神津カンナ(作家・エッセイスト・コメンテーター)・〔私のアート交遊録〕 違う角度からものを見る
父は作曲家の神津善行さん、母は女優の中村メイコさん、3人兄弟の長女です。 現在は執筆、翻訳、作詞など文筆業にいそしむ一方で、ラジオ、テレビのコメンターターとして、またエネルギーや環境問題、国際協力など様々な分野をクロスオーバーさせて、問題提起をして発信しています。 自らプロデュースする朗読公演、耳で読む文学は16年に及びます。 3年前に食道がんの手術をした後も、両親から受け取ったた多くの言葉に多方面に発信する神津カンナさんに伺います。
2023年12月31日に母が亡くなりました。 母は2歳半から女優をやっていて、凄く長く女優さんをやっているので、亡くなる直前まで仕事をしていて、私の中でわだかまりがあったのではないかと思います。 母親よりも中村メイコさんだという気持ちがあったんですね。 母が亡くなって初めて母に甘えたなあと言う感じがします。 父は93歳で大分耳が遠くなりました。 はずきは母との関係においては、私に嫉妬をするというか、自分を殺して、周りに対して自分のスタンスを持っているという感じです。 善之介は私と14歳違っていて、よく私が面倒をみていましたが、絵描きになりました。
3年前に食道がんをやって、手術をして大丈夫です。 食道はほとんど全摘しました。 声帯もいじったので声が出にくくなりました。 お酒は飲まなくなりました。 小刻みに食べる様になりました。 母からの教えは質問をすると、同じ質問を返すという事です。 それによって考えることが好きになった。 父からは、富士山を描いてみろと言われて、富士山を描くと二重丸を書いてくれて、これも富士山で上から見るとこう見える、物事は違う角度から見ると、全く違うものが見えると言われました。 最低二つの見方をしなければ、そのものの本当の形は判らないと言われたことが頭に残っています。(小さいころ言われる。)
親の影響がないところで暮らした方がいいという事で、外国へ留学しました。 演劇の方に行きましたが、台本、芝居をやるだけではなくて、全部やらされました。(照明、音響、衣装デザイン、等々) シナリオを書くことが凄く大変でした。(英語) 脚本を書いた方がいいのではないかと言われて、物書きになりました。 小さい頃三島由紀夫さんに会ったことがあり、何の本を読んだらいいかきいたら、「本と言うのは巡り合うものだから、何を読めばいいと言うものではない。」と言われました。 「だから片っ端から読め。」と言われました。 限りがあるので、周りの友人に私の好きそうなものが有ったら教えて欲しいと言って、 教えてもらって段々私も目があいて、そういったものを好きになって行った。 知らないものを知って、それを世の中に人に味合わせてあげたいと思うようになりました。(20代前半)
エネルギー、環境問題にも目を向けるようになりました。 違う角度から見るという父からのサゼスチョンが生きてきています。 遺骨の問題に出会った時に、初めて日本人特有の考え方があることを知りました。
耳で読む文学は16年に及びます。 単なる朗読ではなく、音楽、照明、スライドでだして、それだけで世界観が作れるかどうかがひとつのテーマでした。 持ち場持ち場の人が率先して考えてくれました。 16回目は辞典をテーマにしました。 いろいろな辞典があり面白いですが、朗読には適さない。 いろいろなことを説明して、辞典ではこういっていますと言う様な構成にしました。
相撲が好きで、大栄翔が好きで、押しですね。 その人を思っていると「よし 頑張ろう。」と言う気持ちになることが初めて判りました。
「あるべきようは」と言う言葉が好きです。 「あるべきようは」と考えることが、今生きている私たちが一番失っているものなんじゃないかなあと思います。 「こうあるべきだ。」と言うのではなく「どうあるべきかなあ。」と考えるのが一番いいんじゃないかなあと思います。
北斎漫画は物凄く好きです。 筆は書き直しが出来ないので一回で書き上げます。 書き始めたら終わらせなければならない。 最後まで書くという事は大事だという事を北斎漫画が教えてくれます。