2016年1月27日水曜日

篠原勝之(ゲージツ家・KUMA)   ・人生行きあたりばったり(1)

篠原勝之(ゲージツ家・KUMA)   ・人生行きあたりばったり(1)
連作短編集「骨風」で去年第43回和泉鏡花文学賞受賞した篠原さんの前半です。
1942年北海道札幌市生まれ、室蘭市で少年時代を過ごし、17歳で家を飛び出し上京、肉体労働、舞台美術などの仕事で20代、30代を過ごしました。
1980年代以降は鉄のゲージツ家を名乗り、国内外で鉄を素材にした巨大なモニュメントを製作するようになります。
トレードマークの坊主頭、着流し姿でTVのバラエティー番組に出演して、熊さんの愛称で広く知られるようになりました。
2009年に「走れUMI」で小学館児童出版文学賞を受賞するなど文筆家としても高い評価を受けている熊さん、執筆活動などを伺います。

和泉鏡花文学賞受賞は吃驚した。
和泉鏡さんの故郷が金沢なので、金沢まで行って貰うわけですが、困ったのは受賞スピーチを25分ぐらいしゃべらなくてはいけないので考えたりメモったりしたが纏まらずに本番になってしまった。
初心者の自転車乗りに例えて、手を離されたというな状況である、という様な事をしゃべりました。
父の事を書いたが、父の骨が風に飛んで行く様な、自然と骨風という言葉が出てきた。
実際にあったことをベースに書いているが内容的には1/3は作り話です。
父の骨をガンジス川に散骨したが、ぱっと消えてしまったが、フィクションにしてしまうといいなあと思って、モンゴルでの作り話の面白さを思った。
いろいろな死んでゆく話を書きたかった。
死ぬということはしんみりしてしまうが、時間がたつと少しづつ薄れてゆくが、人の死んだ話を読んでしんみりしてもらっては申し訳ない。
死ぬということは生きていると同じ位の重みがあり、軽さもある。
生きていることでも辛くて悲しいことは色々ある。

本にしようとは思わなかったが、描いて面白かった、書く事は考えることでもあるし。
死がテーマになっていて、家族の事も多く描かれている。(父、弟)
行旅者 行ったきり帰ってこない者の事を言う。
弟はやりたい放題で羨ましいと言えば羨ましいが、行旅者になり、最後は一人で亡くなっているところ、俺に連絡があった。
無縁墓に入ることもなく無事お弔いをして、お墓にもいれましょうという話。
身うちの話、俺との関係をどういう関係で終わって行ったのかを、俺が感じることを書いてみたいと思った。
父は警察官をやっていたが俺は知らない、いいお巡りさんだったのかもしれない。
父は戦争から帰ってから乱暴な人になった。
家庭における戦後史みたいなものもあったのかと感じたりしていた。
家族というものは厄介なものでもあるし、自分の影みたいな部分もある。

生きている間は怖いとか、あの野郎とか思っているが、死んじゃったら割とさらっとしている。
父にしても弟にしても死んじゃったら、生きている事を知らないわけだから、俺はもうちょっと書くということは感じられている、生きているという事を感じられているという事。
歳を取ってくるとふっとそういうことを感じる。
通過した時間、体験したことをテーマにして考えると、生きてくるとネタはいっぱいあると思う。
若いころはあんまりものを見ていないし、考えない。
この頃はちょっと考える。
書くということ自体、今まで手にしたことのないおもちゃだと思っている。
これで飯を食っていくとなると大変だが。
若いころ、深沢七郎さんに「文学は人を殺すぞ、文学は変に近寄ると死ぬぞ。」といわたことがあるが、何のことを言っているのか判らなかったが、この年になってみると面白いじゃないかと思っているが、おいしいものに近寄るなと言っていたのかもしれない。
まだない世界を言葉で構築する、そこが面白いと思う。

鉄のオブジェと本を書く事は 言葉は嘘も言えれば騙したりできるので形のない分、面白いと思う。
オブジェは頭の中にあるものを再現する、それをみんなに見えるようにする。
言葉は頭の中にはなくて体験だけがあり、言葉を使って別の世界を作れればいいなと思う。
70歳中盤にきているので、書きたいときに書けばいいという様なわがままな状態になっている。
書きたいことはいっぱいあるが、全部かける訳ではないので、やれることをやればいい。
終りが来ることはざっくりは判るが、今日やることはいくつあるかなどを数えるぐらいかな、それもまんざら悪くない、しかしそんなにやることはない。
昔は エッセーを書くために人と付き合ったり、飲んでみたりとかあったが、こういう生活は駄目だと思ったが、今は「骨風」ともうちょっと同じようなテーマがあるなと思うので、集中してみようかなあと思っている。
鉄(鉄の性格)は自分の体が向いていると思う。

初版は3000部、絶版への道かと思っていた。
糸井重里さんがお勧めの本ですよという事(糸井秘本)で売られる事を聞かされた。
書くということはこういうことだなという事を自分で実感した。
言葉で面白い世界を作れればいいなあと思っています。