2016年11月25日金曜日

内野政光(山岳救助隊元隊長) ・山岳救助 50年の思い

内野政光(岐阜県北飛(ホクヒ)山岳救助隊元隊長 )・山岳救助 50年の思い
72歳 今年8月11日が山の日として祝日になり、シニアの方々、おしゃれな山ガールも一段と増え、山はにぎわいました。
ちょっとした不注意から怪我をしたり、道に迷ったり今年は25件ほどの救助の要請があったそうです。
内野さんは救助隊に20歳過ぎから、加わり多くの遭難に立ち会い残された家族の悲しみを見てきました。
山岳救助 50年の思いについて伺いました。

35年間山岳救助をしてきました。
ひいお爺さんが内野常次郎という山案内人をしていて、山好きでした。
上条嘉門次(かもんじ)に弟子入り、「上高地の常さん」とも「上高地の主」ともよばれ,死ぬ直前まで北アルプスの山案内をつづけた。
ウォルター・ウェストン夫妻を北アルプスへ案内した。
常次郎に顔が似てきたと言われますし、酒が好きだと言う事も似ています。
小学校2年生の時に、常次郎が上高地で脳梗塞で倒れて、実家に戻りなさいと言う事で、みんなで大八車でひっぱてきたことを覚えています。
当時の大正池は大きくて、枯れた木が湖畔にあり、ボートが7~8月はびっしりでした、今は1/10ぐらいになってしまっています。

焼岳をはさんで岐阜県と長野県の県境になります。
最後の7年間は5代目の隊長として任命されましたが、責任は重大でした。
「鳥も通わぬ滝谷」と云われた滝谷 昔はヘリも近づく事はできなくて、兎に角難所が多かったが何回も行きました。
殆どが遺体収容でした。
当時先輩の後について行って技術を身につけていきました。
遺体を親に合わせると、親がしがみついて泣いて泣いて、それを見ながら自分たちも貰い泣きをしました。
その時の状況の説明や、ちゃんとした形で渡してやらないといけないと思いました。
隊長になってからは、隊員の方の家族から、こんな時につれて行って大丈夫なのかとかの電話が家に入ってきたりして、妻も色々苦労があったようで、隊長を辞めると判った時は、わーっとうれしいと言っていました。
辞めてから20年経ちました。
山にはベテランなんていない、いつも初心でいかないと、とんでもないことになると言うのが、僕の信念でした。
山の気候はその都度その都度違う。

海外の山にも登ってきた様な人でも、アイゼンをちょっとはずさなかったために岩に引っかけてしまって、亡くなった方もいました。(甘く見てはずす手間を省いてしまっていたと思う)
岩場は昇りは上手く昇るが、下りが難しい、みんな下りで失敗している。
隊員は結成以来、二重遭難を起こしたことはないです。
中高年の人が若い時の気持ちで昇り、無理をして登って、谷底に落ちてしまうとか、高齢者の事故が多いです。
体力が落ちていることをなかなか見抜けない。
山ガール、女性が増えると男性も増える、逆はないが。
最近は半ズボンにタイツと言うのがはやって、私も3年前ぐらいに買いまいたが、そこそこに快適です。
昔はニッカポッカ、長い靴下、革の靴が登山スタイルでしたが。
素材は随分良くなってきました。(衣類、テントなど道具を含めて)
靴には気をつけないといけない、常に手入れを怠らない。
最近はヘルメット着用が増えてきました。(御嶽山噴火以来)
単独で一人の青年が山の計画をして、天候が悪かったら引き返す様に注意をしていましたが、梅雨が明けかけた時でしたが、1週間の計画を立てて、1泊したが天候が悪くなると言う事で止めた人もいたが、当面の頂上まで行って昼には山小屋に戻って来て、ロープウエーにむかったが、母親から1週間後、息子が帰ってこないという連絡が警察にあった。
登山届は出ていなかった、山小屋には来ていたと言う確認は取れた。
どこかで迷っているらしいという事になった。
下山して当日旅館に泊まる電話(山小屋から電話をしていた)をしていたが、宿には帰ってこなかった。
谷に迷ってしまった様で、2日目の時に滝の所で食べていることが分かった。(時間はたっていることが分かった)
滝壺に入って亡くなっていた。
ズボンの中にメモが入っていて、降りてくるときに迷ってしまって、雨と風が強くて何ともならない、頑張るけどもしかその時は、今まで育ててくれてありがとう、という事が書いてありました。
撤退することを何故母親に云わなかったのか、連絡していれば間にあったと思う。
登山届は絶対に出さないといけない、止めたことをどこかに伝えておかないといけない。
2日間は生きていたので、残念でならない。

遭難対策協議会の中の救助部長の役職はもらっていて、経験談を語りながら、山を昇る時は初心でなければいけないと、啓発活動をしています。
孫が山が好きで、6年生ごろまではずーっと付いてきていました。
将来は救助隊になるんだと、作文に書いてそれが全国作文コンクールで最優秀賞を取りました。
文部大臣賞ももらいました。
今は就職して山には行っていませんが。
生きて救助できた時には、やって良かったなあとつくづく思います。