思っています。
今の人間に合う感性、空気感が有ると思うので、子供に判り易くとか楽しんでもらいたいと思っています。
会場の雰囲気、レベルなどお客さんに合わせた公演を続けていきたいと思います。
息子たちに何を教えてゆくかというと、先ずは基本、「釣狐」、次に各々工夫。
息子たちが継いで孫たちがやるよ、と言って死にたいと思っています。
この狂言を川に流れの様に、点を少しでも線に繋げていきたいと思っています