渡井真奈(盲ろう者通訳・介助者) ・知ってほしい、盲ろう者の世界
渡井さんは40歳 8年ほど前から、小学校、幼稚園をまわって、盲ろう者について知ってもらうための特別授業をしています。
視覚と聴覚の両方に障害がある盲ろう者のありのままを子供達の素直な心で感じ取ってほしいと言う思いからです。
渡井さんの夫、秀忠さんは38歳 盲ろう者を支援する仕事をしていますが、自身も全盲で難聴の障害があります。
二人は福祉を学んでいた大学時代に出会って結婚、現在は2人の子供との4人暮らしです。
盲ろう者、眼と耳の両方に障害のある方
何時障害を負ったかと言う時期によっても、コミュニケーション方法は様々です。
主人の場合は 点字を勉強していたので、手と手を重ね合わせて、タイプライターのように点字を一文字ずつ「こんにちわ」と言う風に、点字を打つ、指点字で話をしています。
手話を覚えている方が、目で見ることが難しくなったので、触手話という方法
点字、手話も判らないと言う方は、音声、FM補聴器を付けているとか
掌に一文字ずつ文字を書く、手書き文字、平仮名、カタカナ 等で行う。
ホワイトボードの様な小さなものに相手のいうことを書いてゆく筆記と言う方法もあります。
多少見える人も、人によって見え方も違うので色々です。
盲ろう者の通訳介助者 盲ろうと言う方が病院に行くときお医者さんとの話を通訳する、学校、買い物などで呼ばれたりする。
相づち 相手の肩をポンポンと2回ぐらい叩く。
笑い 相手の肩をポンポンポンと早く叩く。
合っている時は 肩に〇を書いたり、間違っている時は×を書いたりする。
盲ろう者の数は全国で約1万4000人と言われる。
両方障害登録しない事もあり正確には判らない。
主人は7歳ごろに全盲になり、耳の方は生れ付きの難聴だった。
静かな場所ならば、音声で聞こえるが、(右の耳だけ補聴器を付けている)、テーブルを挟んで話す時には聞こえなくなる。
長男が幼稚園に入る前ぐらいの時に、左手に長男、右手に主人、前に娘を抱っこして歩いていた時に、小学生がお母さんと一緒に歩いてきて、主人の事を「あの人、何」と聞いていた。
その時に言われたお母さんが「見ちゃだめよ」と言って足早に去っていってしまったので、その時にはショックを受けた。
主人には状況説明をできなかった。 他にも似たような経験があった。
長男が幼稚園の年少の時に父親参観あり、その時に担任の先生が、お父さんをどうやって他のお子さんに説明したらいいんでしょうかと言われ、先生の見たままを説明して大丈夫ですと伝えたが、先生はどうやって説明したらいいか判らないと言われた。
盲ろう者のことをもっと知ってほしいと思う様になった。
特別授業では盲ろう者の2人に話をしてもらう事にして、どうしてこのようになったのか、と言う事を話してもらって、その後耳栓して、目隠しをして白杖を持って、点字ブロックの上を歩く、盲ろう疑似体験をしたり、街中で白杖を持った人の手引きの仕方、私の紙芝居(2時間)をやると言った様な感じです。
紙芝居は自分で作る。 「ひろ(長男)のパパ 盲ろう者ってどんな人」
白杖、補聴器などの事を説明したりする。
授業の後、手紙をくれたり、調べ学習をしてくれたりする。
大きな模造紙が部屋中に張ってあって、そこに眼の事、耳の事以外に、ユニバーサルデザイン、盲導犬、養護学校とは、いろいろ福祉の分野のことをグループごとに調べて、模造紙に書いてくれた
便利グッツまで考えてくれた子がいた。 凄く感動しました。
今幼稚園、小学校を回っている。
大人は偏見と言うか、ものの見方も出来てしまうので、小さいお子さんは素直なのでなんでも吸収してくれる。
サポートしたいがどう声を掛けていいかわからないと言う事でついつい通り過ぎてしまう人も少なくないので、やり方についても判らないと、危険も伴う事もあると思う。
突然白杖を引っ張ってゆくとか、後ろから押してゆく方もいる。(とても怖い)
白杖を持っていないほうに立って、その人の肘を支えるようにして補助する。
高校卒業するころに、自分は何をしたいのかなあと思った時に特別何もなかった。
絵を描くのが好きだったので、2年ぐらいは美術の学校に行って絵を描いていた。(紙芝居の作成に役立つ)
社会福祉学部があることを知る。 受験して入る。
掲示板に、盲ろう者向け通訳介助者養成講習会の案内が出ていて、それを見て受けてみたいと思った。(もう一度行った時にはすでにチラシはなかった)
電話をして養成講習会を受けたいと連絡して、行く事になる。
交流会の時に秀忠さんと会う事になる。
秀忠さんの授業の通訳をやっていた。
結婚の話があり、かなり迷って1年ぐらい返事をしなかった。
気が合いそうだし、小さいころから寮生活をしていたので自立した方だと思った。
親は私の気持ちを重視してくれたが、でも賛成的でもなかった感じですね。
あちらの親御さんは(この子と結婚しても)いいのか、と言う様な感じでした。
出来ちゃった結婚だったので、私は絶対産みたいと思った。
今は中学1年生(男)、下は小学校4年生(女)
大変でしょうと言われるが、楽天的に考える方なので、悪い事を考えても同じ時間だけ過ぎてゆくので、それならいいことを考えて行こうよと、常に楽しいことを考えてその日、その日と言う感じで過ごしてきたので、すごく大変とは思っていないですね。
いろんなところを回って、活動を重ねることで、地域の皆さんとの繋がりが強くなったと感じます。
娘の小学校にはまだ行っていないので、娘も私も楽しみにしています。
障害者に限らず、お年寄りでも、ちょっと困ったかな、お手伝いをした方がいいかなと言う人を見たら、お手伝いが自然にできる様な子供達になって欲しいなと思います。
眼と耳が障害があると、家から自由に外に出られない方が多いので、ひとりでも多く出られるようになったらいいと思います。。
お子さんたちが素直に偏見なく接してくれればいいなと、欲を言えば大きくなった時に、眼、耳が不自由な人でも物を買う時に、点字がついて触って分かるようなものを作る人に成ってくださいと、おまけ的に授業で言っています。
いろんな人が世の中にいるんだなと言うのを知っていただければと思います。