2026年4月25日土曜日

銀粉蝶(俳優)               ・私の人生手帖

銀粉蝶(俳優)               ・私の人生手帖 

NHKでは上質なドラマとして人気を博しているBSドラマ「京都人の密かな愉しみ」でも主要キャストして出演を重ねてきました。 栃木県生まれ、大学進学で上京した頃は唐十郎の「状況劇場」などアンダーグラウンド劇の全盛期、1980年代前半には、劇団「ブリキの自発団」を結成しました。 その後も2010年に第18回読売演劇大賞優秀女優賞を受賞するなど、当時の熱い思いを潜ませて全身全霊で芝居に向き合ってきました。 その確かな存在感はどのように育まれたのでしょうか。 アングラ演劇の魅力、そして今も呪われているとおっしゃる芝居の面白さ、奥深さについてお話を伺いました。

「ジン・ロック・ライム」と言う芝居で、ソロシンガーとして一時期は華やかだったんだけれども、今は少し落ち目になっている主人公の男の人がいて、その主人公の彼はある時、ライブでお客に対して「お前ら俺を消費しているんだろう」と言う言葉で抜倒したりします。 (それが最初のシーン) 今回の舞台はもともとはイプセンの作品です。 「ヘッダ・ガーフレル」と言う面白い作品です。 人間と言うものはわからないものだと言うふうにおっしゃってます。 それを下敷きにして今回は新しい芝居にしました。 若い人の今の生きづらさ、そういうものに作者は寄り添ってるんだと思います。

NHKBSドラマ「京都人の密かな愉しみ」で老舗和菓子屋さんの女将をずっと演じてきました。 放送が始まったのは2015年、11年になります。 最初に依頼があったとき、京都弁は大変だと思いました。 京都弁は難しいです。 ひたすらやるんです。 やるしかないんです。 やって大好きになりました。 「京都人の密かな愉しみ」は美しい宝みたいなものです。 着物を着て正座するわけですけれど、膝が悪くて厳しいんですが、朝から晩までしてます。 立ち上がれなくなっちゃう位です。  それで京都弁なんで地獄みたいなものです。

1980年代初頭に劇団「ブリキの自発団」を設立しました。 小さい頃は映画が好きでした。 映画館が遠い親戚なので毎日見ていました。 本も好きで、世界文学全集を買ってもらって読んでました。 今も変わらないです。 大学で東京に出てきました。 私たちの若い頃は、みんな何かをするような風潮でした。 熱気がありました。 いろんなことにみんな興味を持ってそれを表現することにあまり躊躇しないで、みんな乱暴にやれたと言う時代でした。 60年代70年代でした。

最初劇場へ見に行って「状況劇場」いうのがあってそれを見てびっくりしちゃいました。 世界がひっくり返りました。 見てかっこいいと思いました。  大学を出て、芝居やるしかしょうがないと思いました。 会社の試験を受けて受かっちゃいました。 41日が入社日でした。 自由劇場の入団試験がありましたが、その結果発表も41日でした。 入社式で代表で挨拶しました。 昼の合間に結果を見に行きました。 自由劇場では何百人受けて、そのうちの5人が受かったんですが、その中に私が入っていて、電話で会社に私やめますと連絡しました。

入って研究生として活動しましたが、面白くありませんでした。  自分で劇団を作りたいと思うようになりました。 それが「ブリキの自発団」です。 アメリカのフリップ・K・ディックと言うSF作家がいますが、私は心酔していました。   それを本に書いて上演したいと思ってやりました。 ハードボイルドが好きです。ディックには人生の悲しみがあります。 

心が動かないとつまらないから、そういう機会を自分で求めます。  映画を見たり、本を読んだり、好奇心も強かったです。 当時のアングラの様子は、芝居って事件なんで、事件が起きればいいと思います。 見る方もやる方も喧嘩腰なので熱くなります。 熱気がすごかったです。 映画、芝居、音楽、絵などそういうものって人を呪うんじゃないんですか、取り付かれてしまったら離れない。 今も多分どっかで取り付かれてますね。 ふんわり呪われてると分には幸せに思います。 

私は役になると言う感覚が、自分では薄い人間だと思ってましたが、ある時私はなっちゃうんだとわかったんです。  芝居の世界観みたいなものにずっと入る人間なんです。 芝居の場合はその役を獲得するためには稽古するですね。 芝居の相手と交流する。 考えないでいようと思っても、作品を常に朝から晩まで考えちゃいます。 四六時中考えるタイプです。 だから、調べることがたくさんあります。  稽古なんかはあんまり好きじゃないんですが、芝居をしてる時は誰にも負けない位楽しいです。