2018年7月21日土曜日

山崎哲秀(犬ぞり北極探検家)       ・極寒(ごっかん)の地にひかれて

山崎哲秀(犬ぞり北極探検家)       ・極寒(ごっかん)の地にひかれて
50歳、グリーンランドの北西部世界で最も北極点に近い村、シオラパルクを拠点に冬の半年間犬ぞりを使って極地研究者をサポートし、あるいは研究者に代わって気象データを集め、雪や氷のサンプリングを行っています。
又近年は独自の環境調査も行っています。
そんな山崎さんを観測屋と呼ぶ人もいます、その活動は日本国内での寄付を資金にほとんどボランティアで行っていて、企業や行政の支援を受ける為に去年秋、一般社団法人を設立しました。

この防寒手袋、防寒靴は先住民が使っているもので二重構造になっていて、外側がアザラシの毛皮で内側が北極うさぎの毛皮を使っています。
市販されている手袋、防寒靴ではマイナス30から40℃で長時間活動すると防寒性が良くない。
毛皮だと汗を外側に出してくれる働きも持っている。
ブーツはひざ下まであります。
冬はマイナス30から40℃になります。
犬ぞりの鞭はアザラシの皮を細く切って長さが7から8mあって、先端に行くほど細くなっていて、皮ひもに60から70cmの木の棒が付いている。
犬を叩くことはなく基本的な号令があり、それにあわせて行きたい方向に誘導していくために使います。
右に行く時には左側の雪面を叩いて音を立ててやって誘導していきます。
犬は10から15頭つなぎます。
グリーンランドの北西部では犬を扇形に繋ぎます。
方向転換がしやすいという利点があります。(狩りをする時に便利)

シオラパルクはデンマークの自治領ですが、地形的にはカナダと隣り合わせになっています。
北緯75度から80度で、最近は温暖化で凍りにくくなって昔みたいに行き来出来なくなってきています。
20年前まではパスポートなしで行き来していましたが、パスポートが必要になりました。
シオラパルクは最大で人口が80から90人いましたが、ここ5から10年で激減して30から40人になってしまいました。
植村直己さんが犬ぞりの技術をここで学んで、大島育雄さんが現地の女性と結婚して45年に渡って住んでいます。
僕も行ってみたいと思いました。
植村直己さんは有名です、切手になる位ですから。
30歳から犬ぞりを始めて、観測調査関係のサポートをしたりする活動をしています。
冬の間半年間こちらにいます。
北極の夏は5℃から10℃位になり雨が降ることもあります。
海の氷も溶けて海が広がります。
研究者から課題を貰って、冬の間の氷がどう変化してゆくかとか、雪と氷と空気のサンプリングをしたりしています。
研究者自身のサポートもしています。

きっかけは高校時代、自分が本当にやりたいのは何なんだろうと、今後の方向に悩んでいた。
1年生の終わりに植村さんがアラスカのマッキンレーで遭難したというニュースがあったが、植村さんを知りませんでした。
たまたま本屋で植村さんの「青春を山に賭けて」という本を見付けて読むことにしました。
その本を読んで衝撃を受けました。
植村さんが若いころ世界中放浪しながら各地の山に登ったり、自然の中で生き生き生きる姿が描かれていて興奮しました。

早速翌日から体力作りのランニングを始めました。
高校卒業後、一人で京都から東京に出て行って社会人の山岳会に入会して、アルバイトをしながら山登りに連れて行ってもらうような活動をしました。
半年後、東京から実家の京都まで歩いて帰ろうと言う事を思い付いて、直ぐに行動を起こしました。
東京から長野に行き日本海側を通って750kmの道を2週間かけて、野宿しながら歩いて帰りました。(18歳の終わりごろ)
無人駅で寝ていたら、不審者と思われて警察に連れていかれたこともありました。
次にアマゾン川をいかだで一人で下ってみたいと思いました。(植村さんが経験した)
19歳の時にアマゾン川に行きました。(5000kmをいかだで下りたいという思い)
いかだは自分で木をたおして作る訳です。
下り始めて1週間しないうちに急流でいかだが転覆してしまいました。

荷物、溜めたお金パスポートなど全部川に流されてしまいました。
夕方になってもう駄目かなあと思った時に、現地の人が船で通りかかって救出して貰いました。
助けられた後、一回日本に帰ってから20歳の時に再挑戦しました。
上流から5000kmをいかだで44日間かかって下ることができました。
当時若かったので自然に対する怖さを知りませんでした。
北極に行ってみたいと思うと居たたまれなくなって、21歳の時にグリーンランドの内陸部を北から南まで一人で歩いてみたいと思って行きました。
10年間申請したが、単独での冒険はグリーンランドから許可されていません。
植村さんは有名だったため特別に許可が出ました。
方向転換して犬ぞりの世界に入って行きました。
30歳を機に犬ぞりの扱いを習いました。
北極、南極で観測の研究者と知り合いになって、南極観測隊にも参加しました。
犬ぞりで広い範囲を周りながら観測調査に携わって行こうと思いました。
研究者の方々は犬ぞりの扱いはできません。

地球温暖化で地球環境の変化が激しく、地球で一番変化が激しいのが北極地方と言われている。
30年間通い続けてきて、一つは魚の生息場所が変わってきている。
南の方にしかいなかった魚が北上してきている。
たら、金目鯛、シシャモなどが北の海の方でも取れるようになってきている。
もう一つは海の氷が凍りにくくなっている。
10数年前、割れるはずのなかった氷が割れてしまって、13頭の犬ぞりで行ったが、割れた氷と一緒に13頭全部流して死なせてしまった。
この時に北極の環境が変わったと思いました。(この30年で大きく変わった)
白くまは威嚇発射と犬の吠える声で大概逃げるが、たまに逆切れする白クマがいて、向かって来られてライフルを撃ち対応しましたが、当局に報告しなくてはいけなくて1週間かけて町まで帰ってきて報告しました。
冬は雪と氷で果てしない真っ白い世界に感動しました。
北極に通うようになって生命力の溢れる世界だと思いました。
陸、海にもいろんな生物が住んでいて、人間界と自然界がバランスよく共存していることに生命力の溢れる世界だと感動しました。

先住民の人たちは狩猟生活、自給自足の生活をしていたが、最近は自給自足が出来なくなって、彼等にも現金が必要になってそこから離れてしまう人が多くなってきました。
電気はあります。(30年前にはなかった)
発電設備が整って電気が入ってから、瞬く間に生活が変わってきました。
電気製品、スマホなどが使われるようになり、ゴミ問題も出て来ました。
ゴミ焼却場が無くてゴミが山のようになってきています。
便利さと引き換えに自然環境が破壊されています。
若い人たちは街の方で出かけて行ってしまいます。
犬ぞりからスノーモービルへの転換期になってきています。
スノーモービルは故障すると修理が大変だが、犬ぞりはコンスタントに走ってくれるのがいいところだと思います。
犬ぞりを伝承してゆくのが僕の義務かなと思っています。

2006年からアバンナット北極圏環境調査プロジェクトという名前で活動を個人で始めました。
研究者からの依頼項目とかによる採取資料提出とか、データ収集、現地状況の発信とかの活動をしています。
ボランティアでやっていますが、企業の支援金があるが、ほとんど自分で集めないといけない。
募金などもやっていて最低限の予算で何とかやっています。
アバンナット北極プロジェクトという一般社団法人を作って、新たにスタートを切りました。
一つは日本の南極観測隊は60年以上の歴史があり国家予算で実施されているが、北極に関してはようやく研究者が目を向け始めて、その先までやっていけるようなサポート体制を民間の立場から整備することができないということで、継続できるようなベースになる場所を10年から15年位掛けて体制作りをやっていきたいと思っています。

もう一つはグリーンランド北西部地方(親日的)と日本のどこかの地域を姉妹都市として結び付けたい。
グリーンランド全体としても親日的です。
妻とは南極観測隊として知り合いました。(第46次南極観測隊)
第45次で妻が来ていて、引き継ぎ作業で先に妻が帰る時に、出航してゆく直前に妻が「日本にかえったらお嫁さんにしてくれる?」といって日本に帰って行きました。
毎日メールをやり取りをするようになり、今日結婚式場を決めてきましたというメールも入り、日本に帰ってきて結婚しました。
半年日本、半年シオラパルクでの生活が続いていますが、家族からのサポートが有ってのことです。
6歳の息子と3歳の娘がいます。