2011年6月7日火曜日

小藪実英(観音寺住職60歳)     ・花の寺から人生案内

小藪実英(住職60歳) 花の寺から人生案内
<概要>
京都・丹波・観音寺(紫陽花寺)住職   高校の先生17年  国語、ソフトボールの監督、絵と詩
寺に戻る決心をしたのは、癌で余命わずかを告げられたお母さんのためでした。
「生きている間に
親孝行したい」そう思い、平成3年3月教師を退職
心を育てる「あじさい会」を主宰し、多くの人に心の教育を行っている   
詩(自分で作った)、諺の紹介
紫陽花 アルカリ性は赤っぽい  酸性は青っぽい
「雨に打たれて輝く紫陽花のように、苦しみや悲しみにうたれても私でありたい」
命ある限り、前向きに生きていきたい 生きているかたに開かれた寺でありたい
(葬式仏教でなく)
地域の子供たちを集め、紫陽花学校 心の教育 書道教室
一般の人には紫陽花会 心豊かな良い人生を  絆を
座禅・般若心経・情操教育
4歳のときに実夫亡くなる  中学2年の時に寺が全焼 高校失恋 人生の虚無を知る
教員試験を受け教員になる(寺から離れたい思いもあり)
母が脳腫瘍で1年半後に亡くなると宣告される→親孝行と思い寺を継ぐ

「悲しみの泉」・・・詩
「悲しくても泣けない時がある 腹が立っても怒れない時がある 
辛くてもぐちのこぼせない時がある
 そんな思いがいっぱい溜まり
深い悲しみの泉となる その泉の中から優しさが生まれ 私の人格が生まれる」
「人生 万事 塞翁が馬」  人生は大半生きてみて 初めて幸せ 不幸せが後からわかる 
なにが幸せでなにが不幸せか判らない  
城塞に住む老人の馬がもたらした運命は福から禍へ、又禍から福へ、と人生に変化をもたらした
全く禍福というのは予測できないものである
17年教員生活 16年担任  4人が自殺 (受験、学生生活、就職つまずき、 恋愛失敗)・・・
アドバイスをしたかった(後で自殺した事を知る)
お寺の役目・・・「抜苦与楽」 仏や菩薩が衆生の苦しみを抜いて、福楽をえる
「大慈与一切衆生楽 大悲一切衆生苦」  
 
ソフトボールも教えた  126校の頂点に立つ 
厳しい練習・・・就職しその練習の厳しさを乗り越えたこ
とがその後の苦しみを乗り越えることが出来た
いかに自分の持ち味を生かすかという教育をしてやることが大事
「私の花」・・・詩
「桜の木の生命は桜の木の花を咲かせる 梨の木の生命は梨の木の花を咲かせる 
間違いなしにその花を咲かせる
私の生命は私の花を咲かせる A君やB君とは違った私の花を咲かせる」   
自分らしい花を咲かせることが大事
他人と比べて評価するんじゃなくて、自分の持ち味を評価 大事に伸ばしてやること事
「良い 悪い」ではなく 仏教としては個性として見る「これも良い あれ良い」