2012年6月16日土曜日

金子洋三(青年海外協力協会会長) ・世界の為に日本の為に出来ること

 金子洋三(青年海外協力協会会長)     世界の為に日本の為に出来ること     
(1947年 - )  広島県広島市出身の福祉活動家
両親は被爆者 京都大学農学部農林生物学科 青年会が気協力隊に応募  
エチオピアに赴く  エチオピアでは天然痘の撲滅のための推進に活躍
帰国後 ジャイカ職員として後方支援して ガーナにも駐在しました 
平成12年に協力隊はえぬきで初めて事務局長に就任しました
平成16年に退団 現在  青年海外協力協会会長として帰国隊員 OB,OG隊員の 力を様々な分野で生かそうと活躍されています
今力を入れているのが国内支援です  
震災の被災地での支援活動が注目されています

協力隊への参加→先輩がエチオピアで人類学をやっていた  
その方に今度エチオピアで青年海外協力隊を始めるらしい 面白そうなフィールドワークが
出来そうな仕事なので行ってみないかと誘われる  
其れがきっかけになりました
天然痘の撲滅活動  エチオピアで天然痘の病気が残っていた  
世界中で席巻して多くの人が死んできた  
60年代に天然痘を撲滅しようという運動が WHOで動きが出てきた  
非常にいいワクチンが開発されてしゅとうをすれば感染しないということで 其れを使って世界中から病気をなくそうという動きがでてその中心になたのが日本人のドクターで有田勲さんと言う方ずっと世界中の国を廻って最後にのこったのがエチオピア 急峻な地形 山岳地帯には道路もない どうしたらしゅとうできるか 

経験した医者が集まってWHO本部を作って ドクターだけではできなくて人海戦術でなければ駄目なので若いひとが大量にいると言うので日本、アメリカ、オーストラリアが手を挙げて 協力隊の派遣が始まりました  
実際には 天然痘の感染率は非常に高いが 其の人に種痘しておけば感染しない  
先ず患者を探す  4人で四国ぐらいの広さを受け持つ
市の立つ場所にいき 写真を張ってあばたの人がいないか聞いて探した(症状の新しいものを探す)
リュックを背負って野宿または農家に泊ったりして探し回った
見も知らぬ人に種痘するのも中々出来ないので徐々に親しくなってから 種痘する様になった
見付けた患者を地図にプロットしてゆく  段々と狭まってくる 
サーベランス コンテーメント 大変だったが仕事に一助 達成感があった    
ガーナにも行く  事務局で後方支援  その後現地に改めて出掛ける   
隊員が危険にさらされるのを防がなくてはいけないので 神経の休まる間が無い
政府も不安定であったので 家から出ないようにとか いろいろ策を講じたりした
パプアニューギニア 一人で赴任した人  現地の先生と2軒で一つの掘立小屋に住んで寝泊りする日本の人は物持ちなので無くなることを心配
隣の内から火事が発生して何も無くなり 茫然としていたら 近くの人達が森に行って木を切ってきて家を建ててくれた 食事の道具だとか暮らしてゆける

道具類は調達してくれた  最初はびくびくして暮らしていたが それが馬鹿見たいだった  
裸一貫になって返って交流することができて良かったと言っていた
現地の人との垣根の取り壊しができた    
現地の人と一緒に働くんだという心構えが大事  教えてやるんだという上から目線は駄目
現地の人が何故この様にしているのかを理解しなければいけない   
日本文化の柔らかさ ゆったりと受け入れてきている 多少変化をさせながら日本の人達に対して 現地の人は嬉しい 
現地のいいところを日本人は受け入れてゆく そこに現地の人は共感してくれる   
日本は国際協力に非常にむいている文化を持っていると思う

日本の大変さと世界の中で大変な国とは数、量ともに違う    
今回の東日本大震災については世界の国から支援があって温かい手が差し伸べられた  
日本が早く元気に成ってほしいとの想い
日本が世界の為になる国だ、なる人達だという事を理解していると思って心強かった
青年海外協力協会は協力隊として活躍して帰ってきて作った団体  青年海外協力隊は国が支援して国際協力するボランティア団体、経験を社会に還元する事を目的にする  
大震災を機に大きなステップを踏むことができた   
少子高齢化によって活力が落ちてきている 

恵まれた自然と環境を若い人の手で日本を元気にする 
そうすることで又海外に支援の手が差し伸べられる
地域の活性化を含めて 故郷新生プロジェクト  田んぼを再生 そこから採れる米をアフリカの持ってゆく
震災復興支援  最初は緊急支援  支援物資の仕分け 看護師派遣 被災地の後かたずけ 等をしてきたが段々と落ち着いてきて 今は 長く滞在してくれるような被災地の自治体の支援  教育、医療、仮設住宅で孤立してしまわないようにサポートセンターを作ってコミュニティー作りをしている  
1年間で300人ぐらい 2週間は泊まり込みでおこなっており被災地の方々から喜ばれる
指示が無くても自分で探してやれる  
よそから来たボランティアの人達ともすっと入ってやれる
それは異なった文化の中で苦労しながら身に付けたコミュニケーション能力があるし 大変な環境の中でも工夫しながらやってきたので1,2週間被災者と一緒に泊りこんだりしている   
誰に言われなくても探してやる  
これは日本のボランティアの凄いいいところじゃないかなと思います
 自分で自分で律しながらやってゆく
      
今後やっていきたいこと3つある  
(1)国内で国内協力隊  国内の社会の活性化に若い人達が貢献する場を作りたい
(2)その中で育って行った人達が又海外で協力できるような大きな循環を作りたい
  是非アジア、アフリカの若い人達にも同じような経験をさしてあげたい 
  ゆくゆくは双方向にボランティア活動をすると言う 双う時代を作るべきじゃないかと思う
(3)もっともっと若い人達にこういった経験をしてもらいたい