2018年10月27日土曜日

山崎 亮(コミュニティーデザイナー)   ・人と人を結ぶデザイン

山崎 亮(コミュニティーデザイナー)   ・人と人を結ぶデザイン
1973年愛知県生まれ、大学で景観デザインを学び、設計会社では公園や街並み保存の設計を手掛けていました。
1995年の阪神淡路大震災ではボランティアとして、被災状況の調査に立ち会い被災者がお互いの助け合いによって再生した事例に数多く出合いました。
コミュニティーデザイナーという新しい仕事を立ち上げたのです。
人口が減少する社会では、新たに人と人の交わりを結び直すデザイナーが必要と考え、島根県海士町町おこしなどを展開しています。

コミュニティーデザイナー、デザインと言うと専門家が何か美しく作ってくれる印象があるかと思いますが、アマチュアの人々が沢山集まってそれにプロの人も関わってデザインすることは、何デザイナーと言うのかと言うと、コミュニティーのかたがたと一緒に何かをデザインして行く行為だと考えました。
地域の方々と一緒にこの地域がどんなふうになったらいいのかなあとか、どんなふうに描いていったらいいか一緒に考えて、未来を一緒に作って行くこと、これをコミュニティーデザインと呼んでいます。
繋がりを作って行くきっかけにもなるし、繋がった方々が自分たちの地域の課題を解決して行くような、未来を一緒にデザインして行くような場を作り出したいと思っています。

島根県海士町では町長がどのように元気にして行くのかという事を色々考えられていて、我々が関わる前から様々な事業を進めていました。
2007年の時から次の10年間に何をしたいか計画を作りたいと言うことで、総合計画と言われていました。
住民の意見を聞きながら計画を作りたいと我々に依頼してくれました。
住民の方々の意見を聞くことになり80人の人々が来て、気になるテーマについて話し合いを繰り返し2年ぐらい続けました。
それを計画書に纏めて、未来に向けて活動を実現させる為に、結びつてけていきました。
地方自治体から仕事を頂いたのは海士町が最初でした。
そのことは新聞、TV、雑誌などで全国に広がりました。
町民一丸となって取り組みました。
大阪の泉佐野市にある丘陵緑地の所を手作りで公園を作り続けている状態が続いています。
パークレンジャー(市民の方が講習を受けて公園を作る人達)が来ていて、どの木を切ってもいいかどうかとか、公園を作ってくれていて9年ぐらい続いています。
自分たちで公園を作って自分たちで遊ぶ。
65~75歳の方がたが多く集まってくれました。

秋田県の秋田市から高齢で元気に生きて行く人たちを増やしていきましょうと言うプロジェクトが始まり、手伝ってほしいとの依頼が来ました。
高齢で元気で楽しそうに生きている人達を取材して、その人たちが何故こんなに元気なのかを分析した結果を美術館で展覧会として纏めましょうと言うことで、展覧会を作りたい人を募集しました。
50人ぐらいが応募してくれて、それにスタッフと一緒に高齢で元気で楽しそうに生きている人達を見付けて回りました。
29人取材、撮影したりして展示のきっかけにしました。
女子高生とおばあちゃんがSNSで毎日のように会話をしたりしていました。
色々活動を起こして行ってくれました。
市民の方々が関わってくれるのには、えっと思うようなことから入らないと参加してくれないことがある。
病院をどうしたらいいのか、お寺が元気が無いのでどうしたらいいのか、公園をもっと良く作るにはどうしたらいいのか、社会の課題を解決してゆくタイプの仕事が多いです。
社会の課題に対して市民の参加を募りたいと思った時には、解決するための正しさだけでなく、楽しさ、面白そうと言うような感性に訴えかける方法もいっしょに入っていた方が、より多くの方に興味を持ってもらえる。

最初にインタビューしてどんな地位かを探ることから始まります。
面白い人を10人紹介してもらって色々話を伺います、そして友達になる。
そしてそれぞれ面白い人を3人紹介して貰って、またそこから紹介してもらって90人ぐらいになります。(50~90人の人との話を聞く)
ワークショップを開いて、多くの人に来ていただいて話し合いをしていただきます。
最初の声をかけた数十人の人にも来ていただきます。
7~8人ずつぐらいで話し合いをしていただきます、
地域の課題、その解決法、事例を学びながら、地域の課題をどう解決して行くのか決めてもらいます。(1年間に10回位会合を続けていきます)
チームビルディング(組織を作って行く 主体形成 信頼関係をより作って行くゲームなどをやります。)
活動を起こしてくれたらそれをサポートして行く。
①インタビューをして→②ワークショップをやって→③チームビルディングをやって→④活動をサポートして行く。
途中は試行錯誤の連続です。
一人でいた方がいいと思う方がいるかもしれないが、ずーっと一人でいていいかというと、誰かと出会いたいという気持ちになることもあると思うので、こういう場をどううまく作ってゆくのかということは我々の仕事だと思います。

1995年の阪神淡路大震災の時に大阪にいて、都市計画、建築設計、庭、公園の設計などを学んでいました。
被災地に行って被災状況を調査するプロジェクトに関わりました。
被災の光景をみてデザインは一体何が出来るんだろうと悩む時期がありました。
地域の方々がお互い励まし合っている光景に出合いました。
話し合う場が地域にあったらいいんじゃないかと思いました。
大学院修了後建築会社に入りましたが、公共施設を作る時に市長とか会社の課長とかの考えではなく、地域に住んでいる方がどんな建築になったらいいか、という話をしてその内容を設計に反映した方が、正直なのではないかと考えるようになりました。
人と人とが話し合う場を作って行く方が、魅力だと感じるようになりました。
2005年にコミュニティーデザインの専門の事務所を作りました。
最初は来てくれませんでしたが、2007年の時に海士町の仕事をさせてもらって知ってもらうきっかけになりました。
2011年に東日本大震災があり、復興の時には地域の方々の意見を聞きながら復興計画をした方がいいのでは無いかということになりました。

我々も色んなところに呼んでもらうことが出てきました。
スタジオLは20人ぐらいのチームでやっています。
インターネットを通じて仕事ができる様になったのは大きなきっかけだったと思います。
プロジェクトリーダーをまず育てて、また次を育てるにと言うふうにしてやってきました。
年に一回は必ず全スタッフが集まって、1年間自分たちがどんな仕事をやってきたかを共有する場として2泊3日の合宿を行い厳しい意見の交換をやっています。
福祉、介護はとても大切になるだろうと思っています。
これは地域と繋がらないとうまくいかないだろうという問題意識があると言うことがわかってきました。
呼ばれた講演で、福祉、介護のプロジェクトもみんながあっと驚くような、楽しいと思うようなきっかけをつくりだしたらどうですかと話をすることが多かったが、どうしたらいいかといわれることが多かった。
これからの介護、福祉を考える方々、現場の方々、デザイナーの方々、クリエーターの方々などが一緒に話し合いの場を作ろうとしました。
全国6ブロックに分けて、ワークショップを6回繰り返して、福祉介護クリエータの方々がチームを作って10チーム(全国で80チーム)がいっしょに介護福祉の事を考えて、解決の道を生み出して活動をやってみる、それをお手伝いをするのがデザインスクールです。

関東ブロックで第1回目を行って60名位が参加して、実際の介護現場を見に行って今後問題点を見付けだして、活動して行くと言うことになっています。
他のブロックでも進め始めています。
「縮充する日本」を出版。
毛糸で編んだセーターは洗濯すると縮むが暖かくなる、わざとするんですが、それを縮充ウールと言います。
日本の人口は今後減っていきますが、縮減、縮退は良くないと思う。
人口は減って行くが、社会課題に参加型で取り組んでゆく人達の数が増えて行くことを「縮充」と呼べないかなあと思いました。
定住人口は減って行っているが、活動人口が増えて行っている状態になると地域としては縮充になるのではないかと思う。
自分たちの地域は自分たちが関わって、作って行こうと思う人の数が増えてゆくという社会を目指したいと思っています。