向谷地生良(ソーシャルワーカー) ・生きづらさが希望に
向谷地さんは1984年北海道浦河町に精神障害者の活動拠点「べてるの家」を設立して、現在は理事長を務めています。 2001年「べてるの家」のメンバーと一緒に当事者研究をはじめました。 不登校や精神障害など様々な生きずらさを抱える人たちが集まって対話をする当事者研究は近年注目されています。 当事者研究と言うのは仲間との対話を通して自分自身のことをよりよく知ろうとする実践です。 当事者研究が始まって今年で25年、向谷地さんは大腸がんと闘いながら当事者研究の普及を目指して全国を回っています。 当事者研究はどのようにして生まれたのか、又当事者研究を通して向谷地さんはどのように感じているのか、伺いました。
今年始めに大腸がんが見つかり闘病中です。 3月に手術をしてまだいろいろな段階があり8割までは来ました。 あと一回二回手術をして来年3月に仕上げという事になります。 当事者研究は25年を迎えて、準備期間でこれからさらに盛り上がってゆくのかなあと思います。 こちらに来る患者さんの背景にはいろんな人との対立やトラブルがあるんです。 そういう人たちに私が一番学んできたというか、そういう人たちに一番教えられたという意味では、私が一番当事者であると言う実感が常に出発点になっているという感じです。
当事者研究は2001年に始まりました。 ソーシャルワーカーとして48年が経ちます。 親子関係、教育現場、職場とか社会全体がこの人たちに学ぶという、この循環をどう起こしていけばいいのか、例えば嘘を言っただけで・・・?がえる人たちがいる、隠し事をしただけでも不安で、気持ちが不安定になる人がいる。 あの人が嫌いだと気持ちの中にわだかまりを抱えただけで、バランスを崩して早くその人たちと仲直りしたりして、人に打ち明けないとままならない、そういいう弱さ、脆弱性を持った人たちがいます。 私たちは嘘を言っても人を憎んでもそれはそれとして普段仕事をしたり生活したりして別に影響を与える事は無い。逆にどっちが病気なんだろうと、現場のなかにいて反転して私たちは学ばなければならないことはいっぱい出てくるんです。
憎たらしいと思った人と早く仲直りしてお互いがいい気持ちになれるようにしなければ生きて行けないという人たちがいるならば、むしろそのひとたちの側から社会を見た時に、和解できなくて対立したままさらに大きくなってゆくような、こじれるケースと言うのはいっぱいあるわけです。 仲直りしなければ生きていけない人達から、私たちはむしろ学ばなければならない。 正直になる事、人の目を気にするのではなくて、自分らしさを軸に生きてゆくとそういう人たちも生きる気になるという。 私たちは本来大切にしなければならないことを誤魔化しても生きていけるような体質を持った私たち、誤魔化しのきかない生きずらさを持った人たちを考えた時に、メンタルヘルスとしては、そういった人たちを病気を持った人たち、障害者としてくくってしまうわけです。 そうじゃないんじゃなっかと思うんです。
眠れなくなったり、一体何が起きているんだろうという事を一緒に対応化?しながら一緒に解き明かしていくと、子供の時の家族の中でのいろんな辛かった経験を封じ込めていたりとか、正直になれなかったりとか、仲直りをすることに凄く躊躇したりすることが、一緒に研究していると判ってきて、仲直りするにはどうしたらいいかという事をみんなの経験を生かしながら一緒に考えてゆく。 そして実践してゆく。
今迄は貴方の思い込みだとか、専門家が答えを持っていてその正しさを伝えて導いてゆくという発想ではなくて、一緒に考えてゆくプロセスのなかで、自分の大切なものは何かを一緒に見出してゆく事が、これは皆にも使ってもらえるかもしれない、自分の経験が皆さんの役に立つかもしれない、自分にとっては大変だけれども大きなものであるという、そういう前向きさ、自信が湧いてくるわけです。 患者の清さん?と一緒に研究している私も、私を研究しているんです。
最初、清さんに対して凄く腹が立ちました。 約束を守らない、予定通りにものが進まない、素直ではない、トラブルばかり起こす。 彼だけには物凄く腹が立つわけです。 これは自分にいったい何が起きているんだろうと思いました。 こちらも厳しいことを言ったり辛くあたていたために、お互いが居ずらくなる、そしてこういったことが社会の中のあちこちで起きているという発見です。 お互いを研究者として眺めることによって、繋がり、連帯できるという関係が成り立つわけです。 二人だけではなく、似たような経験の人が来たりして、みんなが集まってきてワイワイしたりします。 その人たちからいろいろ経験を学ぶことによって、自分の抱えている大変さの意味が判ったり、むしろこのままでいいのかもい知れないという様な気付きが生まれたりします。
私たちは自分だからこそ見えない自分の領域が必ずあるなあと、私たちの実感です。 人から見える自分と自分から見える自分の差は凄く大きいと思います。 人は一人では生きていけないし、ひとは関係の中で人間として生きられる。 自分の判らない領域を積極的に発信して、多くの人、家族に支えられたと言う経験を通して、積極的に自分の足りなさ、助けて欲しいことを開いて行って周りの情報、経験を受け取りながら、今の自分の生活を開いてゆく。 「弱さの情報公開」と呼んでいます。 自分のなかだけでこっそり解決したり、蓋をするのではなく、無理のない範囲で相談、打ち明けてみることによって、周りも打ち明けてくれて参考になります。 上手くいかない経験の方が大事だと思っています。 自分の中で一番うまくいかない経験に自分が寄り添う。 自分に伴走する感覚を私は大事にしてきました。
浦河で最初にあった人は、30代の漁師でアルコール依存症で奥さん、4人の子供がいる人でした。 お酒を巡るトラブルの絶えない人でした。 説得して医療につなげ、アルコールを3か月間絶って、心理教育を受けて退院した後、断酒会に所属してミーティングを重ねながら立ち上がって行く、そのモデルがあるわけです。 それに乗るように日夜働きかけをする。 私たちのなかには生命的歯車がすでにそなえられていて、 それを意識して使ってゆく事が私たちのイメージする対話であり、その一部として当事者研究と言う活動を今しているという感じです。 対話については当たり前すぎて気付かないでいる。 対話的に備わった一つの営みを一つの社会的な仕組みとして積み上げてきたのが民主主義社会であります。
当事者研究をはじめる前から「べてる」には、自分ではどうしようもないことを笑い飛ばす文化がありました。 子供の世界はそのまま遊びの世界です。 子供たちが学校に行こうと思ったら、どういうわけか行きにくいという現実を語って発信してゆく、これは問題ではなくて社会で起きている何か大切な一つのシグナルであると思います。 繋がり合う事で今の学校というシステムが本当に私たちに合っているのか、という事です。
去年1年間に自殺した子供は527人に上ります。(これまでで最も多い。) 心の病気で来る外来患者はここ20年で2倍以上に増えています。 生きずらさを感じている人が多い。 家族的な背景、社会的な背景、職場の環境とかが生きずらさを招くという問題意識がありますが、 もっと大事なのはそれらが全て解消されたとしても、なおかつ私たちは生きづらいという、根源的な生きづらさを持っているんだという、生きづらさと言う経験そのものの中から実は生きやすさが生まれるんだという、生きにくさにもっと発想を変える必要がある。
自分の情けない経験、失敗した経験をどんどん前向きに発信していき、上手くいかなさ、不確かなことをみんなが堂々と発信し合える、そして生かしあえるる社会になったらいいなあと思います。
(説明が難しくて、上手く理解でいない部分がいくつかあります。)