竹田高利(芸人) ・汗かきコントに、ひとすじの涙
竹田高利さんは1957年東京都生まれ。 1984年山口弘和さんとコント「山口君と竹田君」を結成し、初出場したオーディション番組「お笑いスター誕生」で優勝しました。 その後テレビやラジオのバラエティー番組、旅番組のリポーターなどで活躍し、俳優としてもNHK大河ドラマ『炎立つ』に出演しています。
デビューした時が27歳です。 今は68歳です。 「ゆーとぴあ」のホープさんから面白いから一回テレビに出てみないかと言われたのが「お笑いスター誕生」でした。 山口さんはすでにコントをやっていて、僕は26歳の時にストリップ劇場へ見に行きました。 俺が入ったらもっと面白くなるんじゃないかなあと思いました。(コントの経験は一切ない。) 高校卒業後は秋葉原の電気屋に務めました。 父と一緒に山口さんのところに行きました。 とりあえず一人でやってみろと言われて、ステージで自分のネタをやったら全然受けませんでした。 10分のところを5分も持たなかった。(冷や汗が出ました。)
山口さんがネタを作ってやっています。 「お笑いスター誕生」で優勝して以降が大変でした。 覚えが悪くて400回ぐらいやったコントを出してましたが、テレビにでて、コントを作らなくてはいけなくなって、そこからが地獄でした。 台本渡されるがなかなか覚えられず、一時期人としゃべっれなくなりました。 『コント山口君と竹田君のおじゃまします』が立ち上がったが、視聴率が振るわず、わずか1ヶ月半で打ち切られた。 根っからの汗っかきです。 山口さんとはいつもネタ合わせを事前にしています。 去年でデビュー40周年になりました。 寄席での生の舞台が好きです。 受けなかった時には引きずります。 山口さんからは変に色をとけるな、ボケるな、素のままでやれと言われました。
「熱海殺人事件」に出演しました。 撮り直しが何べんもあり、つかこうへいさんから素のままでいいからやれと言われました。 旅のリポートもやりました。
レム睡眠行動害は睡眠中に夢を見ているとき(レム睡眠中)に、通常は抑制されているはずの体の筋肉が活動してしまい、夢の内容に合わせた行動や発言が現実に出てしまう病気。 レム睡眠行動害のために、急に動き出して箪笥の角に思い切りぶつけてしまい、おでこを17針縫いました。 今は薬で押さえています。 お笑いは健康にいいです。