2011年8月2日火曜日

黒田征太郎(イラストレーター74歳)     ・広島を描き続けて


黒田征太郎(74歳)イラストレーター・   広島を描き続けて
<概要>
黒田 征太郎 (1939年1月25日 - ) はイラストレーター・グラフィックデザイナー。
日本工学院専門学校グラフィックデザイン科顧問
音楽に合わせて素手で絵を描いていくライブペインティングやホスピタルアートを
ライフワークにしている
これらは黒田が太平洋戦争・アメリカ合衆国滞在時の交通事故の体験が基盤になっている
平和運動も積極的に行なっている  原爆、戦争、 野坂氏との交友等
絵と音楽同時進行で行う  音に触発されて塗りたくっている(絵というものは何かに
触発されて描く(花がなければ花は書けない)

自然のすべてが先生 私は古代人あるいは原始人がやってきたことをなぞっていると思う
近藤等則(音楽家トランペッター・音楽プロデューサー)  
喜び悲しみをふきだしたらいいと思っている 上手に書こうとは思っていない
2009年から北九州に住むようになる ニューヨークに17年間いたが いろんなことが絡まって
いるが、一度外れようと思った
佐木 隆三 作家 友人 40年来の友人  と共同で絵本を出す 
「昭和20年 8歳の日記」・・・奇跡に近い形で出た 
有る会合でであった 急に「俺キノコ雲を見たんだよ」といった 
 広島のキノコ雲の事をやっていたのでそれを知っていてヒョイとでたと思う
とっさに出た言葉が「一緒に絵本を出しましょう」 8歳になった時の気持ちで書いて
ほしいと要求したら日記形式で書いた

私は6歳だった時で 君大人になったらどうするの 
ほとんどの少年は陸軍大将とか兵隊とかがほとんど 答えていた
戦争がいかに国を挙げての狂気になってゆくかという事
子供が犠牲になる時代はよくない 一つの色に染められてしまっていることの「イビツサ
」はある 戦争終了後8歳~13歳はすごく楽しかった
「8/6広島に新型爆弾 落下傘が空で破裂 朝 婆ちゃんと田の草取りをしていたら
 ピカっと光り大きなキノコ雲が立ち上がって夕方からやけどをした人達が
集めまってきて学校は満員 」

キノコ雲 ずっと書く癖が付いている 1万点以上書いている ・・・野坂昭如の影響
朝鮮戦争の時 野坂氏は小倉におり共産圏から原子爆弾を落とすのではないかと
思ったらしい (長野まで逃げた)
キノコ雲が追いかけてくるイメージだった・・・野坂氏 (私は野坂氏のこの言葉に鮮烈に
覚えている)
フランス政府が核実験再開した日からキノコ雲を書くようになった  
ひび割れた断面から世界に広がってゆくというイメージ

核爆弾の実験を2060回ぐらいやっている 今ヒロシマ型原子爆弾の100倍200倍の威力
を持った物凄い数が地球上にある(60数億人が一挙に亡くなってしまう)
戦争をテーマにした絵本を野坂氏と一緒に作っている
ある新聞社を介して野坂氏と知り合う 最初は変な難しい事ばっかり言っている
おっちゃんだなあと思っていた
話が戦争の事、子供の事、これから生きてゆく子供の事、食糧の事、原子力発電所の事
 暗い内容ばっかり話していた

自分も年を取って来て刷り込まれていった   戦後50年経ってアメリカに渡った
アメリカから見ると意外と日本が良く見えてくる 日本にいた時よりも日本が気になる 
野坂さんは 人類がやってきたのは戦争ばっかり 戦争がなかったことはない 
今でも地球のどこかで戦争をやってる
戦争が起こったら弱いものから犠牲になってゆく 
犠牲も人間だけでなく草木にいたるまでと云う事を童話で書いていた事に思い至る
野坂さんのおっしゃっていることを、お先棒を担がして頂きたいと思い、「野坂昭如 
戦争童話集」を絵本化し、映像化した しかし自分の中で達成感がない

沖縄戦についてどう思うか野坂氏に聞くが 体験がないから書けないという 
その後一緒に沖縄に何回も行って「海亀と少年」が出来る
「昭和20年 8歳の日記」は兎に角最初に野坂氏に見せたかった
続いて行っている 戦争の残酷さ とか そういうものを風化させない
野坂氏は10年前から療養生活をしている 右手が具合悪く妻が代筆している
野坂さんこれからどういう事を書かれる積りですかと聞いたら 「昭和20年8月15日に
決まってるだろう バカ」と言われた

10月25日 日記は締めくくられている 
「母ちゃんと広島市にゆく ピカドンで焼け野原 つとむ兄ちゃん生きていてありがとう」
戦争中 兄は体が弱く 病気になって古里に帰っていた その時8歳の当人は兄に対し
て非国民だといっていた 軍国少年だった
8歳の少年が一瞬にして変わってゆく 人間如何に命が大事か 
佐木 隆三さんのこの日記の最後が大好きです
今の8歳の子も同じように考えていると思う 大人が思っている以上に命に対して敏感
だと思う

最後の絵は被災地を見てきた後に書いた 津波も原子爆弾も根こそぎ取ってしまう 
原子爆弾は太陽(火の神)を逆手にとって、盗んで爆発させたもの 
水の神(津波)は矢張り持ってゆく  
火の神と水の神は敬虔しないといけない
人間も自然の一部  なかには自然をすくわないととおっしゃる人がいるが なにいってる
の貴方も自然の端っこにいる人間じゃないと思う
この本はいろいろ家族等でしゃべるきっかけになってほしい
天からの災害と人が作った爆弾が落ちたのは 違うと云えば違うが、大きく言えば命の
お話というか 命あってこその自分等であるからそういった意味では一緒で 今は持っていけないがいつかは被災地の方々に読んでもらいたいなあと思います