2020年9月14日月曜日

星 真奈美(オリンピック2大会メダリスト 星奈津美選手の母)・【アスリート誕生物語】

星 真奈美(オリンピック2大会メダリスト 星奈津美選手の母)・【アスリート誕生物語】 

2012年ロンドン2016年リオデジャネイロオリンピックの200mバタフライで2大会連続銅メダルを獲得。  2016年8月に結婚して現役引退。  結婚の相手は私の小学生からの親友の息子さんです。

奈津美が水泳を始めたきっけは、2歳上に兄がいて水泳を始めたときに、見学に行って自分もやりたいという事でスイミングに入れました。  運動神経はどちらかというとないほうです。

一度やると決めたらできるまでやるタイプでした。  水泳にはどんどんのめり込んでいきました。     試合にでてもタイムは後ろのほうでした。 

子供のころは外の公園などで遊ぶタイプで、ほかにやりたいと言ってピアノと剣道をやっていました。  勉強は嫌いなタイプでしたが、特に私からは口出しはしませんでした。  できたときには子どもが自分で充実感を得られたほうが、その先成長できるのではないかと思い口出しはしませんでした。

食べ物は好き嫌いがあってネギ、タマネギは食べませんでした。  タマネギを入れないで作っていました。  お菓子が大好きでした。

中学校の時に初めて全国大会で優勝できて、ナショナルチームに入って合宿などしますが、めざせ北京という風に言われましたが、夢の夢だと思っていました。   子供のころにコーチから背が小さかったのでバタフライがいいといわれてバタフライをやるようになりました。

北京の会場ができてこけら落としの大会があり、そこで4秒近く自己更新して優勝して、いっきにオリンピック候補のように新聞でも書かれてオリンピックを意識するようになりました。

日本代表選手として選ばれて合宿の連続でした。  北京オリンピックでは10位でした。

その後日本記録を更新して、2012年ロンドのオリンピックで銅メダルを獲得しました。 私はメダリストになれただけですごいと思いましたが、インタビューで「悔しい」という言葉が出ました。   それを聞いて病気を持っていたので、又4年間繰り返すんだという風に思いました。

私が同じ甲状腺の橋本病というのを患っていまして、通院しているときに甲状腺は遺伝性があるので小学校6年生の時に診てもらった時に、いずれ発症するかもしれないといわれていいましたが、高校1年生の時にバセドー病が発症していることが判りました。

バセドー病になると階段を上がっただけで息切れしたり、歩いているだけで走っているのと同じような心拍になるという状況です。  記録が伸びてきている状況の時に発症してしまったのが、私自身ショックで娘に対しても申し訳ないという思いがしました。  投薬治療で数値の安定化をしました。

2014年のアジア大会の時に調子が良くないといって、凄く疲れると言っていまして、病院にいったら数値が上がっていてこの状況では激しい運動はできないといわれました。   泣きながら私のところに電話をしてきました。   ほかの治療法があるのかどうかとか、先生ともう一度相談するように言いました。(リオデジャネイロまでには2年足らずでした。)  先生から手術の提案があり手術をして1週間で退院して、3週間自宅療養してすこしづつプールに入って軽めの運動を開始しました。

コーチが変わって平井先生になりました。  

リオデジャネイロ大会では銅メダルを獲得することができましたが、その前年に世界選手権で金メダルを取ってほかの選手よりも先にオリンピックを決めたところがあり、そこから逆にプレッシャーがかなりありました。

ロンドンと同じ同メダルですが、まったく違ったものでした。   オリンピックの応援には3大会とも行っていません、地元の方々と一緒に応援しました。

オリンピックに行けたということは、本当に水泳が好きで、好きなことをこつこつ続けてきたことが一番大きいと思います。

私は泳げません、かなづちです。  私が泳げないので一切口出しができなかったのが返っていいのかなあと思います。

今までいろんな人に支えられて今があるることを本人も判っていることと思いますが、それを忘れることなくいろんな人に感謝しながら、娘が水泳を教える中で、水泳が楽しいんだという事を伝えられるよう、そういうことをずーと続けていってほしいなと、それが本人にとっても幸せなことだと思うし、私にとっても奈津美を生んでよかったと思います。