2016年11月12日土曜日

西垣迪世(一人息子を亡くした)  ・若者たちを過労死から救いたい

西垣迪世(一人息子を亡くした)  ・若者たちを過労死から救いたい
2014年に過労死防止法が施行されました。
過労死対策のキャンペーンや行事が全国で行われています。
一方で日本の社会での過労死はこの法律がスタートをしたあとも減っていません。
先月も大手広告会社の新入社員だった女性社員が自殺したのは、長時間労働などに依る過労が原因だったとして労災と認定されたと報じられ社会問題になっています。
兵庫過労死を考える家族の西垣さん72歳へのインタビューです。
西垣さんの一人息子、システムエンジニアだった和哉さんは2006年一月過労で鬱病になり、治療薬を過剰に摂取して亡くなりました。
若い人達をこれ以上過労死で死なせては駄目だと言う西垣さんの母としての想いを伺いました。

異変が起きたという連絡を受けたのは高校で授業をしている最中に、連絡をもらいました。
新幹線がホームに入ってきたときに、病院の先生から携帯に連絡があり、心肺蘇生を長時間やっているが駄目だという事で、中止していいかという事だった。
止めないで何とか息子を助けてほしいと言う事で新幹線に乗りました。
残念ながら息子は警察に行っていて、警察の遺体安置所で息子の冷たい遺体と対面しました。
息子は昭和53年11月生まれで、専門学校で習得したパソコンが得意だったシステムエンジニアで27歳でした。(小さい頃はやんちゃな子でした)
大手電子機器メーカーの子会社、システム開発を担当する会社で、希望して入社しました。
母一人、子一人でした。
所属した所が地デジを開発するところで、入社2年目での民放企業のプロジェクトでした。
2003年12月1日に地デジがスタートする事でした。
息子が亡くなってシステムエンジニアの過酷さを知りました。
顧客に見せてから色々な注文がでてくるが、納期は変えられないので寝る間を惜しんで作り上げないといけないという事で追い込まれてゆく。(デスマーチ)

労災が認定されず、認めさせるために東京地裁に裁判を起こすことになる。
酷い勤務実態が明らかになってゆく。
法定時間外労働、5カ月平均で87時間 一定の期間を取ったら1か月150時間以上の長時間労働があった。
深夜はもちろん、早朝まで仕事をしている状況で、きつい時には一晩徹夜をして30分休んで9時に出勤した後、午後10時ぐらいまで連続37時間勤務もあったことが判りました。
息子は机に突っ伏して朝まで寝たり、友人はパイプ椅子3つ並べて寝たり、女性も段ボールを床に敷いて仮眠を取られたと言う風に聞いています。
ソファーもあるが若い子は使えなかった。
長時間労働の証拠がでてきて、タイムカードにない部分、休憩時間さえもまともに休んでいない、タイムカード以上の長時間労働だったと言う事が証明されてきて、長時間労働と鬱病との因果関係が認められました。

息子は自死とはっきりしていないと言う事でそこが大きな争点にはなりました。
鬱病の治療薬を過量服用したと言う事が認められ、うつ病と死亡との関連も認められました。
3つの因果関係が認められ、裁判で労働災害だと認められました。
同期入社が74人いたが、体調不良の方が相次いでいたが、これが判決文に記されている。
社内のほとんどのものが鬱状態だったと言う風に同僚が言っていました。
しかし会社側の反論は全員ではないと、74人中6人に1人、12人がメンタル不調の為の1か月以上の休職か、退職者だと言って反論しました。
他の人も休職はしていないけれど、病院に通っていたようです。

大手広告会社の女子社員が過労自殺して、この会社は社会的批判にさらされる。
2014年に過労死等防止対策推進法が成立施行されたが、そのあとも過労死が後を絶たない。
過労死が全く減っていない、電通でも起こったのだと思いました。
法文はできているがそれはあくまで理念であって、具体的な防止策をどうするかということは、まだ今からなんですね。
お母様が悲想な顔で、お嬢様、お母さんの気持ちがどんなものかと思うと、本当に胸が痛みますし、怒りがわきます。
必死に一生懸命育ててきた、世の中で親の一番大切なのは我が子なんですよ、この子の為には或る意味では生きてきたと言っても過言ではない、この大切な我が子を会社は一体どういう風に使ったんだろうかと、どんなつもりで働かせたのだろうかと思うと、機会が有ればお母様にお会いしてせめて一声だけでも掛けて差し上げたいと思います。(声を詰まらせながら)
過労死は、病死(脳、心臓、呼吸器系疾患での突然死)と、過労自死(鬱病から来る)がある。
過労死が発症した以前1か月の時間外労働が100時間を超す場合、発症前2~6カ月で平均が80時間を超す場合、これが過労死ラインと言われる。
精神障害の場合は時間は同じではないが、時間も参考にして、どういう出来事があったのか(パワハラなどを含めて)、という事で判断されます。

過労自殺は労災申請件数で年間1500件を越えて年年増えている、過労死は労災申請で年間800件前後で横ばい。
関西大学名誉教授森岡孝二さんのホームページでも指摘していて、減少の兆候は見られないと言っています。
過労死は国際語として通じる様な言葉になったと言います、情けない言葉です。
働き盛りの過労死から若者の過労死へと時代が変わってきている。(就職氷河期からようやく正社員になった)
息子が2回目の休職から復職するときに止めた方がいいと言いましたが、年度途中で止めた場合には次にまともな職には就けない、職場のみんなが鬱状態で薬を飲みながら鬱病を治して行っているのでもう一度だけ戻りたいと言っていましたが、・・・・・。

プロジェクトに入った2カ月後に父が亡くなった時に葬儀のために息子が帰ってきたが、一眠りしてほしいと言って眠ったが、お通夜の時間に起きれなかったので、これは尋常ではないと思った。
辛い状況をブログで綴っていた。(後で判ったこと)
2004年10月8日 プロジェクトの忙しさを記載、3連休も2日は確実につぶれる、22時にパソコン電源を切るが 今日は早いなというふうに記載。
2004年10月13日 今日も普通に23時まで仕事、本格的に疲れてきた。土曜は病院、日曜は情報処理試験。(一度目のうつ病で休職し、その後復職した後の時)
2005年 2回目の鬱が始まったこと、徹夜をして朝7時に帰って来ていることなどを記している。(うつ病を抱えながら、こういった仕事をしている)
2006年 1月10日(亡くなる2週間前) 欝っぽいこと、自分には存在価値が無い、これから先生きてゆく自信が全くありません、寝ることすら恐怖感があるんです、最近。
鬱病記録のつもりでブログとして日記を残したが、全く治ってゆく気配が無く悪化して行き、出口が判らない状況になって、こんなことならブログを書くんじゃなかったと、息子の絶望感、苦しかったと思います。

2004年12月28日 母親と23時30分落ち合った。
俺が死んだら悲しむんだろうなあ。
最悪な親不幸は承知しています。
何かもう終わっています。  と書いてます。
神戸から会うために出てきたが8時に落ち合う約束だった。
仕事が終わらなくて会えないとのメールだったが、今日の分を終わらせないと帰れないとのことで、やっと会えたのが23時30分でした。
息子がカラオケに行こうと言って、怒鳴る様に歌っていて(ハードロック)、ストレスを発散したいのかと思いました。
親には本当のしんどいところを言えない、親に心配をかけるので、たまらない気持です。
察知は大変難しいことだと思います。
睡眠不足か、痩せてきているか、食欲はどうか、仕事をやる気がでているか出ていないか、色んな状況がでてくると思うが、うまく周囲が判るといいんですが、いつもと違うと言う事が一つの判断だと思いますが、当人が誤魔化してしまう事もある。
普段と違うと言う風に感じた時は危険信号、死という言葉を言ったりするときにも危ないと思います。

患者の言葉だけでではなくて、家族からの本人の状況の意見を聞いたうえで医師も
どういう見た手をして、どういう診断名が出てるのかを、聞く必要があると思う。
亡くなってから別の医者に息子の資料すべて見ていただいたが、会社も悪かったが医者もよくなかったと言われました。
息子の睡眠障害の症状を直すための治療の効果的な治療法が行われていなかった。
薬の過剰投与の為に却って体の調子が悪くなって、元気になれない。
鬱病の薬によって却って追い込まれて死に至ったと言うべきかもしれません。
健康な人でも睡眠がきっちり保証されずに休息時間が無いと、どんな人間でも鬱病になり得ると医者も言っています。
貴方一人ではない、貴方一人のせいでもない、周りの人に相談して、貴方の状況を何とか改善して息子の様なことにならない様に周りの方を悲しませないように、何とかその対策を取ってください、心からのお願いです。