2011年9月5日月曜日

草刈正雄(俳優)         ・二枚目と言われるのが嫌だった 2

草刈正雄(俳優)  二枚目と言われるのが嫌だった 2  
最初の化粧品のコマーシャルがちょっとコミカルな感じだったのでこれからコミカルな演技に対して興味が有ったような気がする
バチッと決まった2枚目はどうも基本的に苦手ですね 
そこからちょっとずらすようなのが好きですね
兎に角自分が持っている物を全部だしたい 肩っ苦しいのが嫌い
年を重ねてゆくと難しいものがある 
沢村貞子から言われた 「あんたハンサムだから人の3倍巧くならないと残らないよ」と言われた 変えて行かないといけないと思うようになる (30代半ばから)  
舞台は怖かった( 3時間ワンカット NGなし )  舞台もやるようになった 
「若尾文子から舞台をやりなさい」と言われてやるようになる
舞台の方でも仕事が入るようになる ターニングポイントのところで誰かが押してくれる・・・有りがたい
ミュージカルで歌があるが元々歌は好きだった 
ミュージカルは大変 歌って踊ってお芝居でしょう やっている人は大変なんです 「歌うヒットマン」 コメディー映画 歌ったり踊ったりしないと死んでしまう役  自分で感じる自分の変化は→矢張り年相応の役がある 白髪初老 本多正信役   役になりきれているのか居ないのか 考える  
草刈麻有 娘も女優の道に 最初の映画は監督には言われる、私には言われる 
娘は不機嫌になる 最近は何とかやっている
私は母一人、子一人なので家族に対する思い入れはある 
(父は戦争で亡くなる 思い出は何もない) 
子供は多いほどいいと思っていた(娘2人、息子1人)

こういう家庭を作りたい、楽しい家族を思い描く  
父親として子にどう接すればいいか判らなかった 
今は理想の家族に近づいている(家庭が一番)
古里は→嫌いだった 寂しい ちび時代だった 
あそこには帰りたくないと云う思いはあった 
今はあの土地があるから今の自分が有るのかなあとは思うようになった
最近は仕事で小倉にも行くようになり、結構頻繁に帰っている  
親友がすし屋をやっておりその店で昔の友達と会話するようになる    50代の10年は→この世界に入って40年になるがひたすら走ってきたと云う感じ 
ここ2~3年がむしゃらに走ってきたのは疲れたなあと思うようになる 自然体に近づいてきたのかなあと思う 力が抜けてきたのかなあって言う風に思います 
見え方も違いますし、芝居をやっててもそうなんですが 自分自身いい歳の取り方をさせてもらったかなと思います   
60歳 →ドキドキわくわくする 縛りから解放されると云う感じがする 
追いかけられるものが無くなるような感じ もっと自然体でいける様な気がする