2022年5月13日金曜日

枡野俊明(曹洞宗僧侶・庭園デザイナー) ・日本の庭が伝えるもの

枡野俊明(曹洞宗僧侶・庭園デザイナー) ・日本の庭が伝えるもの 

69歳、横浜市鶴見区にある徳雄山建功寺住職を務めながら、数多くの日本庭園をつくってきました。  又、多摩美術大学環境デザイン学科教授として後進の指導に当たっています。 

朝4時半に起きて雨戸、門などを開けて仏様などぐるっと回って、建功寺御開山様の墓地、歴代住職の墓地をお参りして庫裡に戻って、仏様にお茶をお供えして、食事をして朝の座禅をして、アトリエに行ってその日の作業をします。  来客の対応もします。 夜は6時に庫裡に戻って食事、風呂を済ませ、8時ごろから10時ごろまで仕事をし、御仏壇をお参りして床に就きます。   睡眠時間は6時から6時間半ぐらいです。   

鎌倉時代の中期から室町時代には僧侶、特に禅僧が庭をデザインすることは盛んに行っていました。   文学的なことが好きな人は漢詩(偈頌)、絵を得意とする人を画僧と言って、庭つくりを得意とする人を石建て僧と呼びました。  雪舟は臨済禅の僧侶ですが、雪舟独特の絵の世界を築き上げ、日本の墨絵の世界は雪舟が築いたと言っても過言ではありません。

私が手がけてきた庭は90を超えていると思います。(国内外合わせて)    ホテルの中庭、駅ビルの屋上などにも庭園を造っていますが、自分の生き方などを見つめていただけるような機会が提供できればと言うのが私の狙いです。  現在手掛けているのは複数あります。 東京、軽井沢、シンガポール、香港、台湾、中国本土、オーストラリアなどがあります。  コロナで中断しているのがイギリスの隣りのマン島、ニューヨークマンハッタンのペントハウスの上の庭園があります。 

庭つくりはまず敷地に行って、長所、短所を身体で感じ取って来る。  依頼者がどんな状況の時にどんな使い方をするのか、徹底的に分析します。  その二つを合わせて、禅という考えのフィルターを通してイメージを作ってゆきます。  イメージスケッチを書いてゆき依頼者に見せて加えるものがあれば追加します。  工事が出来るような実施設計に移ってゆきます。  工事管理が大事なので徹底的に現場にはいきます。  重要なところは自分で指示します。  石とか木の心を聞いて、それをどう生かしてあげるかと言うのが私たちの役割、更にデザインよりもよく使ってあげる、現場ではとっさの判断です。  禅ではすべてのものに仏性があるという考え方があり、石にも形によりそれぞれ動きがあり、石と会話をするということですかね。  

枯山水は私にとっては特別なものですね。   枯山水と言うものを通して、自分が掴み取ってきたものを禅僧はくまなく表現してきているので、若い時にはまだまだ自分で取り組むべきものではないと思っていました。  深さ、強さ、空間の持つ緊張感などを肌で感じるようになってきますと、まだまだやってはいけないと、50代半ばまでは封印して居ました。若いころ作ったものとは違ってきていて、簡素化してきています。  足すのではなくて引いていきます。   引くことは難しいが残ったものは輝きを増すんですね。  

西洋の庭は見えるものがすべてなんですね。  形の美しさ、シンメトリーの美しさを求めてゆく。  日本の庭は形に現れない精神性を大事に扱います。  形にないものをどう伝えてゆくのか、難しいし、怖いものでもあります。  観る人の力量をも問います。  西洋は自分の思っていることを形にしてしまえばいいから西洋は自我の文化で、日本はそれぞれの心を聞いてどうやって一つの交響曲にしてあげられるか、無我の文化が日本の芸術です。  庭を見るのに固定観念を持って見ないほうがいいです。 自分が何を感じられるか、何をくみ取ってゆくか、固定観念なく接していった方がいいです。    

1953年横浜市鶴見区お寺の跡取り息子で、父はNHKのアナウンサーでした。  宮田輝さん高橋三さんが同期でした。  定年まで住職と二足の草鞋を履きました。  小学校5年生の時に両親に連れられて京都に旅行に行った時があり、石庭で有名な竜安寺に伺た時に、あまりのギャップに驚き動けなくなってしまいました。   高校2年になるころに、寺の客殿と庫裡を建て替える事になり、庭の整備もやる事になり、のちの私の恩師になる斎藤勝雄先生と縁がありその設計をやる事になりました。  先生はスケッチをされたり、どんな庭になるのか興味を持っていました。   本当にこうなってゆくんだという事を実体験しました。  現場第一主義で、現場を覚えてそれから、デザインですよという事を強く言われて現場を何回もやりました。  

齊藤先生は元々庭師の家に生まれて、いろいろ研究をして後に日本の庭に関する論文を書きました。   確認のため30歳のとき、3ヶ月ほど京都の植治・小川治兵衛さんのもとで修業して、論文を出すが評価できる人がいなかった。  田村剛先生がその論文を見つけて、初めて学会賞をいただいた。  齊藤先生はこの世界ではくっていけないという事で弟子を取らなかったが、お願いして弟子にしてもらいました。  先生のもとで高校2年間、大学4年間勉強して、寺を継ぐ修行(27歳から)もしていたら、或る時庭の仕事が入ってきてそれが始まりでした。  禅の修業では寝る事のありがたさ、足を延ばせる有難さ、食べられることの有難さなど頭ではなく身体そのもので有難いということを感じるようになりました。   これは大きな収穫でした。  

カナダ大使館の仕事をやった時には、カナダを身体で感じる事が大事だと思って、スケッチをしながらカナダを横断してトロントで打ち合わせをしました。   渋谷のホテルの庭とロビーのラウンジのインテリアを一緒にデザインしたものも忘れ難いです。  神奈川県の寒川神社の庭園と茶室などを全部デザインしたもの、7年かかりましたが、これも忘れ難いです。 自分のお寺も20年構想を練って設計して、工事も私とスタッフでやったので集大成のようなものです。  海外の工事では石はほとんど現地で調達して、作業は協同で行います。   石を探すのが大変です。

多摩美術大学環境デザイン学科では講義とデザイン指導する部分と両方やっています。   日本の美意識とか価値観と言うものを彼らにしっかり受け継いでもらって、それを携えて活躍できる人材に育ってほしいと思います。  もっと簡素化した緊張感のある空間が出来るのではないかと思っていて。そこを目指して進んで行きたいと考えて居ます。