2018年4月21日土曜日

勝部麗子(福祉推進室長)        ・声なきSOSを見つけ出す

勝部麗子(大阪府豊中市社会福祉協議会福祉推進室長) ・声なきSOSを見つけ出す
豊中市は人口40万人、千里ニュータウンなど集合住宅が増え都市化と高齢化の中で浮かび上がってきたのが、孤独死、ゴミ屋敷、引きこもり、ホームレスなど役所の担当窓口がない狭間の問題でした。
一方住民と行政を繋ぐために、全国の行政区ごとに組織されている社会福祉協議会も制度の狭間の問題については動くことができませんでした。
こうした問題にも取り組めるコミュニティーソーシャルワーカー(CSW)と云う新しい専門職の配置を大阪市に提案、2004年全国で初めて大阪府内の自治体ごとにCSWが配置されました。
勝部さんの取り組みは豊中方式といわれて、全国から注目され,NHKでドラマになり、「プロフェッショナル仕事の流儀」でも取り上げられました。

社会福祉協議会は地域福祉を推進するということが目的ですが、住民のボランティア活動であったり地域活動を推進しながら行政と住民の間に入ってなかなか救えないような人を発見して、社会の中で居場所を作れたりとか、生活が再建できるようにお手伝いして行く仕事です。
本当に困っている人は相談に行くことすら思いつかないとか、休まなくてはいけないので日当が貰えないから時間が取れないとか、本当に困っている人は実際なかなか来られない。
豊中市は交通の便が良くて、ベットタウンとして成り立っています。
千里ニュータウンは大阪万博の時に出来たニュータウンです。
人口は40万人で年間で2万人が入れ変わっていて流動しています。
集合住宅が全体の66%、人口密度は高いです。
阪神淡路大震災後に地域の中でのつながりを意識しています。
仮設住宅には高齢者、障害者、子供を育てている人たちが優先的に入れたが、孤立死が起きた。
全国から集まってきた街で、繋げても繋げてもバラバラになってしまう。
震災からの23年間は孤独死や、地域の繋がりを作ると言うことを何度も繰り返しやってきました。

震災後、見守り活動を住民の方と一緒にやったんですが、いろんな心配な方が出てきました。
最初、一人暮らしの方、老老介護、認認介護(認知症の人が認知症の人を介護)、そういった方を見守りますが、その時、ゴミ屋敷の問題が出てきて行政に相談すると、相談窓口がない、管轄に無い話は行政が受け止めてくれないので、制度の狭間があって、解決者がいないと自分でやらなければいけなくて、そのうちに見て見ぬふりをするようになって、丸ごと受け止める部門が無い限り住民力は上がらないのではないかと大阪市に提案して、大阪府全体の制度になって、平成16年から豊中市でも受け止めますと言うCSWがおかれるようになり、わたしも第一期生になり、現在も活動をしています。
ばらばらになっているのをもう一回繋げ直して行く専門職の配置がある事が街作りに大事
なんだということを提案したのが、その当時の状況でした。
コミュニティーソーシャルワーカー(CSW)は制度の狭間の問題を引き受けることで、解決策は無いが、住民の人と一緒に解決したり、制度がなければ新たに制度を作って対応しています。
10年間で40を越えるプロジェクトを立ち上げて、SOSメールで徘徊者を街ぐるみで探したり、ゴミ屋敷の問題などを皆でルール化をして解決してゆくという事をやってきました。

解決する仕組みまで作れるようになったので、10年前では救えなかったような人達も救えるようになっています。
40万人の人口に対して18人のCSWしかいません。
各小学校ごとに100~200人のボランティアの方が見守り活動をしています。
見守りローラー作戦、近所との付き合いが無い所などに訪問して気になる人を発見してもらう、住民活動をしています。
「8050問題」、80歳に50歳代の無職の息子さん娘さんが同居していて、近隣から孤立していて、80歳代の年金で子供を食べさせている状況の家が孤立していますが、自身で相談に来ることはないので地域の方が声を掛けて、訪問させていただいていることもあります。
80歳代の父親が息子の家庭内暴力の事で電話がありました。
母親は寝たきりで、息子が引きこもっていました。
父親は自分の育て方も悪いと思っていたようです。
注意しようと息子に言葉を掛けた瞬間に家の中で暴れ出すので、ずーっと暮らしているうちに5年、10年、30年が経ち「8050問題」になってしまったということでした。

福祉の相談は待っているだけではだめだと思いました。
100軒行くと5軒は何かあります。
お金がなくてライフラインが止まっているということもありました。
通帳にはお金はあるがおろし方が判らないということでした。(認知症の始まり)
引きこもっている若者の本人の心を引き出してゆく、本人が出来ることから応援する、などやっています。
漫画を描くことが得意な引きこもりの子に、CSWの取り組みを漫画にしているのでそれを依頼して、その後一般漫画書籍として出版するようになりました。
NHKのドラマの「サイレント・プア」もこの本がきっかけになったわけです。
2014年 「プロフェショナル 仕事の流儀」でも 「地域のきずなで無縁を包むコミュニティーソーシャルワーカー(CSW) 勝部麗子」として取り上げられる。
ゴミ屋敷の問題、文句を言う側と捉えられるとなかなか会ってもらえないので、その人の困っていることから応援を地道に続けて行くことで、段々心を開いていってくれる。
心配していることをメッセージとして届てゆく。

ゴミが出せないことで困っている、と云うことがある。(体の問題その他)
本人の困り感に寄りそうと言うことが大事だと思います。
問題を理解しないと周りとの関係が悪化して孤立して行くが、周りも理解するようになると悪かった関係も戻って来る。
「プロフェショナル 仕事の流儀」にでた彼女は昨年なくなったが近所の人が地域葬を行いました。
いつ自分が社会に中から落ちこぼれるか判らないと思った時に、そういう人達を排除しないということを作って行くことによって、結果的に自分も助けられてゆく、そういったことを改めて思いました。
ある先輩が「知ることによって易しさって生まれるよ」と言ったんです。
なんで手伝う必要があるかが判ると、主体的に支えられる。
ボランティアの人が問題を発見して、発見と解決は両輪で、両輪がしっかりしているのが
豊中市の大事なところだと思います。
ゴミ屋敷、400軒以上のゴミ屋敷を解決してきています。

元々教員志望で、教育実習に行った時に子供がスタートラインに立てない子が一杯いることを目の当たりにしました、忘れ物をしてくる子(ゴミ屋敷かも)、遅刻してくる子(シングルマザーの子かも)を福祉の面から支えるべきだと思いました。
労働福祉センターでアルバイトをして、日雇労働者の暮らしを目の当たりにしました。
社会福祉協議会を知って魅力を感じて、この仕事に入りました。
ボランティアの人を探し、繋いでいくうちに現在では8000人のボランティアになりました。
最初の頃千里ニュータウンでエレベーターが無くて寝たきりの主人が病院に行けないとの電話がありました。
若いボランティアを頼んで対処したが、次の機会に上手くマッチングしない時もある。
階段昇降車を助成金等で購入することができた。
仕組みを作って行くと助ける人がたくさん増えて行くことを知りました。
介護者の会を作りました。
80人参加したいと言うことで、会場を用意しましたが、蓋を開けてみると13人しか来てくれませんでした。
次に8人までに減ってしまいました。
或る人がやっと友達、仲間が出来てトンネルの向こうに光が見えたのに閉じるんですか、と言われて、その後80人が入会しました。(参加したくても行けなかったと云うこともある)

引きこもりについては、家族会をおこなって、外に出られるプチバイトを考えて、いくばくかのお金を貰えるようになって段々と自立して行くことが判ったので、就労体験、一般就労ということで支援をしています。
引きこもりだった人が今は支え側に変わってきています。
電球交換(高齢者にできない)、草むしり、ゴミ出しなど。
支えられる側が支え手に代わって来ています。
全ての人が居場所と役割を持つことがとっても大事です。
日本の男性が世界で一番孤独だという数字が出ているそうですが、定年をきっかけに孤立して行く。
役割を担ってもらう事で元気になって、70人の男性が地域で野菜を作って喜ばれています。
大事なことは一人も取りこぼさないということです。
そのためには住民と、専門職が繋がって支えていくという重要さを思います。
排除されていた人が同じ様な課題を持っていた人だったということを理解して貰う、排除の無い社会をどう作って行くか、これからもっと大事になって行くことだと思います。