2026年2月1日日曜日

ビリー諸川(ロカビリー歌手)        ・ステージ4でも、ロックンロールでネバー・ギブアップ!

ビリー諸川(ロカビリー歌手)  ・ステージ4でも、ロックンロールでネバー・ギブアップ!

 ビリー諸川さんは1957年東京都出身。 高校生の時に出会ったエルヴィス・プレスリーの音楽やファッション、生き方などすべてに衝撃を受け、以来生涯ロカビリー&エルヴィスを座右の銘としています。 

25年毎月一回店に出て歌っています。 ステージ4のがんです。 抗がん剤を13回打っていて、副作用で指先がしびれたり痛くてギターを弾く時に、コードを押さえられなくて、唯一動くのが、左手の人差し指なんです。 

全日本ロカビリー普及委員会会長の肩書になっています。 座右の銘が「生涯ロカビリー&エルビス」  1972年中学3年生の時に、テレビで映画「フロリダ万歳」と言う映画を見て、エルヴィスにすっかりはまってしまいました。   将来エルヴィス・ピレスリーになろうと決めました。  53年間一心不乱にエルヴィス、ロカビリーを追い続けてきました。 

予備校に通っていて目標が定まらない日々を送っていたある日、呆れて見兼ねた兄(東大生だった)からビンタされ、毎年3000人も誕生する東大生と、100年に一人誕生するかしないかのプレスリーのような歌手、どちらに一度きりの人生を賭けるべきなのか、もう一度、その頭で良く考えてみろと問われたことにより目覚め、エルヴィスの道を選ぶこととなった。 翌日からエルヴィスの英語の歌をちゃんと歌うために、アテネ・フランセと言う英会話の学校に行きました。 シャネルズというドゥーワップ・グループのバンドリーダーの吉田憲右と知り合って、人前で歌うきっかけになりました。  カントリー歌手のジミー時田さんの元へ弟子入りに行きました。(1977年10月 エルヴィスは同年8月に亡くなる。)  

50年以上エルヴィスを研究してくると、彼の人間性と誠実さ、純粋さ、人間はこうあるべきだというお手本みたいな、人間性に最終的には惹かれています。  アメリカ南部の素朴な青年のまま、その心を持ったままスーパースターになって行ったところが魅力なんです。   ジミー時田さんのところへカセットテープを持っていったら全部聞き終わらずに、「帰りなさい、他の仕事を捜した方がいい。」と言われました。 反骨精神が湧いてきて、カセットボード、ギターをもってジミー時田さんが行く新宿のウィッシュボンの前で2時間半から3時間前にいってずっと立って待っていました。(毎週)   12月の或る日にカセットテープを聞くこともなく、「負けた。」と言われました。  外弟子として、ウィッシュボンで働けと言われました。 (カントリーの勉強)  1曲だけ歌わせてもらって嬉しかったです。(20歳)

1987年(12年)に音楽評論家の湯川れい子さんに同年制作した自費レコード(当時32万円かかる)をポストに入れておいたら、湯川さんから電話がかかって来て、センセーショナルなことをやりましょうと言われて、私がプロデュースするから、アメリカに行ってエルヴィスがレコーディングしたサンスタジオで、エルヴィスのメンバーと一緒にレコーディングしましょうと言われました。  ジェームス・バートンに自分のロカビリーを作りなさいと、言われました。 テレビ、ラジオなどにも出るようになりました。  

1994年にエルヴィスの夢を見て、その内容が面白くて書いているうちに原稿用が400枚近くになてしまいました。  ぼくはプレスリーが大好き」と言う本を書いた片岡義男と言う作家の家に原稿をポストに突っ込んでしまいました。  1週間後に出版社が決まってしまいました。  去年末に出した本が20冊目になります。 全日本ロカビリー普及委員会は6000人います。(会費などは取っていない)  この方たちが主に買ってくれます。  エルヴィスと長嶋さんに関する本も書きました。  

小学校のPTA会長を5年間務めたあと、2008年から16年まで、保護司を務めました。  2016年秋からは、「ロカビリーキッズツアー」と銘打って、ギター1本で子どもたちの施設を回る活動を始めました。  子供が絵を描いているがよくわからなかった。 爪とかから描き始めて、顔を描いていって褒めてあげる、終わるまで待ってあげる教育という事を学びました。 子供は身体を動かすのが好きで、ロカビリーが役立ったという事を実感しました。 

2025年の1月ぐらいから、大腸がんの前兆のような血便が出るようになりました。  2024年がエルヴィスがデビューして70年でした。  妻と2024年7月にエルヴィスの出身地 テネシー州メンフィスに行こうという事になりました。  結局12人に膨らんでツアーにいきました。  市長さんの前で歌う機会を得ました。  2025年の11月のジャパンフェスティバルで歌ってほしいと言われ、併せて3か所で歌う事になりました。  症状が重くなってきて、或る時に大腸ポリープの話になって、僕も軽い気持ちで血便が出てきたと言ったら、周りから直ぐ医者に行く様に言われました。  肝臓と骨盤に転移していました。  

2週間に一回の頻度で抗癌剤を打つんです。  一般的な副作用はありませんでしたが、しびれ、痛みがいろいろなところに出ました。  腫瘍マーカーの値が入院時は46でしたが、今は13回打ったせいか1.1しかないんです。 次週14回目を打ちます。  体重も落とさないようにしっかり食べています。   アメリカに行って帰ってきた後だったら手遅れだったと思います。 2025年の11月には行きました。  ジャパンフェスティバル、メンフィスのビール?ストリート、パーティー、総領事の前でも歌いました。  私の師は長嶋さんとエルヴィスです。  長嶋さんは脳梗塞で倒れた後、リハビリで皆に元気を与えました。 見習わなければいけないと思いました。

日本の文化の一つとしてロカビリーを残してほしいと、平尾昌晃さんから言われたので是非頑張っていきたいと思います。  ロカビリーは「優しさを持った反骨精神」だと思います。  私の生きざまになりました。