2011年8月30日火曜日

山田脩二(日本の写真家、瓦師)   ・売れっ子カメラマンから瓦焼きへ

山田脩二(日本の写真家、瓦師) 売れっ子カメラマンから瓦焼きへ  
昭和6年生まれ 西宮で焼きだされ、母親の実家に小学6年までいて、中学、高校と又西宮に住む その後は東京にて仕事をする
父親は建築設計(終戦までは大手の設計事務所) 戦後フリーの建築設計家として仕事をする 
高校の時は絵を描くようになる  
学校の方針に合わない(大学進学中心主義) 2年の終わりに大学選択 
芸大受けたいと先生に言う(内申書を書いてもらえず)  
桑沢デザイン研究所に入学した  グラフィックデザイナーを目指す  印刷・写真を学ぶ  
写真の仕事をする 
 
2カ月掛って東京から関西まで旅行する(26歳) いろんな方にお世話になり旅が出来た 
建築カメラマン 東京霞が関ビルをいろいろな角度から撮る事がきっかけとなる  
万博の時が忙しかった 撮りまくる  
自動車で旅に出る 1年間3万km日本国内を走り 写真を撮る  
普通の風景(日本の村) 1971年  
写真と文章が関連していない(日本の村 今) 『山田脩二 日本旅 1961-2010』
モノクロ写真が主体 目が本能的に白黒に写し替えている  
わりかし手作業で自分で出来る
自分の表現としては白黒の方が合っていた
紙を焼く、土を焼く、木を焼く  
42歳の時に淡路島(瓦生産地)に家族とともに移住する