2024年1月3日水曜日

桑山紀彦(精神科医)          ・"世界"に目を向けるきっかけを作りたい

 桑山紀彦(精神科医NPO法人「地球のステージ」代表理事) ・"世界"に目を向けるきっかけを作りたい

桑山紀彦さんは1963年岐阜県高山市生まれ、精神科医で60歳。 NPO法人「地球のステージ」代表理事で国際医療ボランティアとしても活躍しています。 山形大学の医学部の学生時代に世界各地を放浪し、卒業後に休暇を利用して、フィリピンなど世界各地で医療ボランティアをおよそ35年続けています。 中でもパレスチナのガザ地区には何度も訪れ、子供たちの心のケアなどに当たって来ました。 現在は神奈川県で海老名心のクリニックを開業しています。 その桑山さんのもう一つの顔がシンガーソングライター、得意のギターと歌、そして現地の写真や動画を見せながら平和への思いを語る「地球のステージ」の活動は1996年から始めました。 ステージは全国各地の学校や公民館などで年間100回以上、延べ4000回に登ります。 医療活動から学んだことや、ガザ地区の現状、平和に対する思いなどを語ってもらいます。

大学に入って音楽を始めたのと、放浪の旅を始めました。(自分探し) フィリピンに行った時の自分は役に立っているという経験をして、 価値のない自分だと思っていたのに、世界に出ると、一寸のことでも役に立てると思った時に、世界に広さを感じて、自分を変えて行こうと思ったのがきっかけです。  フィリピンのマニラで知り合った女性のおばあちゃんが凄い目やにで、自分用に持っていた目薬をおばあちゃんにさして上げたら、感謝で涙が出てきて、こんなことでも役に立てるし、人の繋がりは一歩踏み出すことで十分得られるという事が判りました。 それが世界と関わる大きなきっかけとなりました。 

紛争地帯、旧ユーゴスラビア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、ガザ、ウガンダ、ウクライナといったところで活動してきました。  ガザは2009年には空爆の時に入ったので怖かったです。 怖いけど逃げたいとは思わなかった。 精神科医ではありますが。外科は慣れているので消毒したり縫ったりと言う活動をやっていました。 私のテーマはトラウマ、心の傷ですね。 どうしても活動地は戦争地になってしまいます。

「地球のステージ」の活動は1996年から始めました。  現場を見たものの責任を果たさなければいけないと思ってきました。 日本の特に子供さんには、困難に向き合って、向き合うことで人間は強くなれるという事を伝えたいと思うようになりました。 14歳からギターとヴァイオリンを始めました。  大学で音楽のサークルに入り、もっとうまくなりたいと思って、それが一つの財産になりました。 音楽と動画を組み合わせて、気持ちに伝わるように構成すれば、あたかも行ったことがあるような、そんな雰囲気が作れるように思いました。 そうして28年、4000回を越えています。 300万人以上が見ていただけていると知らされています。 人が生きて行こうとする力の強さや、思いやり、愛情、と言ったものを柔らかく歌詞にするようにしています。 受け取った皆さんが自分らしく消化していただこうと思うので、聞きやすい音楽と歌詞の内容になっています。 映像も伝わり易い構成にしてあります。 全て自分で撮影したものです。 ドローンで俯瞰した映像も撮りました。 

現在、36編有ります。 ウクライナ編、ガザ2023年編、トルコ大地震篇とかあります。 主に学校現場が多いです。 コロナ禍では激減しました。(年間50回以下) 2007年位は年間264回と言う記録があります。  子どもはどこの国に生まれようが生きる強い力を持っているので、早いうちから世界や地球の生に触れていただくことで、伸びてゆくという感想を頂くことが多いです。 映像を見て学校に行ける幸せ、食べられることの幸せ、など噛み締めながら日々生きてゆきたいなどの感想が出てくるわけです。

医師として山形で初めて、仙台の郊外名取市で開業したばっかりに東日本大震災を経験して、被災者にもなりました。  被災者になって。心の傷がどのぐらい辛いか物凄く感じました。  支援を受けて、温かさを身に受けて、心の傷が段々自分を変え行くきっかけになりました。 今は神奈川県の海老名に移りました。  完全予約制で外来をとりながら、クリニックの運営は続けています。 不登校のみを対象にした特殊なクリニックです。 日々学ばせてもらいながら日々送っていると思います。 

海外支援もやっていて、ウガンダ、東ティモールに事務所を置いて日本人も配置して、健康を守るという仕事を行っています。  資金は政府の資金で事業展開しています。 ガザ地区は220万人ぐらいいます。  広さは種子島と同じぐらい。 3方を壁に囲まれていて、海の方向もバリケードがあります。(出られない状態で存在している。) 人口の7割が失業していると言われ、何とか見つけた仕事を分け合いながら、必死に生活している。 ガザとは2003年からの心のケアと続けてきて20年になります。  自分がガザに生まれたら絶望するだろうと思うほどの悪い環境でした。 付き合ってみると心の優しさ、思いやりが人一倍強い人たちで、何故こんなに優しく成れるのかと思いました。 私には家族と言ってくれる家族が三つあり、御馳走をもてなしてくれて、お金を払おうとすると怒鳴られなれます。 家族をもてなすのは当たり前だというんです。  そうやって20年付き合ってきました。 

心のケアをするためには現地の人材育成が大切で、現地の方もスタッフの一員として働いています。 ガザでは、現在4人スタッフとして雇用しています。 そのうちの一人(モハマド・マンスール)は彼が13歳の時に出会った人物で、家族付き合いをするようになって、現在彼は中心人物になっています。  彼とは毎日ガザの様子など通信しています。(動画を送って来てくれる時もあります。) 

「SDGs」(Sustainable Development Goals) 「世界中にある環境問題・差別・貧困・人権問題といった課題を、世界のみんなで2030年までに解決していこう」という計画・目標のこと。 「SDGs」でも判らなくなってしまっているのが現在の人類の状況。戦争を見ていると正義の反対は悪ではなく、もう一つの正義になるんだなとよく思うんです。 正義の反対が悪であれば、みんなで駄目だよと言えるが、もう一つの反対は正義なので彼らにも彼らの正義がある。 相変わらず戦争は終わらない。  耳を貸さないから向こうに正義が嫌でしょうがない。  少し耳を傾けられたら人類は変われるのかなあと思います。 

この2年間はイスラエルとても柔らかくなってきていて、北の検問所を通れるのが昔は一日10人ぐらいでしたが、この2年間はパスカードを持ったパレスチナ人はタッチするだけで自由に入れたんです。 このままいったらいいかもしれないと思っていました。  これをゲリラの人が壊してしまった。 その怒りが今も続いているんだと思います。  

トラウマは我々人間が生きるいる限り、いつでも起こる可能性があります。 戦争、いじめなどのトラウマかもしれないが、傷ついてしまった心は同じなので、どうしたら癒され、回復してゆくのか、そう言う視点で見てみるとガザの人々に視線が降りてゆくと思います。 ガザのことをもっと身近に感ずることは出来るのではないかと思います。  固有名詞、生きている人たちの名前を介して、世界に近づきませんか、と言うそんなアプローチの仕方です。 人生の主人公は自分なのだという事を感じて、それをよりよいものにしたいと思った時、人は変って行けるものだと思います。 60歳、ボランティアを始めて35年ぐらいになります。  もっと楽な人生をと言う思いもありましたが、見てみぬふりはしたくないと思って来たのは事実で、この人生でいいと思っています。  自分の人生に嘘をつきたくないという思いだと思います。