2021年1月22日金曜日

川手昭二(筑波大学名誉教授)      ・"住民参加"のニュータウン50年

 川手昭二(筑波大学名誉教授)      ・"住民参加"のニュータウン50年

日本の高度経済成長が始まった昭和30年代首都圏に人口が集中し、その住宅需要にこたえるため、東京では多摩ニュータウン、大阪では千里ニュータウンなどが作られました。  横浜市の北部に広がる農村地帯では住宅の乱開発が進み、住民から街作りの要望が出され、昭和40年横浜市による港北ニュータウン構想が生まれました。   当時の飛鳥田横浜市長はニュータウンつくりは住民によるというこれまでにない街作り宣言をしました。  その構想を20年あまりかけて実現したのが、当時日本住宅公団港北ニュータウン開発事務所長の川手昭二さんです。  川手さんは東京の出身で今年94歳、東京大学大学院から当時の日本住宅公団に就職され、多摩ニュータウン、港北ニュータウンなどを手掛けた都市の計画家で、のちの筑波大学教授として多くの後進を育成されました。

健康の秘訣は散歩です、一日7000歩、歩くという事を念頭にあげています。 港北ニュータウンは緑道(ウオーキングロード)が充実していますが、多分日本で最初にそういう設計から始めました。  ほかはまず幹線道路から計画しますが。  緑道は15kmあり車と混じわらない。   子供の通学路にもなります。  ショッピング街、映画館のある所に出られる様にもなっています。

昭和40年頃に計画が発表されて20年あまりの年月をかけて作り上げられた街。  当時の横浜市長が飛鳥田さんで、ユニークな発想で作ったニュータウン。  当時年間29万人東京圏に集まりました。   住宅公団に入って多摩ニュータウンを偶然扱うようになりました。  私の先生は東大の高山英華先生で、都市計画の先生で、私は航空写真で空き地を調べ修士論文を書きましたが、公団は空き地を狙って建てるので、その公団に行けと先生から言われて、行くことになりました。  まだ当時は公団ができたばかりでした。

昭和37年に公団が多摩ニュータウンをやることになりました。  昭和39年からスタートして、計画課長として動き出しました。   港北ニュータウンの開発という事で、特定地区開発室長という事でした。   横浜市の地元説明を黙って聞き続けて2年半でした。飛鳥田さんが住民参加の都市計画をするようにとの指示でした。   当時ほとんどが反対でした。   乱開発が始まっていました。  

港北ニュータウンの設計は川手に任せると横浜市が言ってくれました。  設計図を作るようにというなら、公団が直に地元の意見を聞きながら設計します、作った案を横浜市に見せて横浜市がOKと言ったら、それでいきましょうと言ったら、飛鳥田市長がOKと言ってくれました。  それで地元の意見を聞きながら設計する方法に変わっていきました。   OKの取れていない設計図を地元の人にもっていって、地元の人に協議してもらって、道路計画などが決まってきて、横浜市に説明するという手順になっていきました。  決まったものを持ってゆくと、難癖をつけられました。   住民の意見は計画的ではないので、それを計画論の上に並び替えないといけない。   それを設計しなおすという事はなかなか難しい。  出来た設計案をグリーンマトリックス表でチェックして、出来たものを地元説明に入っていきました。   文化人類学者の川喜田二郎さんが開発したKJ法の本を読んで、2年半ずーっと聞くだけでメモを取ったものをKJカードに作りました。

KJ法でプランニングしてゆく方法を作り出しました。  整理したものを道路、水道とかの各分野の専門家と組み立てる作業を公団で行いました。  その方法について昨年建設大臣から感謝状をいただきました。  グリーンマトリックス表は自分の設計したもので、緑地が最も効率的にできているかどうかをチェックする表です。  

日常生活をすべて想定しながら作って行くので、徹夜したり大変でした。   グリーンマトリックス表は細かくは、①緑を保存する、②故郷を偲ばせる(神社などをあちこちに残す)、③安全な街、④高い水準のサービスを受けられる、4つが大きなマトリックスになります。   マンション、一戸建て、工場群、学校とかにわけていきます。  100坪ぐらいの掘っ立て小屋を作って、有名な設計事務所のトップクラスの職員を派遣してもらって、全部集めて色々な班に分けて、公団の職員を含めて設計してもらいました。   一番いいと思われるものを採用するので、工事が受注できるかどうかなのでそれぞれ一所懸命にやるわけです。   昭和61年に市営地下鉄が開通、平成になって都筑区となり平均年齢が40歳代、と若い街で人気があります。

昭和53年住宅公団から筑波大学の教授に転身、社会工学系を担当。  教育大学を筑波に持ってゆくという話があり、都市計画学科を作ることになり、その教授をだれにするのか、筑波に行く教授が誰もいなくて、高山先生が「お前行け」という事になり、行くことになりました。

社会工学というものはありませんでした。 社会を望ましい構造にするためにどうやって作るのかという学問が社会工学です。  その後退職して港北に戻ってきました。     かみさんに自慢できます。   町内会ははじめ自然に出来るんですが、ゴミ捨て場、怖いので電柱を作って町内会で電気代を払う、そういったことを全部やるようになり、今は町内会の中に班があり、話し合いで全部決まっていきます。

パワーマンション、ニュータウンとは違った形で出来てきている。   幼稚園まで中にはいったパワーマンションを作っていったほうがいいと以前からありした。   日本ではフランスの様には出来ない。  フランスでは計画的なパワーマンションが出来るが、日本では乱開発パワーマンションになっています。 

住みやすい街を作るという事は、教育でやったほうがいいと思います。  出来上がった街に新しいコモンズ(近隣関係)を作る、素晴らしいコモンズを作る、そのためにはどうしたらいいかという勉強会を、中学、高校の時に是非とも教えて欲しいと思います。  コモンズの文化が出来てくるのが次の時代だと思います。  これからはコモンズ計画と奮闘する20年、30年ではないかと思います。