吉備カヨ(人材派遣会社社長・元フィギュアスケート選手) ・「逆境を跳ぶ力~フィギュアスケートから都市農業への挑戦」
吉備さんは横浜市出身で60歳。 1990年代フィギアスケート選手として国内外で活躍しました。 引退後は母が作った人材派遣会社を引き継ぎ、ビジネスの世界に入りましたが、2020年からの新型コロナウィルスの爆発的な感染拡大が経営を直撃し、会社は危機的な状況に陥ります。 そんな大ピンチの中、吉備さんは従業員の雇用を守るために、全くの異業種に挑む決断をしました。 母から受け継いだ会社のビルの中で野菜などを育て、それを材料にスイーツやお弁当などを作って販売し、さらにケータリングを展開しようと食を提供すると言うチャレンジです。 この事業は今、新たな都市の農業の形として注目されています。 フィギュアスケート時代の経験がチャレンジに生かされたと話す吉備さん、コロナ禍にどんな思いでどう立ち向かたのか、都市での農業のこれからの可能性、そして今も関わっているフィギュアスケートについても伺います。
アイスダンスで1993年に全日本で優勝しました。 世界選手権にも出場した経験があります。 リクリュウ、三浦 璃来さんと木原龍一さんのペアが大逆転の感動の金メダルでした。 10代前半の三浦 璃来さんと出会いがありました。 12年前、中京大学ののスケートリンクで、未来の選手の発掘合宿と言うのがあって当時、三浦 璃来さんは12, 3歳だと思いますが、1人で淡々と動いていくような人でした。 ペアをやるべくして生まれてきたような子だと言う印象でした。 まさか金メダルを取ると言う事は想定外でした。
私はスケートは7歳から始めました。 アイスホッケーをやりたかったのですが、フィギアスケートをやることになりました。 高校1年生の時にイギリス出身の今でもフィギュアスケート界のカリスマと言われるアイスダンスの素晴らしい選手がいました。 すべての審判が6.0と言う得点を叩き出して金メダルを取りました。 それを見たときにこういうアイスダンスを目指したいと思いました。 高校2年生からアイスダンスに種目変更しました。 フィギアスケートは27歳で引退しました。
母親の人材会社を引き継ぎました。 2020年からの新型コロナウイルスの感染拡大で会社の危機を迎えました。 母が残した人材事業と不動産事業を何とかさせたいと思いました。 ビルのフロアの3階を野菜の栽培、2階ではそれを使ったケーキ、スイーツ、弁当などの調理加工、1階のレストランショップで販売を手がけました
手がけられやすいのは食品だろうと思いました。 原材料から持っていれば形の安定につながると思いました。 もともと食に関する興味がありました。 フィギュアスケート時代のパーティーに関することでいろいろ勉強できました。 海外の食を通じたコミュニケーションと言うのは、日本における食を通じたコミュニケーションと言うのはちょっと違うと言うことを感じてました 。それを経験していなかったならば会社を創造すると言うことができなかったんではないかと思います。 やりながら軌道修正しながら楽観的な思い込みでやってきました。
ビルを活用した都市農業についてですが、農業人口がどんどん衰退していくと言う中で、建物が空いていると言う実態があります。 日本の食料自給率が低い中でどんどん挑戦していくと言うと言う事はいろいろなところが登場している来ていると思います。 学校も廃校になってきて、どのように活用するのかと言うこともあります。高齢者、障碍者などの人材活用もセットで考えていくと言う事はまだまだ伸びしろがあると思います。 小、中学生の修学旅行の一環としての見学とか、あるいは海外台湾、ベトナム、シンガポールからも訪問団を組んで見学に来ました。
まずは飛んでみる、逆境があっても、まずは飛んでみると言うような気持ちが、やはり大切なんではないかと思います。 普段とは何かちょっと違う工夫の積み重ねの中で、大きな今まで自分が見てこられなかった景色に出会えるかもしれないと言う可能性は秘めているのではないかと思います。