2022年12月23日金曜日

大日向雅美(恵泉女学園大学学長)    ・〔みんなの子育て☆深夜便 ことばの贈りもの〕 〝母性愛神話″との闘い半世紀 初回:2019/9/13

 大日向雅美(恵泉女学園大学学長)    ・〔みんなの子育て☆深夜便 ことばの贈りもの〕  〝母性愛神話″との闘い半世紀 初回:2019/9/13

1950年生まれ、72歳。  NHKのEテレ「すくすく子育て」にも長年出演、テレビで大日向さんのお話を聞いたり、育児関連の本を読んだりしてきたという人も多いのではないでしょうか。  大日向さんは1970年代からお母さんの育児の不安を和らげようと、社会の中にある母性愛神話、3歳児神話の弊害を訴え育児支援という言葉がまだ存在していなかった時代から50年余りの間子育てについての提言をしてきた方です。   2003年に子育て広場「あい・ぽーと」という施設を開設、親子が集える場所を作り、地域の子育ての支援者の養成にも取り組んでいます。

25歳、32歳で出産しています。  育児ストレスもなく夫は協力的でした。  長女が生まれた時に凄い衝撃的な体験をしました。   予備知識、こう育てようとか思っていたのが新生児室に見に行った時に、すーっと消えたのが今でも覚えています。   10人ぐらいいて生まれて1日、2日なのに自分の個性を持っていて、かなわないなと思ったら私の知識がすーっと消えて、その点では楽になりました。  博士論文を書きたかったし、仕事をしながらの子育てという事で辛かったです。   博士論文に選んだテーマは育児ストレス、育児不安に悩むお母さんたちの声を世の中に訴えて、当時持っているという母性観を疑うという研究をしていたことについてです。   

母性は神話だという事を講演で話すと皆さんが怒るわけです。   最初は女性が怒りました。   「小日向さん あなた子供を産んだことはないでしょう。」という声から始まるんです。   私も母ですと言えなくて、聞いていると懸命に生きて来た50代、60代の人たちで自分の人生を否定されるような思いがあるのかなと思いました。   その方たちは70年代に子育てを終えて、専業主婦として夫を支え家庭を守る、或る種国策だったんですよ。   戦後の高度経済成長を支えるために、夫が企業戦士で働き妻が家庭を守る、立派だったと思います。  しかし、あなた方の娘さんの時代は違うと訴えたかったんです。 時代が変わって女性たちが声を上げるようになると、男性たちは客観視、冷静でいられなくなって国を亡ぼす女とかという本を書いた人もいました。    母親が育児をするのは日本的な美だと、それを崩すから少子化なんだとか、と言うわけです。

或る時小児科医の会合で3歳児神話の話をしました。  3歳児まではおかあさんがみなくてはいけないとという考え方は必ずしも神話ではないという話をした時に、男性が、「貴方がこんなことを言うから、母乳を与えないでミルクなんかを与えている。  哺乳動物でも母乳を与えない動物はいない。あなたはどういう責任を取るんだ。」と言われました。   「他の哺乳動物はミルクを作れないからではないですか。」と答えましたが益々怒られました。   私は母乳を与えなくていいと言ったわけではなくて、日常で母乳を出せない、与えることができない女性に替わってミルクを作ってきたのも文化だと、多様性を認めることがどんなに大事かと言いました。  

夫は貴方の主張は間違っていないと応援してくれたので、めげずに進めました。   70年代のお母さんは育児が辛くてもなかなか言えなくて、今のママは元気で溌剌としています。  でも今のママたちの声を聞くと70年代のお母さんたちと違わない悩みを抱えています。  「すくすく子育て」の番組で母親が夫の協力がないと愚痴を言っていましたが、掘り下げてみると、夫側にも企業側の論理があり、社会問題も考えました。   「社会を変えてゆくことが必要ですね。」と言ったら「じゃあ私は社会を変える主役になれるんですね、」と言ったんです。   一緒に戦いましょうと声がNHKに届いたようです。    ここは大きく変化したことだと思います。  

NPO、「子育て街つくり支援プロデューサー」は凄い人気です。  団塊の世代で高度経済成長期に生きてきた方で、定年を迎えて何をしようかと思った時に、子育て支援をやってほしいと投げかけたら、真剣に勉強してくれて、「ありがとう。」と言われて、心洗われるという事で、娘と会話ができるようになったと言っていました。   

江戸末期、明治初期、外国から来た人で「日本は子供の天国だ。」と言った手記があるんです。  そのころは家族だけで子育てはしていなかった。  みんなで助け合っていた。  高度経済成長期以降は食住分離、核家族、地域の崩壊が生じる。  昔の地域をではなく、新しい地域を作りたいと思っています。   自分の孫ではないが地域の子として愛せるような仕組みですね。  「あい・ぽーと」という中で着実に出来つつあります。 

90年代になって1.57ショック(合計特殊出生率が1.57と、「ひのえうま」という特殊要因により過去最低であった1966(昭和41)年の合計特殊出生率1.58を下回った)で少子化が気が付いて、世の中がお母さん一人の育児ではおかしいのではないかという事に気が付き始めて、そのころ育児不安とか、育児ストレスで母親たちが子供を犠牲にするような事件が続いてきました。  そのころようやく私の研究が注目を集めるようになりました。  講演を行った後で、ある女性の方が訪ねてきて、「私は貴方の研究でバッシングに耐えてくれた姿を見て、ずーっと応援してきましたが、母性愛神話を崩すその先にどんな社会を描いて居ているんですか、新たな神話を作る責任が貴方にはあります。」と言われてバッシング以上に辛かったです。   

「あい・ぽーと」に参加してくれる人があつまってきて、日本も捨てたものではないと思いました。   理由がないと一時預かりは出来なかったが、一時でもいいからホッとしたいというような、理由がなくても一時預かりは出来るという事で、施設を勝ち取った「あい・ぽーと」という施設です。  サポーターも養成して、今、5つの自治体で1900人になりました。    失敗も必要だし、甘えてもいいという事を私はいろんなところでお母さんたちに言い続けてきました。娘がある時期にお世話になった方がいて、「今あなたが一番大事なことは他人に上手に甘える事、あなた方に余裕が出来た時にはできることを出来る方にしてあげるように」と言われ、「人生は支え支えられて お互い様よ。」とも言われました。   私が子育て支援をしている大事な言葉です。