井上あずみ(歌手) ・歌は“自分の生きた証”
井上さんは石川県金沢市生まれの60歳。 1986年スタジオジブリ宮崎駿監督作品『天空の城ラピュタ』のエンディング挿入歌「君をのせて」に抜擢され、澄み切った歌声と確かな歌唱力で一躍注目を集めました。 その後『となりのトトロ』『さんぽ』など数々のジブリ作品の主題歌、イメージソングを担当、NHK「みんなのうた」のテーマ曲カバーや「みんなのうたです」のタイトルコールも長らく担当しました。 25年以上にわたり全国各地で家族向けのコンサートを開きその歌声を届けてきました。 2023年8月歌手デビュー40周年記念コンサートのリハーサル中に脳出血で倒れ、緊急手術を受け一命をとりとめました。 左半身にまひが残る中、懸命にリハビリを続け去年11月にステージ復帰を果たしました。 その後は香港やシンガポールに遠征、海外でも歌声を披露しています。 精力的な活動の源、今後の夢、そして新曲「母の家計簿」によせた思いなどお聞きしました。
車椅子で来ました。 リハビリも現在も続いています。 倒れた時までは覚えているんですが、病院の中でのことは覚えていないです。 後で回りの人から聞いて状況を知りました。 コンサートのリハーサル中に「君をのせて」を歌っている最中でした。 ろれつがまわらなくなりました。 高いマイクだったのでマイクを落としてはいけないという思いがあって、マイクを握ったまま、倒れたようです。 救急車がなかなか捕まらなかったんですが、娘(ゆーゆ 歌手)の的確なアドバイスで救急車を呼べました。 娘が詳細に症状と時間をメモっておいてくれました。 救急車の方が見て的確だったようです。(医療関係の仕事をやっていたのではないかと言われた。)
7㎝ぐらいの血の塊があった様です。 これを取ったら身体が半分麻痺してしまうと先生が言ったそうです。 意識が戻ったのは2,3日あとです。 血圧が最高200迄上がったことがあります。 高血圧が判ったのは随分前ですが、薬は飲んでいました。 リハビリが始まりました。 左半身の手と足が半分麻痺している状態なので、まず動けるところから始まりました。 歌の発声に関しても娘から指導してもらいました。 大きい声でしゃべりなさいと言われました。 厳しかったです。 一週間に一回デイサービスに行っておじいさんやおばあさんと話をするのもいいリハビリになりました。 戦争、疎開の話などを聞かしていただきました。 歌手だという事は知ってもらっていました。 デイサービスでは歌のレッスンもありそれもいいリハビリになりました。 3か月後にステージに復帰しました。 「さんぽ」と「となりのトトロ」を歌って、娘が「君をのせて」を歌いました。
1983年にアイドル歌手としてデビューしましたが、全然売れませんでした。 家族がみんなが歌好きでした。 のど自慢大会に出場していました。 審査員に歌手にならないかと言われました。 後に乙田修三歌謡研究所に門下生として在籍して歌手デビューを目指し始めました。 デビューは18歳でした。 『天空の城ラピュタ』に出会たのはそれから3年後でした。 レコード会社の方と知り合いになって、アニメの歌を歌う女の子を捜しているという事で、カセットテープに入れて持っていきました。 それを宮崎駿監督などが聞いて、それからとんとん拍子に決まって行きました。
*『天空の城ラピュタ』より「君をのせて」 作詞:宮崎駿 作曲:久石譲 歌:井上あずみ
この歌は余りヒットしませんでした。 ファミリーコンサートをするようになって生計を立てられるようになりました。 それまではいろいろバイトをしていました。 ファミリーコンサートは1年間に80本ぐらいやっていました。
仕事復帰後1年余りのうちに、香港、シンガポール、インドネシアなど世界様々な地域で歌を披露しています。 コンサートをやると待っていてくれたんだなあという事が判り、頑張りたいなあと思いました。 私にとって歌は、生きていくためになくてはならないものです。今後の夢は新しく録音した曲がヒットする事です。
*「母の家計簿」 作詞:松井五郎 作曲:中村由里子 歌:井上あずみ
ピアニストの中村由里子さんは私の1年前に脳出血で倒れて、その前からこの曲は貰っていました。 中村由里子さんはちょうどコロナのころで、リハビリが上手くいかなくて寝たきりになっています。 由里子さんが元気になればいいなあと思って歌っています。