中村あゆみ(シンガーソングライター) ・「明日に向かってスーパーレディゴー!」
中村あゆみさんは、1966年大阪府で生まれ福岡県で育ちました。 1984年18歳の時にシングル「ミッドナイトキッズ」でデビュー。 1985年には3枚目のシングル「翼の折れたエンジェル」がコマーシャルソングに採用され大ヒットしました。 その後シンガーソングライターとして活躍されるとともに、2021年からは女性アーティストたちによる音楽フェスティバルを主催しています。
スーパーレディフェスティバルとなってますが、オーガナイザーを担当しました。 2回目からは立川になりました。 昭和公園があって、緑と街のバランスが良くて、子供も一緒にと言う環境にいいと言うことになって、3年ほどお世話になりました。 メジャーにしていこうという事で、そしてNHKホールでやるようになりました。 3500人ほぼ満席でした。来年もまたここに聞きたいです。
「翼の折れたエンジェル」が大ヒットとしたときに、NHKから紅白出場の話がありましたが、出ないほうがいいと言うような声もありプロデューサーが断ってしまいました。 紅白出場できずじまいになってしまいました。 今年60歳になります。デビューして今年で42年になります。 10年間ほどは子育て等で歌わない時期がありますが、38歳から復帰して現在に至ってます。 10代の頃に六本木で遊んでいたら、女性から声をかけられて、今のマネージャーを紹介されました。
母親は中州でクラブの大ママで著名な方が来ていました。 平尾昌晃さんと知り合いで、平尾さんの元で内弟子し的に暮らしました。 その後一人暮らしを始めて六本木で遊んでて声かけられました。 あるとき泥棒を入られて、マネージャーの母親の経営しているところに駆け込んだところで、後のプロデューサーである高橋研さん(「翼の折れたエンジェル」を作った。)と出会うことになりました。 そして、その後、加山プロモーションに入ることになりました。 「翼の折れたエンジェル」(1985年3枚目のシングル)が大ヒットすることになりました。
私は反骨心で生きてきました。 3、4歳で親が離婚して、父が私を連れて行くわけです。 しかし父は育児ができず、親戚のおばさんに預けられました。 自分の居場所がなくなり、その後義理の母親が来ました。 ストレスが溜まる中で弟ができました。 親は弟を可愛いがるわけです。 そして私は家出をし、実の母親のところに戻りました。 母親はクラブで大成功していまして、新しい父親と新しい家族がいるわけです。そうするとそこ入っていけないところがありました。 それで平尾さんとの出会いがあり、東京に出てくることになりました。 面倒が見られないと言うことで、私の一人暮らしが始まるわけです。
芸能人がいっぱいいるような定時制高校へ行き、そこに行けたことが、今になってはすごく良かったと思います。 学歴以上の違う宝物がその学校にありました。 今でも仲良しで時々連絡を取り合っています。 高校へ入って2、3ヶ月してから母親が倒産してしまって、仕送りができなくなりました。 バイトで工事現場の警備員をやりました。 その後毛皮と貴金属の営業して、数百万円の売り上げを上げていきました。 今後少し作品つくり、スーパーレディフェスティバルの下準備をやっていきたいと思っています。