2024年3月29日金曜日

山本 學(俳優)             ・〔出会いの宝箱〕 朗読編

山本 學(俳優)             ・〔出会いの宝箱〕 朗読編 

山本學さんは昭和12年生まれ。(87歳) 1958年のデビュー以来存在感のある演技で活躍しています。 山本學さんがライフワークとおっしゃる朗読を再構成してお送りします。

「軍師官兵衛」で演じた快川和尚の言葉  織田信長は明智光秀に交渉に当たらせるが、快川和尚は断固拒否、焼き打ちという事になる。 ドラマでは心頭滅却すれば火もまた涼し」という場面はなかったです。 もしやらされたらこうだという感じでやってみます。

心頭滅却すれば火もまた涼し

吉田忠左衛門の辞世の歌  吉田忠左衛門は禄高200石で、忠臣蔵の中で侍とはどういうものかと命がけで主張して死んでゆく。 統領を補佐する役。 出陣の前に詠う。

「君がため 思いぞ積もる白雪を 散らすは今朝のみねの松風」  君=浅野内匠頭  

平家物語の冒頭の部分。

「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の世の夢のごとし。 たけき者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。」

人間死ぬときはみんな同じで、「風の前の塵に同じ。」という、どんなに偉そうにしていても、でも皆生きてきたんだよと言う、なんか不思議な世界です。

高杉晋作  小唄  「三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい」  高杉晋作が唄ったとされる都々逸(どどいつ)の歌詞。


高村光太郎の詩を三篇読む。

記憶せよ、十二月八日

「この日世界の歴史あらたまる。

アングロ サクソンの主権、

この日東亜の陸と海とに否定さる。

 否定するものは我等ジヤパン、

 眇たる東海の国にして、

また神の国たる日本なり。

そを治しろしめたまふ明津御神なり

世界の富を壟断するもの、

 強豪米英一族の力、

われらの国において否定さる。

われらの否定は義による。

 東亜を東亜にかへせといふのみ。

 彼等の搾取に隣邦ことごとく痩せたり。

われらまさに其の爪牙を摧かんとす。

われら自ら力を養いてひとたび起つ。

 老若男女みな兵なり。

 大敵非をさとるに至るまでわれらは戦ふ。

 世界の歴史を両断する。

 十二月八日を記憶せよ。」 


終戦の時の詩

「一億の号泣」

「綸言一たび出でて一億号泣す

昭和二十年八月十五日正午

われ岩手花巻町の鎮守

島谷崎神社々務所の畳に両手をつきて

天上はるかに流れ来る

玉音の低きとゞろきに五体をうめる

五体わななきてとゞめあへず

玉音ひゞき終りて又音なし

この時無声の号泣国土に起り

普天の一億ひとしく宸極に向ってひれ伏せるを知る

微臣恐惶ほとんど失語す

ただ眼を凝らしてこの事実に直接し

荀も寸豪も曖昧模糊をゆるさゞらん

鋼鉄の武器を失へる時

精神の武器おのずから強からんとす

真と美と到らざるなき我等未来の文化こそ

必ずこの号泣を母胎として其の形相を孕まん」

 

昭和22年の詩

暗愚小伝に中の「山林」の一部

「私はいま山林にゐる。

生来の離群性はなほりさうもないが、

生活は却て解放された。

村落社会に根をおろして

世界と村落とをやがて結びつける気だ。

強烈な土の魅力は私を捉へ、

撃壌の民のこころを今は知つた。

美は天然にみちみちて

人を養ひ人をすくふ。

こんなに心平らかな日のあることを

私はかつて思はなかつた。

おのれの暗愚をいやほど見たので、

自分の業績のどんな評価をも快く容れ、

自分に鞭する千の非難も素直にきく。

それが社会の約束ならば

よし極刑とても甘受しよう。」

高村光太郎は空襲で、智恵子と暮らした家も失い、岩手県の花巻で小さい家で独り暮らしを始める。  自分を見つめ終戦。

「一億の号泣」僕も聞いて泣きました。 
高村光太郎はそれまで体験したことがないような不自由な暮らしを強いられる。 土に親しむ喜びみたいなものも言っている。                            「山林」では非難する人は非難してくださいと言い切っている。 

戦中戦後、私も飢えを教えられたことは大きかったです。 

映画監督山本薩夫(叔父) 僕は医者の役でした。 エッセーを読みます。

「白い巨塔」を映画で発表したのが1966年。

「白い巨塔」エッセー 朗読

「私の撮ってきた作品を見てみると、権力というものに対して反抗してゆくような内容を持った映画には、自分でもなんか張り切ってぶつかってゆくようなところが見える。 だがそうでない作品になるとどうも気持ちが乗らない。 大映で1966年に撮った「氷点」などもその一つだ。朝日新聞に当選した三浦綾子の原作で映画は評判がよく、興行的にもかなりヒットしたものだ。 人間の原罪と言うモチーフとして展開される話の内容に戸惑い、私自身もう一つ乗り切れないところがあった。・・・ 山崎豊子の「白い巨塔」は派閥抗争に明け暮れる医学界の内幕を暴く中で、一つの権威を突くという要素を持っており、題材としても非常に面白いものだ。 ・・・私としても撮りたい作品のひとつであった。 ただ問題は撮影である。医学界の派閥や権威が絡んでどの病院も協力してくれない。・・・だが世の中には権威に対して反感を抱いている医者も必ずいるものである。 ・・・一人は日大病院の医者で彼がセットなどの面倒を全て見てくれることになった。 ・・・映画が嘘にならないように指導してもらったわけである。・・・手術はなかなかセットで撮影するというわけにはいかない。・・・ 東京女子医大の手術室を見せてもらう事にした。・・・偶然にも主人公のモデルになった医者がそこで手術をしていた。・・・映画では彼を悪として描いており、これはまずいなと思ったが、ここの手術室だけは貸してもらわないとならない。・・・ 日曜日だけを利用して撮影することに決めた。・・・たまたま噴門癌の手術の患者がいたので、不道徳なことだとは思ったが、私は撮らせてもらう事を頼んだ。・・・そして撮影されたのがこの映画のトップシーンとなった。 白黒にした。 カラーでは刺激が強すぎて出せなかったからである。・・・ 

病院内は色々な病院を撮影してつなぎ合わせた。・・・ 白い塔についてはやっと聖路加病院の許可を得たのだが、この病院の塔には十字架がついている。・・・十字架を上手く切って「白い巨塔」とした。  この映画はモスクワの映画祭に出品され、トップシーンの手術実写が残酷だと問題になり、グランプリには取れず、銀賞になってしまった。 ・・・ 医者で小説を書く人たちがグループを作っており、そこへ呼ばれていったことがある。・・・これまで医者を扱った日本映画はすべて嘘だけれど、これだけは本物だと言って褒めてくれた。 これはどんな賞を貰うよりも嬉しかった。・・・役者たちもよくやってくれたと思う。 ・・・ 世の中には派閥や権威に反駁している人間が必ずいるという事、そういう人たちの協力が無ければ、こういう映画は出来ないという事を、この映画を通して私はつくづく学ぶことが出来た。」 

映画を作る側は色々な苦労があるという事を知りました。 監督となると全体的な苦労があるんだなと思いました。 反骨の塊の人でした。

中原中也は長男文也を僅か2歳で亡くしました。 中也の悲しみは深く精神のバランスを崩し、療養所に入ります。 退院して一月後に発表したのが「春日狂想」でした。

「春日狂想」

愛するものが死んだ時には、
自殺しなけあなりません。

愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。

けれどもそれでも、業(ごふ)(?)が深くて、
なほもながらふことともなつたら、

奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。

愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、

もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために、

奉仕の気持に、ならなけあならない。
奉仕の気持に、ならなけあならない


奉仕の気持になりはなつたが、
さて格別の、ことも出来ない。

そこで以前(せん)より、本なら熟読。
そこで以前より、人には丁寧。

テムポ正しき散歩をなして
麦稈真田(ばくかんさなだ)を敬虔(けいけん)に編み――

まるでこれでは、玩具(おもちや)の兵隊、
まるでこれでは、毎日、日曜。

神社の日向を、ゆるゆる歩み、
知人に遇(あ)へば、につこり致し、

飴売爺々(あめうりぢぢい)と、仲よしになり、
鳩に豆なぞ、パラパラ撒いて、

まぶしくなつたら、日蔭に這入(はひ)り、
そこで地面や草木を見直す。

苔はまことに、ひんやりいたし、
いはうやうなき、今日の麗日。

参詣人等もぞろぞろ歩き、
わたしは、なんにも腹が立たない。

    《まことに人生、一瞬の夢、
    ゴム風船の、美しさかな。》

空に昇つて、光つて、消えて――
やあ、今日は、御機嫌いかが。

久しぶりだね、その後どうです。
そこらの何処(どこ)かで、お茶でも飲みましよ。

勇んで茶店に這入(はひ)りはすれど、
ところで話は、とかくないもの。

煙草なんぞを、くさくさ吹かし、
名状しがたい覚悟をなして、――

戸外(そと)はまことに賑やかなこと!
――ではまたそのうち、奥さんによろしく、

外国(あつち)に行つたら、たよりを下さい。
あんまりお酒は、飲まんがいいよ。

馬車も通れば、電車も通る。
まことに人生、花嫁御寮。

まぶしく、美(は)しく、はた俯(うつむ)いて、
話をさせたら、でもうんざりか?

それでも心をポーッとさせる、
まことに、人生、花嫁御寮。


ではみなさん、 喜び過ぎず悲しみ過ぎず、
テムポ正しく、握手をしませう。

つまり、我等に欠けてるものは、
実直なんぞと、心得まして。

ハイ、ではみなさん、ハイ、御一緒に――
テムポ正しく、握手をしませう。

中原中也は可哀そうな人だったんです。 

「まぶしく、美(は)しく」となっていますが、いちいち説明するのも面倒なので、僕は「まぶしく、麗しく」と読んでしまっています。 僕は正確さよりもリズムを大事に思うので、詩を解説して読むというんじゃあないんですよ。