2021年1月14日木曜日

松本一路(元「ラジオ深夜便」アンカー) ・「ラジオ深夜便」放送開始30周年 第二回

松本一路(元「ラジオ深夜便」アンカー) ・「ラジオ深夜便」放送開始30周年アンカートークショー 第二回 

昭和22年生まれ、昭和46年にアナウンサーとしてNHKに入る。 50年になります。

ラジオニュースを未だにやっています。  「ラジオ深夜便」は2007年から10年間アンカーを務めさせていただきました。  

NHKに入り最初の赴任地が北九州放送局で4年いました。  その後、松山放送局(3年)広島放送局(4年)、大阪、東京をそれぞれ3回して、引っ越しは11回しました。  スポーツを主に担当、高校野球は200~250回中継放送しました。 これはNHKでは一番多いかなあと思っています。  オリンピックも何回か海外の現地から放送させてもらいました。

59歳の2月に「ラジオ深夜便」のアンカーをやってほしいと言われました。 吃驚しました。  スポーツ実況は早口で興奮して聞いていただくしゃべりを目指してきましたが、「ラジオ深夜便」は全く違うしゃべり方をする番組です。  対照的でした。

スポーツですが、野球を専門にやってきました。  オリンピックの種目が多いなか20数種目やっていました。

松坂大輔投手が平成10年春選抜で優勝して、史上5校目の春夏連覇を目指して、甲子園にやってきました。  打倒横浜、打倒松坂というのが合言葉のように言われました。    横浜高校は1,2,3回戦は松坂投手が一人で完投して準々決勝に勝ち上がってきました。   一方はPL学園で、同点で延長戦に入って、大接戦になって決着がついたのは延長7回で横浜高校にホームランが出て準決勝に行きますが、松坂選手は250球を投げ切りました。 準決勝は翌日で相手は高知の明徳義塾戦で流石に連投はできません。  松坂を4番レフトで起用、0-6と大きくリードされたが、8回裏に一挙に4点を取り2点差に詰め寄る。     右腕にグルグル巻きにしていた松坂がテーピングを取って投球練習場で始めた。  9回の表に松坂がマウンドに上がって3人を抑えて、9回裏に横浜が何と3点取って逆転サヨナラゲームでした。  翌日の決勝は京都の成章高校で、実況担当しましたが、8回までノーヒット、9回のマウンドにあがる。  ストライクが入るたびに大歓声が上がる。

余計なアナウンスはいらない、この大歓声と映像だけで、甲子園の雰囲気をそのまま伝えたいと思ってコメントはなるべく控えました。  松坂大輔がもしノーヒットノーランを達成したらどういうのか、実況アナウンサーのすべてを込めて発する言葉だと思って、「松坂大輔ノーヒットノーラン達成」というか、「横浜高校史上5校目連覇達成」と言おうか迷いました。  内野ゴロで2アウトになって、3人目もきってとって三者凡退、「横浜高校春夏連覇達成 松坂大輔ノーヒットノーランで花を添えました」と言ったと記憶しています。    プロでは個人の記録を優先しますが、高校野球では個人より学校が伝える情報としては重要ではないかと思ってそういいました。  放送した資料をNHKの歴史博物館で預かっていただいていて、何かのイベントには展示されるという話を聞いています。

1984年36歳の時にロサンゼルスオリンピックの放送に派遣されました。  体操で森末選手が鉄棒で金メダルを取りましたが、具志堅選手が個人総合で金メダルを取りましたが、TVで実況させてもらいました。  持ち点では具志堅選手が5位で、1位がアメリカのピーター・ビドマー選手、2位が中国の李寧選手。  あん馬から始まり、吊り輪と進み、跳馬で具志堅選手は10点を出して3位に浮上、4種目目に移動するときに、電光掲示板が故障していて、具志堅選手が鉄棒で9.95を出して、私の計算ではピーター・ビドマー選手を抜いたと思った。  0.025差だと思っていた。 6種目目にピーター・ビドマー選手が9.90を出す。  具志堅選手が9.875以上出せば金メダルと思ったが、自分の計算なので確証がない。  でも言わなければいけないというんで「具志堅、床で9.875以上で金メダルです」といった瞬間足がぶるぶる震えてしまいました。   最後の着地が半歩下がって、0.1引かれるかもしれないと思ったが、9.90が出ました。  しかし優勝とは言えない。 得点板が出た瞬間に監物コーチが具志堅選手を抱きしめて、よかったっと思い涙がでてきました。

ラジオ深夜便は5時間55分の放送はそれほど長いとは感じていないんです。  野球では6時間26分をやってきましたので。  5時に終わって帰りますが、外は真っ暗で星空を見ながら原宿駅まで歩き、今日もリスナーに支えられてよかったと、心が温かくなる気持ちがします。  スポーツ中継をやった後の感激とは全く違う、暖かいものがこみ上げてきます。   

違うものを二つ担当してきて、よかったなあと思います。  共通しているのが長時間にわたって生でやりますが、生でやっていると失敗が多いです。  失敗談をいくつか紹介します。   1996年アトランタオリンピックで陸上を担当して、マイケル・ジョンソン選手が史上初めて200m、400m二冠達成するかどうかが話題になりました。  200mを担当しました。  NBA(全米バスケットボール)でも担当していて、マイケル・ジョーダンというスーパースターの選手がいました。 間違えたら困ると思っていました。   マイケル・ジョンソン選手が2位以下を10m以上の大差をつけてオリンピック新記録で優勝、実況は自分ながらうまくできたと思ったのですが、表彰式で「・・・地元アメリカのスーパースター マイケル・ジャクソン」と言ってしまった。  「・・・マイケル・ジョンソン選手」と言い直しましたが・・・・・。

ロマンチックコンサートで映画音楽特集をやりました。  ジャン・ギャバン主演で、映画のタイトルが「現金(げんきん)に手を出すな」と言いました。  翌日ははがきがジャンジャン来ました。   映画のポスターも送られてきて「げんなま」とふってありました。次の週 誤りだったことをお詫びしました。  間違えるのも当然だ、人間だれにも間違いがあるという、はがきがお叱りのはがきの倍以上きて嬉しかったです。

今日の誕生日の花言葉、ヤツデを紹介する本を勉強してみたら、「分」に「わかれる」と書いてあった。  今日の花言葉「ぶんべつ です」と言いました。  はがきがどんどんきました。  「それはふんべつではないですか」 という事でした。   失敗はいろいろしましたが、楽しかったです。  内容としゃべり方、判りやすく伝えるためには何をしゃべるか、どういう内容を伝えるか、それを色々考えてきた50年だったと思います。