2021年1月17日日曜日

湧口清隆(相模女子大学教授)      ・【美味しい仕事人】駅弁今昔 旅を楽しむ

湧口清隆(相模女子大学教授)      ・【美味しい仕事人】駅弁今昔 旅を楽しむ 

日本の駅弁は130年の歴史があると言われます。  専門の交通経済学の視点から駅弁、食堂車、機内食、空弁などの道中昼食を研究しています。

観光列車が人気がありますが、鉄道に乗らない人に関心を高めるための仕掛け、それによって地元の人たちから鉄道を支持してもらうための仕掛けになっているんじゃないかと思っています。  

道中食は、駅弁だけでなく、食乗車、機内食、空弁、高速道路のサービスエリアとか道の駅の弁当も入ってきます。  専門は交通経済学です。  

「あいご」は西日本では食べられていますが、東日本では食べられていません。  臭い魚です。   商品開発ということで燻製を作ることにチャレンジしたこともあります。

九州の福岡県糸島市(マダイの漁獲量は2011年度から2015年度の5年連続で日本一)の鯛を中心とした魚介類の販路拡大して漁師さんを救って欲しいという話もありますし、三重県の熊野市ともいろいろやりました。  物流の部分がカギとなります。

鉄道に関してフランスに行ってきましたが、残念ながらフランスでは駅弁はないです。   海外からくるお客さんは駅弁に惹かれるという人は結構います。

昭和28年に駅弁大会が始まったといわれています。  ふるさとの味を楽しめるという事でイベントが増えてきました。    

明治18年に宇都宮駅で出された握り飯が駅弁の最初だと言われています。   明治5年に鉄道ができたときには、東京と横浜なので1時間なのでわざわざ列車の中で食事をしなくてもよかったんですが、鉄道が拡大していって、3,4時間、あるいは何日もとなると、途中の食事をどうするかという事になってくるわけです。   それで駅弁が広がっていきました。  幕ノ内弁当の形式は明治22年と言われています。

朝、昼、晩と幕の内弁当だと飽きてしまうので、その土地のうまいものを食べさせてほしいという事で、その土地ならではの食材を使ったお弁当が出てきます。  それを特殊弁当と言いますが、それが増えてきます。   鶏肉、牛肉の弁当も出てきます。  松坂、米沢などが有名です。   サンドイッチは明治時代からあり、大船駅が古いです。

国鉄によって駅弁には規制があり、御飯が何gでおかずの種類はいくつとかというふうにして決められていて、又衛生管理、食中毒というよなことはまずほとんどないです。  日持ちさせるために日本では冷やして販売しています。  台湾では2時間以内に食べてくださいという事で暖かいものを食べる事ができます。   国鉄では価格も規制しています。

食堂車は1900年ぐらいから出てきますが、暖かいものを食べるように国鉄も考えました。

穴子飯は明治期からありますが、稲荷寿司とか、静岡の鯛を使った駅弁も古くからあります。

特急列車になって窓が開かなくなると大変な問題で、車内販売で売ってもらうしかなくなり、昭和40年代からそうなってゆきます。   制服も鉄道当局の許可が必要でした。 全然関係ない人が変なものを売ってしまっては困るので、安全、安心のために制服の許可が必要だったわけです。

駅弁屋さんにとって大変なのは男手が必要でしたが、この人達が戦争に駆り出されて、食材が無くて、自由に販売が出来なくて、大きな駅は空襲の影響も大きかった。   

昭和30年ごろから駅弁が復活してゆきます。  段々特殊弁当が主役になっていきます。

最近は季節によって変える弁当もあり、定番と組み合わせるようになりました。  マス寿司からブリ寿司へと広がったり、容器も色々工夫され横川というと陶器で出来た釜めし弁当が有名です。

横浜のシュウマイ弁当は醤油入れがプラスックではなくて、昔は陶器で出来ていてフクちゃんの絵が描いてあったりしました。

コンビニエンスストアを駅の売店の代わりにするところが増えてきて、電子レンジで温めるという事が出来るので、どう対応してゆくかという問題もあります。

1980年代にひもを引っ張ると温められるというような工夫もされましたが、それだけで100円ぐらいコストがかかってしまいます。  高級化に向かうざるを得なくなってきました。蓋を取るとオルゴールの音が出てくる弁当もあります。

駅弁屋さんも創意工夫をしていかないと残っていけない。  

三重県のところの鉄道は食材が豊富なので、食を楽しめる列車を走らせてもらいたいし、プロデユースしたいとも思います。  暖かいものを出すという事を考えたときに、駅そば屋さんとうまくリンクしてゆくと面白いと思っています。