2023年2月21日火曜日

山本學(俳優)              ・〔出会いの宝箱〕

 山本學(俳優)              ・〔出会いの宝箱〕

昭和30年(1955年)俳優座養成所に入所、1958年のデビュー以来、存在感の演技で活躍しています。   86歳。  

昨年あたりから幻視が見えて、レビー小体型認知症(老年期に認知症を呈する病気の一つで、変性性(脳の神経細胞が原因不明に減少する病態)の認知症では、アルツハイマー型認知症についで多い病気です。  高齢者の認知症の約20%を占めています。)かなあと思って、様子を見ようとして、一旦症状が治まりました。  どういう時に出るのかなあと思ったら、身体を使い過ぎて疲れた時に、見える様でした。  今から30年前ぐらいに、父親がアルツハイマー型認知症と言われて介護をしました。  そこから脳に興味を持っていろいろ本を読んだりしていました。    認知症に関することを筑波大学でやっていて、そこにいれて貰ったのが5年前でした。  そこには60代、70代の人が多くいました。   そこでは楽器をいきなりコードを弾かせたり、絵を描かしたり、筋肉体操があり、鍛える筋肉の目的をもって、そこの筋肉を使う運動をします。   その痛さを脳へ伝えてください、という事でした。  その後コロナがあって中断して、コロナの始まった年の初めにそういった現象が始まりました。   

僕は図形とか、プラスチックの棒とか、無機質のものが出てくるんです。  そういうのは珍しいと言われました。   先生を調べて押しかけたのが去年の4月でした。  東京医科歯科大学の先生で、筆記をやった後MRI,CTを撮って、脳の血流を調べました。   認知症の段階ではないけれども軽度の認知症の状態であることは、この血流を見ると診断できます、と言われました。  それからいろんな本を読んだり、そこに通って現在に至っています。  右手と左手を違うような動作をしたり、思考と行動とを結びつけた、グーと言ったらパーを出すとか、音楽を聴きながらリズムをとる、シンコペーションと言いますが、それを入れるような事をします。  休憩をとりながら全体で2時間、週に4回やっています。   

認知症は急になるのではなく、幻視が出たり、記憶が飛んだり、記憶との関係と、やらなければいけないけれど先延ばしするとか、怒りっぽくなる。  精神的な事と行動的な事と、記憶です。  ボケというと記憶だけになってしまうが、そうではない。  どっちがいいか決められなくなる。(行動力がなくなる。)  認知症の残念なことは戻れないんです。予備軍の段階でとめるには、筋力を使って脳に眠っている神経細胞が何十億という結合があるんですが、月々十万個ぐらい減るのはどうってことないんですが。  脳に海馬というところがありますが、昔は脳は元には戻らないと言っていたのが、意外と運動で海馬が育っていくという事が判ってきた。   ただだらだら歩いていたのではだめで、3分間早歩き、3分間ゆっくり歩いて、1時間歩いてみようとか、自分が意志をもって脳(前頭葉)と運動とを兼ね合わせて、繋ぎ合わせる。  意識的に生きるという脳の使い方をする、それが脳のリハビリなんですね。  

一旦幻視は治まって安心していたら、去年12月3日に粘土細工の群像がぞろぞろ出てきてしまいました。  トレーニングのやり過ぎという面もあったのかもしれません。  コロナが始まる前に胃袋を2/3とったんですが、12kg痩せて8kg戻った時に、トレーニングしすぎてしまったこともありました。   又幻視がでて脳は少しずつ衰えているんだなと思いました。   ボケが進んでゆくというドラマを昔やりましたが(1996年のテレビドラマ)「白愁のとき」で「貴方は精神余命は1年です。」と僕が医師で患者に言うんです。   幻視が出てきてから何にもしないで刺激を与えないでいると4~7年で認知症になるわけです。

僕は人に迷惑をかけるのが一番嫌なんです。   精神余命は後1年と思って生きていこうと思っています。    出来る限り詩を読ませていただいて、自分の体験等々をお話しできればなあと思っています。   団塊の世代が認知症の世代にドーンとくるわけで、介護士を沢山育成しないと対処できなくなる。  国策で認知症対策をしないといけないと僕は思っています。 

高村光太郎は、智恵子が精神を病んで病院に入るが、レモンを持って行って、それを智恵子は食べて、その夜亡くなるんです。

高村光太郎の詩 「レモン哀歌」朗読

んなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉(のど)に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう

高村光太郎の詩 「荒涼たる帰宅」朗読

あんなに帰りたがつてゐる自分の内へ

智恵子は死んでかへつて来た。

十月の深夜のがらんどうなアトリエの

小さな隅の埃(ほこり)を払つてきれいに浄め、

私は智恵子をそつと置く。

この一個の動かない人体の前に

私はいつまでも立ちつくす。

人は屏風(びようぶ)をさかさにする。

人は燭(しよく)をともし香をたく。

人は智恵子に化粧する。

さうして事がひとりでに運ぶ。

夜が明けたり日がくれたりして

そこら中がにぎやかになり、

家の中は花にうづまり、

何処(どこ)かの葬式のやうになり、

いつのまにか智恵子が居なくなる。

私は誰も居ない暗いアトリエにただ立つてゐる。

外は名月といふ月夜らしい。