2012年4月7日土曜日

山極寿一(国際霊長類学会会長)  ・心優しい隣人ゴリラ

山極寿一(国際霊長類学会会長) 心優しい隣人ゴリラ
(1952年 - )は、人類学、霊長類学者、京都大学理学研究科教授
「ゴリラとヒトの間」  「家族の起源 父性の登場」  「暴力はどこからきたか 人間性の起源を探る」  
「人類進化論 霊長類学からの展開」等著書多数
類人猿の生態を元に家族の起源 人の社会の成り立ちを探り その研究成果は世界的にも
注目されています
人間の祖先がチンパンジーと別れたのが  600万年ぐらい前 ゴリラと別れたのはその更に前の
1000万年まえと言われている
遺伝的にもっとも近い動物はチンパンジーと言われますがゴリラに惹かれてゴリラを30年以上研究を
続けてきました

とかく凶暴と思われがちなゴリラですが、心優しい進化の隣人だと言います  
ゴリラの生態を通してなにが見えてくるのか
高校の頃、物理と言えば湯川先生 私も物理をやろうとしていました  
大学に入って山が好きでスキー部合宿があり、志賀高原で猿を追っている研究者が
いると言う事を知ってこれは面白いなと思いまして 聞いてみらた私が所属する学部の先輩である
と言う事に気がついて 本も読んだし、先生にも会いに行って 
人間を知るために人間以外の動物を研究すると言う方法論を知ったわけですね
ドクターの2年まで私は日本猿の研究をしていました (下北から屋久島まで)
チンパンジーは人間にちかいけれども人間に劣っている処もあるなあと思ったが、ゴリラに会った
時はそんな感じがしなかった

人間よりも高貴な、人間もかなわないような面を持っている そう感じた  
こういう動物を研究してみたいと思った
身体的な能力ではゴリラは人間に負けていない 威厳を持っている 間の取れた 
ゆっくりした仕草はどうやったら出てくるんだろうなあと気がしました
特に面白いのはドラミング(胸を叩く仕草) 
アフリカ 中央の熱帯雨林 低地から標高3000mぐらいに住んでいる 
 西ゴリラと東ゴリラに別れていて 西ゴリラはカメルーン、ガボン、中央アフリカ、赤道ギニア、コンゴ
東ゴリラはウガンダ、ルアンダ、コンゴ民主共和国、に住んでいる
ミトコンドリアDNAの塩基配列による分子系統学的解析では、西部個体群と東部個体群
(亜種ヒガシローランドゴリラと亜種マウンテンゴリラ)
との遺伝的距離が大きいとして2種に分ける説もある

ミトコンドリアDNAの解析から西ゴリラと東ゴリラが分化したのは250万年前と推定されている
最初はコンゴ民主主共和国(当時はザイール)に行く  私一人で行った 当時研究者がいない 
1950年代 アメリカ、日本イギリス等 マウンテンゴリラの調査があったがその後
コンゴ動乱があって調査が行われなかった  
1967年アメリカのダイアン・フォッシー博士で長期フィールド調査が行われた
1978年に私はカハジリア国立公園に行った(だれも行ったことが無いところを選ぶ)
人間がゴリラに襲われて食べられたりしているので、人間に対して強い敵意を抱いている 
人間を見るとすぐに逃げてしまう 
敵意を除くためにこちらは何にもしませんよと示さなくてはいけない 

ゴリラの様な行動をして段々ゴリラに近づいて行って 最終的には群れの中に入るのを許して
貰って 彼らと一緒に行動して 群れの一員として彼らの行動を観察する  これが極意です
居候みたいな形でいるのが理想的  近づくときは声を出しながら近づく(げっぷする様な感じ)  
食べ物 甘いフルーツが一番好き  山上のゴリラは葉っぱ、樹皮、根っこ枝とかを食べる
わたしもゴリラが食べるものは一通り食べました   
寝るときは東ゴリラは地上にベットを作って寝る  低地のゴリラは木の上に作る 
鳥の大きな巣のようにして寝る  平均10頭で群れをつくる(1頭のオスと数頭のメス、子供)
ゴリラは1846年にヨーロッパ人によって発見されて ヨーロッパの動物園に少しずつ運ばれる様に
なったんだけれども 見つけたのは探検家で銃を持っていたので
ゴリラは敵視して胸をたたいたわけです  之はゴリラの威嚇であって 戦争の宣言であると
解釈して鉄砲を撃った   処がそれは大きな誤解だった

ゴリラが胸を叩くドラミングは自己主張である  
戦わずにお互い引き分けましょう という提案なんですよ
それを皆誤解していた アメリカやヨーロッパの動物園に送られて行っても、凶暴で戦争好きな動物
であるとレッテルを張られてしまった
ですから過酷な条件で動物園に飼われている  「キングコング」はまさに誤解 こぶしでは叩かない
 手のひらで叩く方がいい音がする
実際にゴリラ同士のけんかを見た事があるが その時にはドラミング等しない 
両方ドンと組みあって相手の頭や肩を噛みあう(メスをめぐって争う場合がある)
ドラミングする時は お互いが接触せずに お互いが納得すれば 引き分けで お互いが離れあってゆく  
集団同士がぶつかりあった時とかがドラミングしたりする 
 
ゴリラの社会はお互いがメンツを保って別れる  メンツを保つことが非常に重要です  
勝ち負けを決めない  回りが仲裁に入りメンツが保たれる
人間は勝ち負けを決める  ゴリラの社会は人間よりもずっと上品な社会   
日本猿は相手の顔を見ると言うのは威嚇 
相手の目を見ると挑戦を受けると言う事で攻撃される   
笑うようなしぐさをして相手より弱いことを示す(媚びる) 日本猿の世界はゴリラの世界とはまったく違って 
予め勝ち負けを決めて喧嘩をせず (上下関係がはっきりしている)    
ゴリラは強い弱いを決めずに共存する (メンツを保つ必要があるし、第三者の介入が必要)
ゴリラはなんで見つめ合うのでしょうか?→対等性を担保しているのだと思います 
強い弱いではなくお互いの感情を旨く合わせてすり合わせて一体化する

そして相手を操作する  相手と顔と顔をを合わせると言う行動というのは人間にも受け継がれている 
私達人間は毎日毎日顔を合わせる事が多い訳です  
人間が顔と顔を合わせるのはあまり近ずかない 言葉があるから
言葉はわずか数万年前に人間が獲得したものだから 何百万年は言葉なしでコミュニケーションを取って
いたわけです
その頃はゴリラと同じように顔と顔を近づけてコミュニケーションをはかっていたものと思われる
人間の母親と赤ちゃんは赤ちゃんが言葉を話せないので顔と顔を近ずけてコミュニケーションを図っている 
 恋人同士も言葉は要らないので顔と顔を近ずけている
相手と一体化して相手を操作しようとコミュニケーションを図っていると思える   
人間が言葉を得る前にコミュニケーションする手段としていたと思われる

共感に繋がる 相手の事を自分が思いやる 相手と自分とで心を合わせて何かするという事に繋がる
ゴリラは相手の痛みが判る 仲間が今どういう状況に置かれていて自分が力を貸さなければ、
とても困ると言う事が判る  之は共感
例えば罠につかまってしまった子供のゴリラを大きなオスが丁寧に罠を緩めて外して助けてやるとか 
子供が危険にさらされているのを身体を張って守るとか
右腕を肘から失ってしまった子供ゴリラがいたのだけれども 母親も居なくなってしまったので 
その子が中々群れに沿って歩けない 
それを皆が優しく見守りながら その子供に歩調を合わせてずーっと誘導してゆくと言う事を
見た事があるのですけれども そういう思いやりは中々他の動物には無い
咳の様な声 これはちょっと待てと相手を制止する様な意味
(ちょっと怒っている  食べ物を取ろうとしたときなどに ちょっと待て これは俺のものだぞ みたいな)  
不満を表す声 口をとがらして声を出す(不満の表情)   
人間が文句を言う時に口をとがらすが まさにその通り

人間が言葉を発するときに顔を見ながら相手の様子を見るが口を尖らすのは文句を言っている時 
(声だけじゃなくて)
チンパンジーには人間の家族の様なものはなかった  ゴリラにはあるんですね  
父親と言う存在がゴリラにはあるからです
人間の家族の起源と言うのは 父親を作ったことに有る  社会的な役割をする父親  
子供の一生に掛けて影響する様な存在の雄ですね  これが父親です
チンパンジーは複数の雄が一つの群れの中に共存してますから、特別な雄が子供に特別な関係を
持つと言う事はないですね
チンパンジーの方が人間よりもずっと進化してしまっているところがある 
チンパンジーのメスは発情期になるとお尻がぷくっと膨れる
目立つので雄が集まってきて代わる代わる交尾をするわけですね 乱婚という特徴を持っている  
乱婚と言うのは彼らが作る社会のベースラインです

複数の雄が共存できる  人間、ゴリラはそんなことはない  
人間とチンパンジーが別れた後に、チンパンジーは乱婚というものをより進化させた訳です
人間はゴリラに近い段階に止まっている  父親ができたという存在が大きい
ゴリラの父親は赤ちゃんを持っている雌に自分の赤ちゃんを預ける保護者として認める
 乳離れする前に自分の子を預ける その子供から自分の保護者として
認められて 初めて父親としての役割を演じられるようになる 
だから自分の自覚だけでは父親に成れない 周囲に認められて父親になれる
最初の文化的な役割 雄、雌(夫婦は他人)は性関係で繋がっている 
親子って血のつながりがあって性関係を持たないで繋がっている
この二つが無いと家族は出来ない  ゴリラは群れが一つの家族なんですね  
複数のメスは一頭の雄と群れている 一夫多妻制で良くまとまっている

人間の共鳴集団に匹敵する  共鳴集団とは言葉を使わなくても仲間の考えていること、気持ち、 
性格が判る 
これはまず家族です 他には10名~15名が共鳴集団に当る(ナデシコジャパン、ラグビー等) 
ゴリラと別れて人間が広げられなかった集団のサイズだと思うんですね
人間は言葉を持っているので共鳴集団の数を複数持てるようになった  
家族を持っていて会社の同僚がいるわけだし、学校の仲間、幼い頃付き合った同窓メンバー等
10~15名の集団を遍歴しながら我々は生きている  
ゴリラは一種類しか持っていないのが人間との違い
平和を愛する心をずっと持ち続けてきた しかしその元になったのは想いやる共感なんです  
人間の場合は共感を行き過ぎた形で持つようになった
  
大きな集団にそれを転嫁するようになった さっきも言ったように共鳴集団は10~15名ぐらいです
ところがいくつも持つようになって、相手の顔が見えないのに自分の属する集団に尽くすような心を
私達は発達させた
その典型的な例が国家  日本と言う国、国民を一つの単位として会ったことも見た事も無い人に
対して同じ仲間だと言う心を持つようになった 
その人を助ける為に その人の属する国を勝たすために我々は命を投げ出すような精神を持った 
それが戦争なんですよね
それを作るためには人間はゴリラとはどこか違う道を歩まなくてはいけなかった  
その大きな原因となったのは食糧生産であり 共感性を高める様な
コミュニケーションの仕方  会ったことも無い人と同じ集団に属すると言うアイデンティティー(存在理由・存在意義)  
自己認知の方法なんですね 
私達は一生なんかのアイデンティティーを持ち続ける訳ですね 

私は日本人だとか アメリカでながい間暮らしててもそのアイデンティティーは消えないわけでしょ
私は大阪人であるとか それは他の動物と一番違うところなんですね  
ゴリラもチンパンジーも他の集団に移っちゃうと元あるアイデンティティーを完全に棄ててしまう
そうしないと集団に受け入れてもらえない だから入るのも大変だし、出るのも大変  
人間の場合は集団を行き来するわけです アイデンティティーを持って行き来するからきちんと受け入れる
ルールもできるし、渡り歩けるわけですね
ただアイデンティティーが拡大すると 日本国家とかアメリカ国家とか国家間の幻想に巻き込まれてしまう 
それに尽くすのが 共感の働きであると言う風に考えてしまう
それが戦争を引き起こした大きな間違えではないかと思う 
愛と言うのは本当は特定な個人に向けられてやるのが、より大きな集団に向けられるようになったと言うのは
多分、人間の戦争は起こった原因でしょうね  
それを向けるようにした仕組みが言葉と言う時間と空間を超越して伝達できるコミュニケーションの
仕組みなんですね

食糧生産とは 農耕と牧畜ですね これによって集団を大きくする可能性が開けたわけです  
それまでは狩猟生活で自然のものに頼っていた
中々定住生活は出来なかった  定住して食糧をストックして沢山の人達が生きられるようになって
 動かさなくてもいい様なものを持てるようになった
定住する土地に価値が生まれる そうすると境界を設ける 
ここは自分達の土地だから入って欲しくない 境界線をめぐって人々が集団同士が争うようになる
集団間の争いが戦争と言うものに発展して行ったんだろうと思いますね
だから共感性は両面性を持っている 愛が行き過ぎるとそういう戦争と言う間違いを起こす  
共感を旨く使って行けばまだまだ人間には大きな可能性が残されている

今度の東日本大震災で被災された方々に沢山の人達が日本中から集まって色んな出会いが生まれる  
そこで今まで言葉も習慣も違うような人達が手を取り合って
新しい生活を作り上げてゆく これはゴリラやチンパンジーには決してあり得ないことです  
人間だからこそそれができる  
それを旨く使って行かなければいけない 重要なことはいきなり集団ではないと言う事なんです 
一人一人の付き合いというのが大事 顔と顔を突き合わして
お互いのきもちを通じ合わせる事がまず重要でそれを元に集団とはできているんです  
だから大きな社会は初めから有ったのでは無くて積み重ねて的に
出来てゆく段階があって それは効率よく出来たわけではないんです 
 時間をかけて作り上げなければならないんです
時間の大切さを旨く組み込んで共同体 人々の繋がりを作ることが重要です 
 
もう一つ重要なことは人間と言うものは誇り高い動物なんです
ゴリラほどではないにしてもメンツを大事にする  お互いがお互いを尊厳と言うものを
理解し合うと言う事が重要であって 子供だから或は老人だからと
身体的な能力を反映されるのではなくて、お互いが平等で対等で判り合える存在であると言う事を
常に意識しながら環境作りをしていかなければならない
それはゴリラから学べると思います