2018年10月14日日曜日

加藤澤男(元筑波大学教授 体操)     ・【スポーツ名場面の裏側で】五輪メダリストの証言

加藤澤男(元筑波大学教授 体操)・【スポーツ名場面の裏側で】五輪メダリストの証言
加藤さんは現在72歳、新潟県出身、新潟南高校、東京教育大学(筑波大学)に進み、大学4年で出場したメキシコ大会やミュンヘン、モントリオールと3つのオリンピックに出場しました。
団体は3回とも優勝し、個人総合では、メキシコ、ミュンヘンと連覇を果たすなど世界一の体操選手となりました。
日本男子体操、ローマからモントリオールとオリンピック団体5連覇を果たしましたが、そのうちの3回の優勝をささえた加藤さん、身長163cm 安定感のある美しい体操が特徴でした。

3つのオリンピックに出場して、8つの金メダルを含めて12個のメダルを取る。
8個の金メダルは日本の全オリンピックの中で歴代一位。
一番最初、メキシコの時の金メダルは初めてなので印象があります。
最後欲をかいて取れなかったモントリオールの時の銀メダルが二番目に印象深いです。
1968年メキシコ大会(50年前の大会)3連覇目
東京大会で出場した遠藤選手以外は全員初出場という大会でした。
ライバルはソビエトでした。
遠藤幸雄さん、加藤武司さん(東京大会準候補)、中山彰規さん(東京大会準候補)と、僕と監物永三君、塚原光男君でした。
ベテラン3人と若手3人の構成でした。
規定でソビエトに1.25リードされていた。
自由に入って、ソビエトから差を広げて行く、最後の床を残して優勝を確定的にした。
ボローニン選手は5種目を終えた時点で個人総合で一位だった。
床で9.85ならばボローニン選手と同点となるが、結果は9.90で優勝だった。
ボローニン選手はあん馬で足をひっかけてその差(0.05)だったと思う。
団体で金を取り、個人総合でチャンピオンになる。
種目別決勝 床で金メダルを取る。(日本が金、銀、銅を取る。)
床の後種目別の4種目目の跳馬の練習中に怪我をして残りの種目を棄権することになる。

昭和47年ミュンヘン大会
僕(25歳)と、中山 彰規さん、塚原 光男君、監物 永三君、笠松 茂君、岡村 輝一君でした。
団体ではソビエトに7.20の大差で優勝する。(4連覇達成)
小野さんからメダル全部持って来いと言われました。
8個のうち6個を撮りました。
個人戦で5種目終わった時点で、トップの監物選手とは0.075差だった。
監物選手は跳馬で9.60、鉄棒で9.675以上で金メダルとなるが、9.75を取り、逆転で2連覇が決まる。
2位に監物選手、3位に中山選手となり金、銀、銅を獲得する。
メキシコが終わってアキレス腱を切ってしまって、世界選手権には出られなかった。
メキシコでは跳馬の練習中に腰を痛めて(腰椎分離)しまって、跳馬以下は棄権をする。
羽田に帰って来た時には自分では歩けなくて胴周りを石膏で固められていました。
勝つための材料を仕込まなくてはいけないので、色々するので練習も無理がかかります。
種目別の平行棒でも金メダルを取る。
ミュンヘンでは団体、個人総合、平行棒で金メダル3個、銀メダル2個を獲得する。

昭和51年モントリオール大会
日本選手団の主将を務める。
僕と塚原 光男君、監物 永三君、笠松 茂君が残り、笠松選手がエースでしたが、笠松選手が急性の盲腸を患って手術しエースを欠く事態になる。
ソビエトにリードをされる展開になる。
3種目目、吊り輪で藤本選手が9.70の高得点を出すが、着地の時にボキっという音がして右足を痛めて医務室に行き帰ってこなかった。
実は最初の床で痛めているんです。
あん馬は足を使わないのでやりおうせて、吊り輪でも頑張って、着地を踏ん張って床でやったところをもう一回やってしまったんです。
あとは5人で演技をせざるをえなかった。(だれも失敗が許されない状況となってしまった。)
日本が団体で奇跡の逆転優勝をすることになる。
日本人の練習の仕方が出てきたんだと思います。
個人総合ではアンドリアノフ選手に敗れて銀メダルとなる。(3連覇は成らず)
種目別決勝 平行棒で9.90を出して2連覇を達成。

倒立に代表される美しさ。
体操はなにをやるのかと、どういうふうな出来具合なのか、の二つ兼ね合わせですが、自分はO脚で左ひじが曲がっている(中学の時のひじの骨折)ので、美しい姿勢を目指す。
練習では目いっぱい色んな事をやります。(開発的な)
試合を前にすると試合を前提にした練習をしないといけない、色んなことがありますが結局は、敵は自分なんです。
団体戦は6人がお互いに高得点を願うが、個人総合ではチームメイトがライバルとなるが、格闘技ではないので楽ですが、突然切り替えるのはなかなか難しい。
やっぱり練習しかないですね。

何年か前に国際スポーツ記者協会が選んだ20世紀を代表する25人の選手に日本人でただ一人選ばれる。
体操をやってきて思うことは、練習はきつくやれ、あこがれを持っていないと続かない。
有る程度の失敗を許容される所では失敗しないといけない、いざという時にしてはいけないだけの話で、経験を生かしてやるべきこととやってはいけないことを練習の中で区別をつけなければいけない。
モントリオールでのアクシデントみたいなことは、有ってはいけないが有りうるわけです。
内村 航平選手には3連覇の夢を実現すべく頑張ってほしいと思います。