2013年8月2日金曜日

折元立身(現代アート作家)     ・辛い介護を楽しいアートに

 折元立身(現代アート作家)     辛い介護を楽しいアートに  
1946年 川崎市生まれ アメリカの美術学校で 現代美術を学び、ニューヨークを舞台に活動を続けて来ました  
折元さんの芸術は現実の生活そのものを写真やビデオに収めて、アートにするパフォーマンスアート と言う作品のジャンルで、これまでシドニービレンナーレやベネテュアビレンナーレなどに出品し、現在では国際的にも知られるようになりました  
日本に帰国してからは、自分の母親を介護しながら、創作活動を続けています
折本さんの母親は現在、介護度が4で、常に介護が必要ですが、介護生活そのものを芸術にしようと母親をモデルにした写真を撮ったり、母親と一緒にビデオアートを制作したりして、アートママシリーズと名づけた一連の作品を発表しています  

現在、六本木ヒルズの中の森美術館で開催されている「LOVE展」に展示されている
家族と愛  母親と一緒に撮った写真などが展示 生活そのものを撮っている 
94歳の母親を撮ったら評判がいい
うちのおふくろは1.3mの小さい女性です 小さい時からいじめられていた
2年前のパリフォトで特別賞写真賞をもらった  私が母親をぎゅーっと抱きしめた写真
私の作品はリアリティーが強いので、日本ではあまりこのまれないが、外国は生きる力が強い作品がいいんで、外国では評判がいい

介護度4、と高い 母親を一人で面倒を見ている  
東京芸大 7回挑戦して失敗 絵が小さいころから好きだった
どうしても美術をやりたかったが、予備校の先生が、学校は基礎を教えるところなので、プロは要らないと、地味な生徒が入るところだといわれて、もうなかなか受からないと思った
私立も受けようと思ったが、家が貧乏だったので、やっぱり高い私立は受けられなかった
それでアメリカに渡って、最初どこに行こうかと思ったが、ロスアンゼルスに兄が結婚して行っていたので、ロスに行ったが、天気がよくて、あんまりエキサイティングがなかった
美術学校の先生がニューヨークが良いと言ってくれたので、ロスには1年半ぐらいしかいなくニューヨークに行くことにした

1970年代はニューヨークではトップアートが出たりして、ラッキーだった
若い時に失敗とかが、年をとってからかえってプラスになることがある
芸大に入ってなくてよかった、入っていたら学校の先生になっているか、したりしていると思う
(周りからもそういわれる)
アートはもっと自由で、ニューヨークはエネルギッシュな芸術家が集まってきた
学校に入らないで、ソーホーの画廊を見たり、フルクサスというイベントのグループの作品を見たりして、学校へ行く以上の勉強になった(芸大に行っていたら、見ることはできなかった)
美術は考えるだけものではなくて、感じるものだと思う

アメリカは歴史のない国なので新しいものをジャンジャン作るわけですよ
パフォーマンスアート 細長いフランスパンを何本も顔にくくりつけて写真を撮ったり、街頭にでていろんな人を驚かす、コミュニケーションする
1976年(7年、ニューヨーク居て) 日本に帰ってきて、パフォーマンスアートとはどんなものか、やって切れないかと言われた 
油絵でパンをよく書いていたので、顔にパンを付けてみようかと遊び心から始まったが、お客さんが3人ぐらいしか来なかったので、写真として撮っておいて、パンを数本顔につけて、歩行者天国を友人と二人で歩いた
お巡りさんが飛んできて、事情を説明したら、早くやって帰りなさいと言われる

問題がいろいろ出てきた  ロンドンはやりやすかった(頭が自由) ドイツはどういう意味なのだと言ってきたりするが、一番やりにくいのは日本 なんか変な人がいるみたいよ、ああいうの触っちゃだめよと言われてしまう
コミュニケーションをしたかったのではあるが
人間とのかかわりの方が面白いと思うので、
パンをやってみたが、ヨーロッパは文化のシンボルだと思った
200回か300回、世界中でやっている
最初恥ずかしかったが、4,5年前に感じた アートのしがらみ、頭の中に観念的なものがあるが、顔にパンを付けることによって、そういう観念が全部私の頭から無くなった

頭の中のがちがちの観念的なものが全部捨てられた
新しい考え方が生まれた 
今まで計画的に生きてこなかったので、日本に帰ってきて、両親と住んで、父親が亡くなり、母親が認知症になり始めて、どうするか考えていたが、母親の生活自体をアートにしてもいいのではないかと考えた
段ボールで作った大きな靴を母親にはかせて、外のマンホールの上で写真に撮った
母親は貧乏だったので、子供のころはゴム靴をはいていたが、靴の前がぱかぱか空いてしまって、恥ずかしい思いをした
と言う事で段ボールで大きな靴を作って「ちいさな母と大きな靴」と言う作品になる

問題意識がどのくらいあるか、というのが良いといわれる
イタリアのベネテュアで大好評だった
介護を楽しくやっている状況に共感される
油絵を狭い部屋で書いていたら、父親が臭い臭いと言っていたのを聞いて、母親は4畳半の部屋を借りてくれたりして、決して美術は止めてくれとは言わなかった
偉大な芸術家も一人でやってきたわけではない(ゴッホしかり)
私の母親が居てくれたから、今の自分がある

秋田県の介護施設で活性化しようという試み NHK人間ドキュメントで取り上げられる
1週間泊って、気持ちを通わせ会おうと言う事で、パフォーマンスアートをやってみた
殻ににとじこもっていたひとが、段々心を開いてきて、段ボールで作った靴で一緒に履いたりしてくれた
認知症の人に薬ではなく、刺激を与える
写真、ビデオ、パフォーマンスをやったり、ドローイングをやったりするが、 人間にかかわってずーっとやっていこうと思っている
日本で発表したいが、外国の方が引き合いがある