五木寛之(作家) ・五木寛之のラジオ千夜一話
「94歳になった今考えること」
新聞の朝刊で、後期高齢者の方が激増しているんです。そのうち80%以上が女性と言う記事になっています。 これからは80代以降をどう生きるかみたいなそういう人生論が出てくるんじゃないかと思います。 60歳以降は第二の人生なので、第の人生 後期の人生を真剣に考えて、60代の生き方、70代の生き方、80代それ以降と言うふうにそれぞれに生き方が違うと思うんです。 高齢者の人生観と若い世代の人生観とは違って当たり前だと思います。 80歳以上の方が激増してる時代にどういう風にして生きていけばいいかと言うところ、迷っているがもういっぱいいると思います。
生き方として「養生」という言葉を使っています。 それなに努力して毎日を過ごしています。 心と体の相関関係といいますか、それをちゃんと見て両方深い関係があるわけですから、その両方から後期の生き方をうまく考えるというのが僕の今の姿勢です。 自分はこうやっているかと言うことを人に押し付ける気持ちは全然ありません。
「大河の一滴」の最終章 癌と放射線治療のことが書いてあります。 がんと言うのは大変な病気である事は間違いないんですが、やはり病気の1つなんですね。がんと言ういますが、成人病の1つですからお亡くなりになった高齢者を解剖すると、ほとんどの人が癌の兆候というか、そういうのがない人がないと言われています。 高齢者の運命と言わざるを得ないです。 そのことで絶望したり、自分がこの世から縁を切られたような、そういう考えに陥る必要は全然ないんじゃないかと思います。 厄介ながんを抱えて何年も何年も戦い続けている人がいっぱいいると思います。 それをあっという間に快癒したと言うような話を聞かせるのは、調子がよすぎるんじゃないかと言うふうにには思います。 たまたまうまくいったことを強調して語るのは良くはないと思います。
僕は数年前に咽頭癌を宣告され2から3への段階でしたが、これは自分の病気であって、他の人たちに心理的な負担をかけるのは絶対しないようにしようと思って、僕は誰にも言いませんでした。 みんなの協力の中で治療していくと言う方がほとんどですが。 思いがけず治癒して、今のところ再発の気配は無いと言ううれしい状況ですけれども。 他の人たちに心配をかけないかけたくないと言う自分の鉄則として、自分1人でこの病気を抱え込んでいこうと言うふうに思って、それはしかし世間のの常識とは正反対です。
最近の本には、「人は何のために生きるのか」と言うテーマの話をしていますが、若いこれはイデオロギーというか、社会、人生のためとか、人間の未来のためとか、新しい思想のためとかいろんなことを考えますが、最後に人間と言うのは1番身近にいる人、自分にとって大切な人、その人のために、シンプルかもしれませんが、何のために生きるかではなくて誰のために生きるかと言うふうに本にが書いたのですが。
亡くなった母とか父親とか、その他大勢の友達とかそういう人たちの果たせなかった夢と言うものを、自分が代わりに果たすために生きてるんだと言うことを思っていました。 何のためにと言うのではなくて。 長く生きてその夢を達成しようと気持ちを持ちながら、その夢を実現することが出来ずに命を絶たれた人が無数にいるわけです。 そういうためにこそ今生きている。 自分が生きると言う事は、自分1人で生きてるわけじゃない。生きようと志ながら生きることがあたわざりし人々のためにも、自分は生きる義務があると言うふうに感じるようになりました。
長生きする面白さは近未来への好奇心
AIというものが大きく語られていますが、AIの未来が人間社会を壊すのではないかと言うようなことが広がっていますが、果たしてどうなのか、きっと人間はAIの奴隷になる事はなく、AIを使いこなしでやっていくのではないかと思います。 どう人間がAIに対してAIの奴隷にならないように、新しい知恵でそれに立ち向かうかと言うことがどうしても見てみたいと言う好奇心があります。 1日でも長生きして人間の未来と言うものを、世界の動きと言うものを、見てみたいと言う思いはあります。
孤立と孤独
孤立と孤独は違います。 孤独と言うのはたくさんの人の中にいても感じるものを孤独といいます。 孤立と言うのは他の人と同じ次元でもって対立することは孤立と言うんであって、政治的な思想が違うとか、階級が違うとか国が違うあるいは言葉が違うとか、いろんなことで人との間に壁ができることが孤立と言うふうに僕は思ってます。 孤立は社会の問題です。 孤独と言うのは自分1人の心の問題です。 群衆の中の孤独と言うことに、心惹かれるものがあります。 2人でいても1人と言うような。
人間と言うのは最後が1人であると言う風にちょっとおもって生きて、たまたまいろんな道連れができているという事はすごく幸せなことだと思ってます。 それに感謝して生きていくと言う、だから違う人間が一緒に暮らすということ自体はそれはすごく無理なことなんだと思いますが、夫婦仲良く何十年も生きていけると言う事は奇跡に近いことだと思います。 その事は感謝すべきであって、少々の不満なんか言ってる場合じゃないと思います。 別の人間が運命共同体として一緒に暮らすと言うのは奇跡です。 その奇跡と思わずに仲良くやっていくのが当たり前だと言うふうに考えるから不満が出るわけです。
運と努力について
人生に運はあると思います。 これは不条理なもので、運の良い人がいれば、運の悪い人もいる。 それを嘆いても悔やんでも仕方のないことだと思います。 運が悪いと言う事は努力をしても報われないと言う事ですね。 どの国に生まれるか、どの民族に生まれるかと言うのは、自分の努力ではなく、そもそも人間と言うものは不自由にできてるものです。 その中で最善の努力をするしかない。 覚悟と言うふうに思ったほうがいいと思います。 人間は自由で平等と言う事はありえないことだと思います。 ある宗教家が「置かれた場所で咲きなさい。」と言いますけども、ある意味では本当だと思います。
自力と他力について
石原慎太郎さんは日蓮を尊敬してます。ですから自力派です。 僕は親鸞と言う人に共感する人間なので他力派です。 会うとよく議論しました。 日蓮に出会うことも親鸞に出会うことも、僕に言わせるとこれは他力なんだと思います。 自分で選択するわけではないのですから。 出会いと言うもの他力のはうですね。 どんなに努力をしても、どんなに誠実に生きたとしても、それは報われないという事はあります。
大きな川の流れに流されていくんだけれども、流されていくからといって全部任せきりではなくて、それについての考え方を自分で持って流れていくんだと言う決意することが、その人間の生き方だと思います。 生きていく事は難しいという人がたくさんいます。その中で生かされている自分と言うのは幸せだと思うしかないです。