2020年6月25日木曜日

田渕俊夫(日本美術院理事長・日本画家)  ・【私のアート交遊録】(初回:2017/11/23)

田渕俊夫(日本美術院理事長・日本画家)  ・【私のアート交遊録】(初回:2017/11/23)
1941年生まれ、長きにわたって日本画壇をけん引するともに、東京藝術大学へ後人の育成にも尽力されてきました。  現在東京藝術大学名誉教授で日本美術院の理事長です。
2019年には文化功労者に顕彰されています。  田渕さんは2017年5月、世界遺産の奈良薬師寺で再建された食堂の内部を飾る壁画を完成させました。   伽藍最大の建築物である食堂に収める本尊阿弥陀三尊浄土図と全長およそ50mの大壁画仏教伝来の道と薬師寺は5年がかりの大仕事でした。  田渕さんは文化の力で平和を希求した日本画家の故平山郁夫さんのお弟子さんです。  薬師寺には平山先生の「大唐西域壁画」があるだけに自分らしさを出そうと頑張らせていただいたと話しています。   混沌とする現代社会の中で、日本画界の巨匠は師の意志を引き継ぎ、仏画の世界にどんな思いを込めたのでしょうか。
   
仕事が終わったあとに突発性難聴になり片耳が聞こえなくなってしまいました。
めまいがして立てなくなり救急車を呼んで一週間入院しました。
薬師寺再建の食堂の中に収める本尊の阿弥陀三尊浄土図、全長50mの仏教伝来の道と薬師寺をおよそ5年の歳月をかけて制作。
仏画は描いたことはなかった。
最初から研究しないとけないということがそれが一番つらかったです。
阿弥陀様の顔はどんなものかわからなくて、京都、奈良のお寺に行ってみてもほとんど暗くて見えませんでした。
画集の中にある阿弥陀様を拡大してスケッチしてゆくことから、次々にやっていきました。
作家によって個性があるので二つとして同じものがありません。
自由に描いてもいいのではないかと思って、そうしたら楽になりました。

場所が南北16m、東西41m、高さが14mで凄い大きな空間でした。
食堂が何もない状態から見ていて、食堂が建ちだしたらびっくりするほど大きいです。
私のアトリエは横幅は10mぐらいありますが、高さは3m50cmしかなくてそこへ6m四方の阿弥陀三尊像を描くというので、搬入されたパネルのおおきさにはびっくりしました。(パネルは半分ずつでしかないが)
5年間かけていろんなものを描いて出来上がった絵と違う絵が食堂の中にあった。
アトリエは限られた空間で遠くからは見ることができない。
こんな絵を描いたのかと出来上がった絵が自分が描いた絵とは違って見えました。
伊東 豊雄先生の天井のデザインとライティングがすごくよくて、アトリエで描いていたものよりもきらきら光っていてありがたい環境に入れてもらったと思いました。

当時の山田 法胤館長さんから好きなように描いてくださいと言われて、何も一言も注文がありませんでした。
私は仏教のことは知らないし、修業はしていないので描いていいのかと思いました。
絵の修業はしているんだということで勘弁してもらおうと思いました。
私が絵を描くときに一番大事にしているのが「感動」です。
植物、自然、街並みなど多く描きましたが、怖いのが慣れなので新しいものに挑戦しています、仏画もその一つです。
墨絵にも挑戦しています、毎日が挑戦です。

大学に勤めていたので平山郁夫先生とヨーロッパに調査旅行したことがありました。
美術館、博物館の調査がほとんどですが、宿泊ホテルから見る朝、昼、晩の風景がみんな違って見えるわけです。
一日の風景の絵を想像力で一つの画面にしてみることがあります。
平山先生は君の先輩だと言って、私の絵がどう完成するかわかるからということで自由に描きなさいと言われて、先生からはほとんど教えてもらうということはなかったです。

「教習なし、研究あり」、これは横山大観の言葉です。
教わるんではなくて自分で考えて研究しろということで平山先生はそのようにしました。
東京芸大の先生方の描いた絵を見て研究していきました。
作品が出来上がったって講評をするときには厳しい評価をする時があります。
平山先生からは一つだけ言われたことがあります。
当時私は細い線で描いていましたが、先生から「田淵君、カミソリでは大きな木を切れないよ、大きな木を切ろうとしたらナタでないと駄目だよ」と言われました。

薬師寺縁起絵巻という課題を言われたことはあるが、縁起絵巻はそれほど面白いことはないので、中国の大雁塔(652年に唐の高僧玄奘三蔵がインドから持ち帰った経典や仏像などを保存するために、高宗に申し出て建立した塔。)で仏教の経典を翻訳をしているので、そこから明日香までの道すがらを描きましょうということにしました。
全て現実の世界だけではなくて、道すがらを自分で想像して描きました。
平山先生は藤原京を描きましたが、平山先生の下図も残っていて平城京も描きたかったものと思い、大和三山を含んだ大きな藤原京と平城京の両方を弟子として描こうと思いました。

絵が出来上がったら平山先生の奥さんのところに画録が出来上がったら報告に行きました。
高齢にもかかわらず奥さんは6時間ぐらい車に乗って観に来てくださって嬉しかったです。

新作ではない個展をやろうということになって、鶴岡八幡宮縁起絵巻の三巻のうち一巻目はできているが、二巻はまだ描いていないので、全部で三巻描かなければいけない。
しかし最近は時間がかかってしまっています。
朝は4時ぐらいから夕方まで描いていると飽きないけれど流石に疲れてしまいます。
そうすると気分転換には室内用の自転車こぎを1時間ぐらいやります。
暮れも正月もなく毎日絵を描いています。