2026年3月27日金曜日

浅川保(山梨平和ミュージアム理事長)    ・山梨で戦争と平和を伝え続ける

浅川保(山梨平和ミュージアム理事長)    ・ 山梨で戦争と平和を伝え続ける

甲府市にある山梨平和ミュージアムは2007年5月に開館しました。 今年で29年になります。  2005年から5年ごと「戦争体験記」を募集し出版しています。    去年は「戦後生きて思うこと」と題し、5冊目の体験記を出版しました。 戦後80年戦争体験者が少なくなり、その体験を聞くことが難しくなってきて、どう次世代へつないでいくかが課題になっています。

2003年からこういう資料館を作ろうと言うことで取り組んできました。3800万円の給付が集まりました。  土地を買って建物を建てました。 ある方は1000万円を出しました。  年間で1500人位来ます。 1日約5人ぐらいです。 甲府空襲は1945年7月6日の夜中です。 約1127人の方々が亡くなりました。  常設展の1階は甲府空襲、甲府連隊、暮らしです。  2階が石橋湛山の生涯と思想ですが、その他に企画をやってます。 2階で講座もやってます。 あと年に1回著名な先生方を呼んで講演をしてます。 5年に1冊戦争体験記を発行しています。

昨年は戦後80年と言うことで5冊目の本を出しました。 今後は生の声が聞けなくなるので、今まで出した本とかビデオの映像活用したり、自分の父親、母親の戦争体験をどう受け継いでいくかと言う形の伝え方にならざるを得ないと思います。  石橋湛山の母校が山梨県の甲府第一高校です。 生れは東京ですが、父親の実家が山梨です。 たまたま私が甲府一高の山梨の教員になって赴任して調べたら、彼の書いた作文が7つ出てきました。 資料をまとめ上げて石橋さんのことを展示することになりました。

私は1945年に生まれました。 叔父が2人とも戦死しました。 明治以降の近代史の歴史のことを勉強しようと思って、東京大学は歴史学科に行きました。  その後高校の教員になって、生徒の身近な人の体験記を書いてもらって、それを元にして生徒がそこから戦争のことに入っていくと言うことが有効だと思いまして、退職するまでずっとやっていました。  戦争を伝える資料館の必要性を感じました。  大学時代は学生運動が盛んで授業はあんまりありませんでした。 

家永三郎先生(東京教育大学の先生)と言う先生がいて、家永教科書訴訟が始まったころで、 家永先生は、仏教史が専門の先生ですが、その先生が太平洋戦争の話をすると言うことで聞きに行きました。  自分は戦争反対をしないで、終戦を迎えてしまって、自分の友達教え子がなくなってしまったので、自分の戦後は戦争のことをしっかり調べて、それを若い人たちに伝えるのが私の責任だと言うふうにおっしゃいました。 それに大変感激しました。 その後山梨の高校の先生になりました。 3校目が甲府一高で私の人生を変えました。 

山梨平和ミュージアムには中心になってるのは理事が10名ほどいます。その他に協力員が30人ぐらいいます。 ほとんどが退職者でボランティアです。 他にサポーターの方々が300人ぐらいいます。  国際社会が日本をどう見てるかと言うことですが、国際連合事務次長に中満泉さんと言う女性の方がいます。 赤根智子さんと言う女性の裁判官の方が国際刑事裁判所の所長を務めてます。 ロシアがウクライナを侵攻したときに、プーチン大統領に国際刑事裁判所が逮捕状を出しました。   戦後の日本の憲法とか、国際協調の日本の外交とか認められたということです。日本国憲法とか戦後の日本の歴史から培われた国際協調の精神とかを世界にアピールするそういう事は大事だと思います。 

今年80歳で来年開館30周年になりますが、今後分担しながら若い人に引き継いでいきながら運営してやればいいかなと思ってます。 しっかりと日本の近代の勉強すると同時に、自分の祖父母から聞き取ったり、周りの人たちから聞いたりしたり、幅広い勉強をしてほしいなと思います。 プラスとマイナスの日本の歴史をしっかり学んでどういう風にしてプラスの方向に向けて発信していけるか、そういった繰り返しが世界の平和の方向に行くと思っています。 

甲府空襲は、甲府市にとって大変大きな出来事でした。 地域の資料をもとにしながらどうやって見てもらえるようにするのかとか、関心のあるものにするかと言うことを工夫しています。 甲府連隊を展示してますが、ほとんど知らない人が多いです。  それを正確に知ってもらうということが、うちの展示物の特徴の1つだと思います。 中国との戦争の発端は1931年の満州事変ですが、中国との戦争は14年間もやってます。アメリカとの戦争は4年です。 日本と中国の歴史、日本と中国の戦後の歩みについてはしっかり紹介していく必要があると思います。 去年は6回講演を行いました。依頼があればできるだけ行って講演したいと思います。  石橋湛山に関する学校への出張授業をやってみたいと思ってます。