2011年9月16日金曜日

乙武洋匡(作家)         ・東日本大震災

 乙武洋匡(ひろさだ、作家)    東日本大震災  
先天性四肢切断 早稲田大学政治経済学部卒業  「五体不満足」
5月、7月に仙台への訪問 衝撃は半年を過ぎ、薄れてきてはいる 
被災した家に4か月振りに戻って我が家の跡地を見た・・・ようやく振り返ってばかりいても駄目だと、前を見ることが出来るようになった
僕は被災当日 都内で音楽の演奏をしていた 
揺れが激しくなって100kg車椅子で今まで倒れることはなかったが、倒れてしまうのではないかと思った
5階だったので エレベーターが止まってしまっており、階段から友人たちが抱え降ろしてくれた
家に帰ろうにも1日半帰れなかった
 
バッテリーで車椅子は動いているので大規模な停電があったらどうやって出掛けたり移動したらいいんだろうと思った
息子 2人居て 3歳、0歳 どうやって息子を助け支えられるのか 自分自身を守ることが出来るのか 不安を感じた やっぱり自分は弱者なのかなあ
自分を取り繕った中で、被災者の事を書いてゆくのは ウソになるし 自分の葛藤をさらけ出すことで初めてきちんと伝わるのではないかなあと思う
ツイッターで友人たちがボランティアをしている事を知り、素直に素晴らしい事をしているなあと思う反面、残り半分は悔しいなあという思いがあった

自分が今被災地に行っても、足手まといになるだけだ、何も手助けする事は出来ないという思いがあった
1カ月経って救援物資が行き渡るなるようになって、次に必要なものは何かと考え、被災地の方々がもう一度前を向いて頑張ってゆこうと気持を取り戻してゆく事なのかなあ
そのためのお手伝いなら何か僕にも力になれる事があるんじゃないかと(瓦礫撤去、ヘドロの除去とうはできないけれども)思うようになる・・・4月の中旬
5月の上旬に1週間ほど伺った →報道で現地の様子は入っていたけれど、あまりに現実とかけ離れていたので映画のセットのようにしか捉えられていなかったのが,実際に現地に行ってみると 映像だけでは気付かなかった瓦礫の間に 子供たちが使っていたであろう  
色鉛筆だったり、上履きの片っ方だったり泥にまみれて落ちている
 
そういうのを目にしたときに、やっぱり映画のセットではなくここに生活があり、命が有ったんだなあと実感させられ、胸をしめつけられたのが何度もあった
大河小学校 児童の7割が津波の被害に遭ってしまった 
教員も校長先生ともう一人の先生を除いてみんな被害に遭ってしまった
壁が全部剥がされてしまっているし、鉄筋も曲げられてしまっていた 
中身のヘドロや瓦礫でめちゃめちゃになっていた
綿の葉小学校で授業を担当することになっていた 突然命を失ってしまった無念さ それを胸一杯に受け取ったからこそ生き残った者の責任というものを伝えてゆく
それが今日の授業じゃないかと思った

授業終了後、お母さんが震災後あんな笑顔を見たのは初めてでしたと言ってくれた  
障害者の施設にゆく 東京で体験した時の比ではない もっとしんどい状況で強さだったり、笑いだったり乗り越えようとしている人達がいる 自分でももっとやれると思う
受け入れる大切さなのか 障害のある人とない人との関係と、被災した事のある人とない人との関係って似ている部分があると感じた
障害の無い人は障害を持った人に対して可哀そうだ、何かお手伝いしたいなと思っても何をしたらいいのか判らないし、下手に何かをしたり言葉をかけることによって,却って傷つけてしまったらどうしようと臆病になってしまう面がある
 
被災してない人が被災地の方々に対しての思いと似ていて何かして差し上げたい、何をしたらいいんだろう 下手に何かして傷つけたらどうしようとか
凄くそういう空気が日本中にあったと思う  なんかそれに似ているなと気付く 
僕は普段自分を見た方から「感動しました」とか「頑張ろうと思いました」という言葉をかけられても僕は普通にやってるだけなんだけれどもなあという思いでいた
処が僕は今回被災地で前向きに頑張っている方々の取り組み、活動を見て凄く励まされたり、勇気付けられたりして、でも彼らは僕らを感動させるためにやっているのではなく,自分の為、自分の家族の為に自分の街の為にもう一度頑張ろうと思ってやっていて、それを見て僕たちが勝手に心を動かされている  

もしかしたら皆さんが僕を見て感動しましたとか凄いですねって言って下さったのはこういう気持ちだったのか知れないなと初めて気が付く事が出来たんです
楽天イーグルスの開会式に始球式をする事になるが、いろいろ案が出たが自分で投げさして下さいと云った この事に自分自身驚いている
僕はちっちゃい頃から皆さんと同じことをしただけで、褒められると云う事が多かった(例えば歩く、食べる、字を書く)
あっそうか障害者だからなにも出来ないという前提があるから褒められるんだなと思う 褒められて居ながらどこかで馬鹿にされている様なそんな気持ちも多少あった
持ち前の負けず嫌いと相まって みんなと同じだけじゃ自分は満足できない みんなよりも旨く、上手にやりたいと云う気持ちが凄く強かった

始球式で自分が投げると云うのはその延長線上にあると思う そうするとみんなが凄いと褒めてくれるんだろうな・・・それは自分自身では余り良い感情ではないと思う
それでも僕に投げさして下さいと云ったのは、優先すべきは僕の感情ではなくて、それを被災地の方々がどう受け取って下さるか、それが大事なことなのではないかと思う
僕がボールを投げる姿を見て あーっ乙武さんも手や足を失って生まれてきたけれども、残された部分を使ってああやってボールを投げるんだと,私達も震災で失ったもんはあまりに大きいけれども、この残された命と残された人達との繋がり生かしてもう一度頑張って行こうと一人でも二人でもそんな気持ちになって下されたら、是非自分にやらして下さいとそんな気持ちになれた
 
始球式はほっぺたと短い左腕の間にボールを挟み、上半身を思いっきり後ろにひねるような形にして、反動を付けて大きく前に身体を倒す 
それと同時にボールを放すと,ボールが投げられるんですけれども、想像していた以上に皆さんは受け取って下さったみたいです  
最初どよめきが起こって、本当に温かな拍手で包んで下さった 
同情での拍手でなくそのボールしっかり受け取ったよという風に僕自身は受け取った
「みんな違ってみんないい」・・・鈴木みすずの詩
僕は炊き出しが出来ない、瓦礫の撤去が出来ない、皆と同じような肉体を使ったボランティア、支援はできないと云う事に苦しさを感じていたが ,その後1カ月考えに考えてこれなら自分にもできるかも知れない という事で石巻小学校の特別授業であったり、始球式であったり僕なりの出来ることをさせて頂いた
 
支援の仕方もいろいろあっていいと思えた
何かをしなければと思うとそれに潰されてしまう 
何かを見つけるにはまず自分としっかり見つめ合い、自分のいいところ、得意な事をしっかり見つめる
それと同時に自分に出来ない事、苦手な事を見つめてゆくと云う事が大事なのかなあと思う 人との繋がりが如何に大切で人生を豊かにするものという事に気付いた人が多かったんじゃないかと思う  
被災してない人間でも矢張り自分の価値観や人生における優先順位を考え直す機会になったと思うし、実際に大きな被害に遭われた方であれば,人と人との繋がりの温かみ、有難味を感じた
と思いますし、現代社会は人と人との繋がりが失われつつあるという警鐘が鳴らされていた今だからこそ,矢張り今回の震災を機にもう一度その素晴らしさ、人間は決して一人では生きていけないし、一人で生きて行こうとしたってつまらないものだよねと再確認する
 
そんな機会に出来たらいいなと思ってます
復興に向けての活動は→一つは届ける もう一つは持ち帰る  
この二つが出来たらいいなと思っている
ツイッター等を通じて国内、海外から一杯僕の元に寄せられていて.皆が思っていますよと被災地に行って伝える・・・届ける作業
現地は今どんな状況で人々はどんな事を感じ、どんな事を伝えてもらいたと願っているのか、そのメッセージをしっかりと受け止めてまた僕が発信してゆく・・・持ち帰る作業
この二つを継続的に出来たらいいなと思う