2024年2月21日水曜日

青柳 徹(日本体育大学教授)        ・スピードスケート、オールラウンダーへの道

 青柳 徹(日本体育大学スポーツマネイジメント学部教授) ・〔スポーツ明日への伝言〕スピードスケート、オールラウンダーへの道

青柳さんは距離の違う4つの種目の総合成績を競うスピードスケート全日本選手権で男子史上最長の6連覇を果たし、オリンピックには冬のオリンピックに4大会連続出場するなど、日本のスピードスケートの特に中長距離のエースとして活躍してきました。 選手引退後は海外への留学を挟んで、指導者の道を歩み、現在世界最高のオールラウンダーとして、ワールドカップなどで活躍する女子の高木美帆選手の恩師としても知られています。

スピードスケートは一番短いので500m、一番最長では男子では10000m、女子では5000mがあります。 オールラウンダーとしての競技方法としては、男子が500m、1000m、1500m、5000m、10000m、女子は500m、1000m、1500m、3000m、5000mこの4距離の総合を争うものです。 歴史的にみても100年以上の歴史があります。 どちらかと言うとミドル系の能力という感じです。 10000mで13分前後、女子の5000mで7分ぐらいです。    1980年アメリカのレイクプラシッドのオリンピックでエリック・ハイデン選手が全部金メダル(5つ)を取る。  僕の一番の憧れの選手でした。

北海道釧路市出身、釧路短期大学附属高等学校を経て日本体育大学体育学部体育学科を卒業。 その後東芝に所属、筑波大学大学院、オランダ留学を経て日本体育大学で研究と指導に当たる。 小学校のころはスケートを行っていた子は1000人ぐらいはいました。(人口の割にはかなり多かった。) 夏は野球かサッカー、冬はスピードスケートかアイスホッケーを子供たちは選んでいました。  小学校4年生から本格的に開始しました。 中学の時に親友が転校してスケートから遠のいたことがありましたが、先生に能力を買われて説得されました。 挑戦するワクワク感、緊張感が好きです。 探究心は強みであると自分自身感じています。 考えたら直ぐ行動するというタイプです。 失敗しなければ、次の成功にはつながらない。 

オリンピックに出たいと意識し始めたのは高校3年生の時です。 全日本選手権に出場して、優勝出来ました。(18歳)  1988年カルガリーオリンピックに19歳で出場。高校1年生の時、世界ジュニア大会に初めて海外に行きました。 海外の選手を見た時に技術だけを見ると自分は一番だなと思いました。 カルガリーオリンピックでは1500m5位と言う成績でした。 それ以外(5000m、1万m)は2ケタ台の順位でした。 世界との壁を知り、もがき苦しむという流れになって行きます。 1500m5位と言う成績は日本人としては最高の成績にはなっています。  

高校3年生でオランダの世界選手権に出ましたが、1万mで交差するときに妨害したという事で失格になってしまいました。 しかし滑り切っていたら5位と言う順位のはずでした。 長距離になればなるほど脚長が効いてくるので、どうしても体力差はハンディーになりますが、そこを埋め合わせるカーブのテクニックとかを当時は僕らは持ち合わせていました。 それで戦えたとは思います。 

長野オリンピックでは29歳でした。  その前に記録も伸びず進退をどうするか考える時期でした。  自己記録を更新して、けじめを付けられたら、スピード靴を脱いでもいいんじゃないかと思いました。(25歳)  26歳で消防士か長野オリンピック(確約されていない。)選択を考えたが、長野オリンピックを迎えることになりました。 最終選考会の全日本選手権で5000mで自身のワースト結果の11位でした。(一日目) 翌日1500mで2位になり代表の切符を掴むことが出来ました。  本番の1500mで8位入賞。(1分50秒68 自己ベスト)  頑固なところがありますが、もし間違っていると気付くとすぐに直すところはあります。 

高木美帆選手が15歳でバンクーバーオリンピックの代表になって、その後日体大に入って来ます。 ソチオリンピックの代表から漏れる。(1年生)  高木美帆選手に初めて会った時には目力が凄いというのが第一印象でした。(彼女が中学生の時) 1年生の春からはオフシーズンのトレーニングになるのですが、その方法に考え方の違いがありぶつかり合うわけですが、それも重要な事です。 僕は一度壊して新しいものを作り上げてより進化させていきたいという事を考えていましたが、時間的にも難しくて、最初のレースで厳しい条件になってしまいました。 

ピョンチャンをターゲットで行こうという事は話してはありました。 そのためには現状を打破しないといけないと思いました。 ナショナルチームになってコーチングとしては不完全燃焼でしたが、裏方のサポートに回ってピョンチャン、北京と迎えました。  高木美帆選手の凄いところは集中する力だと思います。