2025年1月21日火曜日

堤剛(チェリスト)            ・恩師との出会いが紡いだチェロの軌跡

 堤剛(チェリスト)            ・恩師との出会いが紡いだチェロの軌跡

堤剛さんは1942年生まれの82歳。 日本を代表するチェリストです。 音楽家の齋藤秀雄ヤーノシュ・シュタルケルに師事し、チェリストとして世界的に活躍すると共に、後進の育成の育成にも力を注いできました。 その一方で桐朋学園大学特任教授、霧島国際音楽祭音楽監督、サントリーホール館長など数々の要職を歴任し、日本の芸術文化の振興に寄与した功績が認められて、去年文化勲章を受章しました。 西洋楽器奏者としては初めての受賞となりました。 

両親は音楽がしたいという事でそれぞれ東京に出てきました。 父はNHK交響音楽団でコントラバスを弾いていて、母はずっと小学校で音楽の先生をしていました。 小さいころから音楽が自分の周りにありました。  最初は6歳からヴァイオリンをやっていました。 8歳のころに子供用のチェロを始めました。 10年齋藤秀雄先生に師事して頂きました。 日本の西洋音楽のレベルを世界レベルにしたいという先生の思いがあり、先生は子供たちへの教育もしました。 

齋藤秀雄先生の言葉としては「歌え」という事です。 演奏というのは歌う事、自分を表現するという事です。 シュタルケル先生は「自分を知れ」という言葉が印象に残っています。  自分を十全に表現するためには、自分がどういう事をやって、どういう考えで、どういう風にしていかなければならないのか、自分を知るといことは結構難しいです。 

1963年(昭和38年)にミュンヘン国際音楽コンクールで第2位、ブダペスト国際音楽コンクールのパブロ・カザルス・チェロ・コンクールで第1位を獲得。 当時は国際コンクールは少なかった。 これをベースにウイーン、ベルリン、ニューヨークなどでデビューリサイタルを行う事が出来ました。 これが世界的に演奏する土台になりました。 演奏は創造活動で、演奏家としての創造活動はお客様と一緒になって、その場を共有して何か新しいものが出来た時に本当の創造活動だと思っています。  チェリストはお客様に正面から向かい合うので、お客様にリアクションが目に見えてしまいます。 時と場所を共有することによって新しい発見があったり、リアクションが有ったりするとこちらも嬉しいです。 

齋藤秀雄先生が力を入れたのが室内楽です。 そこからオーケストラに入って作ると本当にいいオーケストラになると言っていました。  すべての基本は室内楽的なものだと思っています。 

シュタルケル先生は、自分にとって教える事と、演奏する事は車の両輪みたいで、自分はその心棒みたいなものだといって、自分としてはどちらが 欠けても物足りないという事で、それを心掛けて演奏活動、教育活動もしていると言っています。 シュタルケル先生のティーチングアシスタントにして頂きました。 ですから教える事と演奏活動をずっとやって来ました。 教育活動はお互いにとっての創造活動だと思っています。 共有することによって生きざまみたいなものを学んでほしいと思っています。 先生の役割はいち早く一人一人の生徒の才能を見出してあげることだと或る人が言っています。 

霧島国際音楽祭ゲルハルト・ボッセ先生がわざわざ欧米に行かなくても日本の学生が先生方から素晴らしい教えを受けることができるという事で始められました。(約50年前から) 霧島国際音楽祭は全面的に鹿児島県が応援してくれています。  地元のサポートがあるのがうれしいです。 1/3~1/4の受講生は海外から来るようになりました。 音楽祭自身も海外から注目されるようになりました。 

文化勲章受章については、クラシック音楽では6人目だそうです。 器楽では初めてだそうで栄誉なことだと思っています。  館長を務めているサントリーホールも来年で40周年を迎えます。 室内楽アカデミーとオペラアカデミーと2つのアカデミーを開講しています。  大学を卒業してオペラ歌手になる人たちの橋渡しをする目的でオペラアカデミーが出来ました。 私が館長になってから室内楽のアカデミーを立ち上げました。 今では世界のトップクラスのホールになりました。 責任も生まれてきます。 もっと盛んにしていきたいし、新しい道も切り開いていきたいと思ています。