2024年3月26日火曜日

目黒祐樹(俳優)             ・父と兄に学んだこと

目黒祐樹(俳優)             ・父と兄に学んだこと 

目黒祐樹さんは1947年東京都出身。 6歳の時に子役としてデビューしますが、時代劇ドラマ「風小僧」に主演した後、一旦学業に専念し、アメリカに留学しました。 帰国後再び映画やテレビドラマで活躍しています。 父は時代劇の剣豪スターと呼ばれた近衛十四郎さん、兄は俳優の松方弘樹さんです。  

「チコちゃんに叱られる」に、出演したこともあります。 岡村さんと似ているとも言われますが、圧倒的に兄に似ているといわれ、又父に似ているとも言われます。父が近衛十四郎、母が水川八重子で兄が松方弘樹です。 父に撮影所に連れて行ってもらって、撮影所が遊び場のような感じでした。 子役の話があり、躊躇なく受けました。(6歳)  「やくざ狼」と言う作品でした。  主役が嵐寛寿郎さんで私がその息子役でした。 兄よりも何年か先に芸能界入りをしました。 嵐寛寿郎さんはとっても優しかったのを覚えています。 遊びの合間に撮影をするような感じで、撮影を嫌がったりするんで、撮影が中断すると大変なんで、よく嵐寛寿郎さんが機嫌を取ってくれました。 周りの大人たちはハラハラドキドキだったそうです。 

成人して時代劇シリーズで主演した時に、嵐寛寿郎さんがお寺の和尚さんとして出演していただいたことがあります。 或る時、遅れて行った時、2時間半ほどが嵐寛寿郎さん待っていて肩に手をポンと叩いて、「ユー坊おおきゅうなったな。」と言って下さって一気に涙でした。(20年以上振りでした。)  チャンバラごっこと言うとみんな鞍馬天狗になりたがるんです。 嵐寛寿郎さんの鞍馬天狗をやらせてもらって不思議なご縁を感じました。   嵐寛寿郎さんの立ち回りは日本一でした。 迫力があると同時に華麗で美しかった。 

勝新太郎さんとは撮影で一緒になったことはないですが、或る時にお会いすることが出来て、私のテレビ出演している時代劇を見て「よかった。」と褒めていただき一層フアンになりました。 いつ見てくれているか判らないと思うと下手なことはできないと思うと、そういう意識を与えてくださったと言う事には、大感謝です。 座頭市の立ち回りは凄いですね。 座頭市と言えば勝さんです。 勝さんに要望されて、勝さんの前で座頭市を歌った事があります。 座頭市シリーズでは必ず強敵が現れるが、座頭市が勝つんですが、相手が死ななかったのは、素浪人シリーズのうちの親父と三船さんだけは斬られなかった。 二人が右と左に別れて行くという感じです。  親父と勝さんの立ち回りを見て、相手の動き、気合いそんなものをお互いが感じ合いながら、立ち回りをやっているように見えました。  あの場面を見て幸せな二人だなあと思いました。(僕らには出来ない。) 

親父は存在感の塊みたいな人でした。 母親のお通夜の席で父親と兄と3人で飲んでウイスキーが5本空いてしまいました。 飲み終える潮時を母親がたしなめていましたが、もう母親はいないので、僕が言ったら、「なにい、お前みたいなものに言われる筋合いはない。」と僕を睨んで、周りの人々もシーンとしてしまって、その後に「 お前みたいなものは破門だ。」と言ったんです。 半年間破門状態でした。 或る時親父の背中が寂しげで小さく見えた時があり、その時に「言い過ぎてすみませんでした。」と謝ったんです。 今までこっちの顔を一遍も見ていなかったのに、ピッと僕の顔を見て「ウン わかりゃいいんだ。」と一言言いました。  急にいろいろしゃべりだしましたが、それから4か月後に親父は亡くなりました。 

親父の晩年の素浪人シリーズの「いただき勘兵衛旅を行く」では共演させて貰えたことがありました。 私には宝物です。 親父と兄、僕の立ち回りはよく似ていると殺陣師さんから言われます。 「矢張りDNAですね。」と言われました。  兄松方弘樹は2017年74歳で亡くなりました。 兄は子供のころはシャイでした。 ただ喧嘩は強くて学校を仕切っていました。  兄とは5歳違っていて、子供のころはとても敵わなかったですが、大人になって或る時ふっと相撲をとろうと兄が言いだして、やったら僕が勝ってしまいました。 相当ショックだったようです。 今年77歳になります。 身体には気を付けてウオーキング、プールで泳いだりしています。