2024年1月12日金曜日

ねじめ正一(小説家・詩人)        ・〔人生のみちしるべ〕 私には絵本があった!

 ねじめ正一(小説家・詩人)           ・〔人生のみちしるべ〕  私には絵本があった!

ねじめさんは昭和23年東京都生まれ(75歳)。 昭和56年に詩集「ふ」でデビュー、詩壇の芥川賞とも言われるH氏賞を受賞します。 父親から譲り受けたねじめ民芸店を営みながら、現代詩に新たな世界をもたらす創作活動を精力的に行います。 平成元年には自らの少年期を題材にした小説「高円寺純情商店街」で直木賞を受賞、平成9年には「詩のボクシング」(ボクシングのリングに見立てた舞台の上で、自作の詩などを朗読し競うイベント)で初代チャンピオンになります。 詩人谷川俊太郎さんとの一戦は記憶に残っている方も多いのではないでしょうか。  また、ねじめさんは平成22年にはラジオ深夜便のミッドナイトトークのレギュラーゲストで、当時はお母様の介護の話などもしました。 平成26年介護の体験をもとに、「認知の母にキッスされ」という小説を発表しています。 現在75歳のねじめさん、実は70歳手前で詩も小説も書けなくなったと言います。 ねじめさんが、今新たな気持ちで取り組んでいるのが絵本の創作です。

「詩のボクシング」の谷川さんと言う相手が素晴らしくて、一戦ではそれぞれ得意技を出せたところが良かったです。 平成26年には「認知の母にキッスされ」を出版。 母は亡くなりました。 私は孫3人と遊んでいます。 最近は秋田県の羽後町へ呼ばれ、私の絵本を子供たちが読んでくれました。 お返しに4冊ぐらい大きな声で読みました。 若いころ朗読をやっていてよかったと思いました。  

70歳手前で詩も小説も書けなくなりました。 ねじめ民芸店を辞めたことが一つのきっかけになったのかもしれません。 そこで200冊ぐらい出してきて、そこがなくなってしまった時にねじめ民芸店の仕事場は大きかったんだなと思いました。 そこがあることで嫌な仕事も断ることが出来ていた。 辞めてからやる気が出なくなってしまって、詩も小説も書けなくなりました。 一日2時間は愚痴を言っていました。 2019年の8月にねじめ民芸店を辞めました。(妻が体力的にきついというのが大きな理由)   偶然に絵本がハードカバーで出来上がりました。  この絵本(「ゆかしたのワニ」)が助けてくれました。 2018年に出版して4年後にハードカバーになった。 詩も小説も書けなくなり、絵本ならひょっとしたらやれるかも知れないという気持ちにさせてくれました。 30代後半からも絵本は50冊ぐらい出していましたが、こんな気持ちになったのは初めてです。 

どうやって子供さんに届かせられるのかと言う事と、1冊目の「あーちゃんちはパンやさん」(1986年出版)はモダンな絵本と言うことでしたが、最初の絵本から変わらないものと言うのがあって、商店街のありようが凄く自分の中で大きなものだなあと思います。  「ゆかしたのワニ」は商店街は出てこないが、ワニと子供との交流なんです。 商店街の子どもの交流とおなじなんです。 商売の店で育った俺の土台になっているんです。 

中学2年生のころから詩を書き始めていますが、すでにそこから有ったと思います。  先生から将来詩人になれると言われました。 野球にも詩にも付き合ってくれて好きな先生でした。 将来詩人になれると言ったのは、その詩の中の「宙ぶらりん」という表現に先生が感動してくれたと思います。  「宙ぶらりん」と言う言葉は今の自分の気持ちをぴったりだという気持ちはありました。  

絵本は声に出さないと完成しないんです。 「みどりバアバ」(母親がモデル)をねじめさんが朗読。  右手が動かなくなり、花屋の店には出ちゃいけないと諭される。 その後亡くなるがそれも絵に描かれている。 うちのおふくろは実際に店番が好きでした。  亡くなった時に一番その人が好きだった場所にいるというのが、死んだ人の理想の姿というか、私の中では、商店街で生きて来たおふくろを考えると、店のなかで今も生きているという事が、私の中では納得と言うのはありました。

「みどりとなずな」 俳人ねじめ正一さんと絵本作家五味太郎さんによる俳句絵本。   認知症の母が亡くなるまでを詠んだ絵本。  介護の様子から孫の誕生まで。      みどり=母親 なずな=私の孫の名前  俳句は一つ一つの方向性が違うので絵本にするには難しくて、強引に方向性を向けて行かなくてはいけないので、繋いでいく句を作るのが難しい。 

「母逝ってなずな生まれる宇宙あり」

「大あくび正義の味方なずなちゃん」

言葉のスピード感などを子供に見せつけたいというような思いがありましたが、変わりました。  子供さんのために絵本はあって、作者と子供さんと絵描きさんが同時に共有でいる秘密基地みたいなものを、時間をかけて作ってゆく事が一番大事なんだという事やってゆくのが面白いのかなと思いました。 小説など断って、自分の道が開けたなと言うには感じます。  勇気はいるが手放せば、又新しい道が見えてきます。 

〔人生のみちしるべ〕となるものは、19歳の時に店がなくなってしまって、どうやって生きていくんだろうと思った時に、或る店を借りようと思って行ったが断られてしまった。 そのことを父親に話したら「正一 お前はちゃんと生きていけるぞ。」と言われました。  この言葉です。 今思うと凄く嬉しい言葉ですし、自分にも自信になります。  父親が微妙に察知したんだと思います、その察知するという事は大事ですね。