2019年2月22日金曜日

真瀬樹里(女優)             ・【わが心の人】野際陽子

真瀬樹里(女優)             ・【わが心の人】野際陽子
野際陽子さんは昭和11年生まれ、富山県出身、昭和33年NHKにアナウンサーとして入局して4年勤務しました。
その後女優として「キーハンター」等話題のドラマに数多く出演しています。
司会やナレーターとしても活躍しました。
平成29年6月亡くなられました、81歳でした。
真瀬樹里は野際さんの長女です。

私にとってはこんなに長い1年半はなかったです、母が亡くなってから初めて経験することが多過ぎました。
ただそばにいてほしいという単純な想いです。
母は亡くなる直前まで仕事はしていました。
樹理は父から世界でも通用ような女優に成って欲しいという事で付けたたようです。
「真瀬」は千葉真一の「真」と百人一種の好きな漢字から「瀬」を使って「真瀬」にしました。
当時母は女優では最高齢で子供を出産したのが話題になりました。
私は幼稚園のころから役者になることは決めていました。
しょっちゅう現場に行っていました。
役者になるために色んなお稽古事をやりました。
母とは子役をやらせてほしいという事で喧嘩をしました。
高校卒業したらOKと言う事で、大学1年生で女優の仕事を始めることにしました。
声のことに関しては母から色々厳しく言われました。
ハスキーな声を通り易くするために、それは課題でした。
挨拶とか厳しい母親で、反抗したくてもできませんでした。

一人っ子だったのでこうなって欲しいという思いがあったと思います。
厳しい面と溺愛という感じの両面がありました。
おっちょこちょいの処と方向音痴は凄く似ています。
TVに向かってアナウンサーの話し方については厳しく言っていました。
挨拶、礼儀、年上との付き合い方などは凄く注意されたことは多かったです。
悩み事があって親に話したい時に正直に言うと怒られて、甘えるなと、親としては発破をかけたかったんでしょうが、こちらとしてはただ聞いてほしいと、その食い違いで親と話してもしょうがないかなあと思いました。

20歳の時の誕生日に手紙をもらいました。
「・・・貴方を傷つけた事実は消えないのですから・・・
・・・貴方の存在を神に感謝し続けていました。
誰よりも、私の父母より兄弟よりも、私の人生に関わった全ての男たちよりも私は貴方を愛してきました。」
これには泣かされました。
大学の時には殺陣をやっていました。
2017年秋に「とっとちゃん」で野際洋子役をやりました。
親の役をやる不安はありましたが、楽しく思いっきりやらせていただきました。
20代から50代までをやらせていただきました。
不思議な貴重な経験をさせていただきました。
一番素敵だなと思うのは、女性として人間としての生き方だったり、ものの考え方だったり、そういうところが凄いと思うところが多いです。
生きて行くには人間大変なことだと思うが、そういう時に楽しい方向に物事を転換して考えると言う事は凄く尊敬します。

不機嫌なところを顔に出さないようにとか、隙を見せないようにという感じで育てられたのかなと思います。
人に厭な思いをさせないようにとかは、子供のころから言われていました。
私は中学で英語劇をやっていて、海外で仕事をしたいという夢があって、日本でも世界でも仕事をして活躍できる役者になりたいという大きな目標はあります。
殺陣は一時期やっていませんでしたが、今はワークショップで教えたりしています。