2022年9月16日金曜日

坂田雅子(映画監督)          ・枯葉剤被害を撮り続けて

 坂田雅子(映画監督)          ・枯葉剤被害を撮り続けて

1948年(昭和23年)生まれ、74歳。  これまで20年に渡りベトナムの枯葉剤被害をカメラに収めて来ました。   この8月から最新作のドキュメンタリー映画「失われた時のなかで」が公開され戦争の傷跡の深刻さを訴えています。  

「失われた時のなかで」が公開され、こういう被害がまだあるとは知らなかった、という声を聞きます。  ベトちゃん、ドクちゃん以外にもこんなに多くの人が、様々な形で被害を受けているという事にびっくりしたという声を聞きます。   観客はシニア世代が多いですが、若い人も見に来ていますが、ベトナム戦争を漠然としか知らない世代です。    枯葉剤が最初に散布されてから61年、戦争が終わってから47年になります。   ベトナムは行くたびに経済発展していて新しいビルが建っていきます。  私が最初に行ったのが1989年ですが、そのころはハノイの空港は木造の小さな建物で、電気もなく自動車もありませんでした。  今では車がにっちもさっちもいかないような増え方で、交通渋滞が激しく、都市は富を感じさせるようになりましたが、田舎に行くと昔と変わらないような生活が続けられていて、枯葉剤の被害者もそういうところに多いです。

枯葉剤の取材を始めたのは2004年です。   2003年に盟友だった夫が急に亡くなったんです。  友人が彼の死の原因は枯葉剤だと伝えたんです。  なんで今頃死に至るんだろうか、本当に枯葉剤なのか、知りたいと思ってベトナムに行きました。    枯葉剤について勉強しよう、知ったことをドキュメンタリー映画という形で記録映画を作ろうと思いました。   アメリカで2週間の映画を作る講座に参加して、デジタル化が進み専門家でなくても映画が撮れる時代になって、自分で短編を3つ作ることが出来ました。  帰国してビデオカメラを買ってベトナムに行きました。(55歳)      

彼はベトナム戦争から除隊してアメリカに帰ったけれど、反戦の嵐があり居心地が悪かった。  彼は京都に来て私たちは出会いました。   彼から枯葉剤を浴びているから子供は出来ないと言われました。   枯葉剤はエージェント・オレンジと言っていましたが聞き逃していました。   中村悟郎さんという枯葉剤を追っているカメラマンがいますが、1983年に大々的な写真展をしたらしいんです。  その時に夫が写真展を見に行って、自分も枯葉剤を浴びていて心配なんだという事を中村さんに話をしたという事を後で聞きました。   

取材を始めたらあちこちに被害者がいてびっくりしました。   貧しくて障害がありますが、家族愛があって、自分は独りぼっちなので羨ましいと思いました。   2008年に公開された ドキュメンタリー映画花はどこへいった』が出来上がりました。   第26回国際環境映画祭の審査員特別賞、第63回毎日映画コンクールのドキュメンタリー映画賞を受賞。稚拙だったんですが、いただくことが出来ました。  空虚だった人生に手掛かりが出来ました。その後ベトナムの子供たちを支援する奨学金の活動を始めました。  10年余りで1000万円以上集まって枯葉剤で障害のある子を3年間学校へ行けるプログラムを作って、100人以上の子が学校に行くことが出来て、手に職をつけたり自立したりすることが出来ています。  喜んでもらっています。  

2011年、ドキュメンタリー映画『沈黙の春を生きて』発表、そして今回と、枯葉剤をテーマにした映画は3作になります。   1作目を作り終えて一区切りついたと思ったが、いろいろなことが見えてきて、アメリカの人に知って貰いたくて、2作目を作りました。  『わたしの、終わらない旅』(核の問題)、「モルゲン、明日」(原発の問題)を作ったが、枯葉剤をテーマしたものがまだあると思って、3作目になりました。  枯葉剤被害の第一世代の人たちが自分たちは病気で苦しんでいて、高齢化して弱っていて子供たちの面倒が見られなくなってきていて、それが大きな問題です。   

ベトナムは経済発展が凄くなって子供が多く生まれるようになり、産婦人科病院の一角にあった「平和村」(枯葉剤の子供たち被害者の施設)をどこかに動かそうという動きがあり、「オレンジ村」(枯葉剤の子供たち被害者の施設)を作ろうという事で、日本のNGOが手助けをして、有機農業をする農場、リハビリセンター、子供のケアするところとか纏めて作ろうという動きがあります。    「オレンジ村」の支援をしようと思っています。  

枯葉剤被害と判っている人にはベトナム政府は月に7000円の援助をしています。     ここ2,3年でのユニセフの調べでは、ベトナムの全人口の7%、670万人ぐらいが枯葉剤の影響を何らかの形で受けているという大変な数字が出ています。  アメリカは50万人の兵隊が行っていますが、病気になった人、子供が障害を持つ人が沢山います。  彼らは1980年代に集団訴訟をして、化学薬品会社を訴えました。  時間もかかり示談になりました。 相当な額だったが、20何万人で一人一人にしたら大した額ではない。    1991年にエージェント・オレンジ法が出来て、ベトナム帰還兵に対するアメリカ政府の補償はかなり実のあるものになりました。   アメリカはベトナムに対しては枯葉剤の影響を認めていない。    ベトナム政府も十分な補償が出来るわけではない。   アメリカに対して「許すけれども忘れるな」という事をモットーにしていると言っていました。  

夫を枯葉剤で亡くしたとか、同じアジア人で、年代的にも同年代とか、すーっと受け入れていただき気持ちが通じ合う事が出来てきました。   振り返ってみると取材は女性が多いですね。  優しくて強い存在だと思いました。   眼をそむけることなく兎に角目の前で起きていることを吸収しようと思いました。   戦争って始まってしまうとなかなか終われないものかなあと思います。    ベトナム戦争は1973年に平和協定が結ばれて終わったことになっていますが、未だに傷跡が続いているわけですから。   ウクライナの戦争も今大変な事になっていますが、たとえ決着がついたとしても、その後遺症はいつまでつづくのか、本当に大問題だと思います。  

グレッグ・デイビスはこう言っていました。  「ベトナムを離れた後、二度とアメリカンに住むことはなかった。  そして米国の戦争犯罪を批判するようになった。  私は世の中で何が起こっているのか、そしてそれは何故か、と知りたいと思った。  私はアジアを発見する旅に出た。  それは複雑な旅だった。  私は写真家になる道を選んだ。  写真を通じて戦争の前と後を記録する、その大切さを伝えたかった。  戦争のアクションは誰にだって撮れる。   本当に難しいのは戦争に至るまでと、その後の人々の生活を捉えることだ。  その中に本当に意味のあることがあるのだ。」  ベトナムで3年間の辛い経験があるからだと思います。  歳なんだからとか考えないで、出来ることをしていけばいいんじゃないでしょうか。